閑話:師弟

 壁一面に飾られている額縁に入った数々の表彰状、ガラス張りの戸棚には数種類のトロフィーが大切に保管されている。部屋の中央に応対用のソファーがテーブルを挟んで向かい合わせに配置され、真っ赤な絨毯が敷かれた一室。光沢があり、赤みがかった木材で作られた執務机にて、初老の男性が書類にペンを走らせる。

 年相応に白混じりの灰色の短髪、モノクルを掛けた優しげな青紫色の瞳。深い彫りの顔付きは優しさの中に厳格な雰囲気を醸し出し、燕尾服が男性の魅力を引き立てる。

 男性が走らせていたペンを止めて、クルリと身体ごと横に向いた。そこには華蓮が立っており、男性が立ち上がって頭を下げた。


「お久しぶりでございます、師匠。突然の訪問とは、何事ですかな?」


「仕事中にお邪魔しちゃって悪いわね、オソド。少し話せるかしら?」


「勿論ですとも。ささ、お掛けになって下さい。お茶を淹れますので、少々お待ちを」


「そこまで気を使わなくてもいいのに」


「ははは、久しぶりに顔を合わせるのですから遠慮しないで下さい」


 華蓮がソファーに腰掛けると、オソドと呼ばれた男性が空間を裂き、年季が入ったティーセットを取り出してお茶を淹れる。魔道具のティーセットらしく、ティーポットを傾けるだけで淹れたての紅茶がティーカップに注がれた。

 それからオソドは切り分けられたケーキの小皿と一緒にティーカップを配膳し、華蓮の前に座った。


「学園長として後進の育成に励み、魔道具士としても頑張ってるみたいね。私も鼻が高いわ」


「お褒めいただきありがとうございます。それでお話とは?」


「世間では赤の女神様の使者、青の女神様の使者、黄の女神様の使者が揃ったじゃない」


「はい、そうですね。貴族の方々は緑の女神様の使者を血眼になって捜索しておりますよ」


 青の女神の使者、久世美波を皮切りに赤の女神の使者、黄の女神の使者が公爵家の息子や娘と婚約し、世間の話題はそれで持ち切りだ。水面下では緑の女神の使者を探し出そうと貴族が躍起になっているが、全く手掛かりを掴めずに捜索が難航していた。

 オソドは華蓮がわざわざ自分の所に足を運び、そんな世間話をしに来る人ではないとよく知っている。そうなると、華蓮の話題は一つである。


「師匠、緑の女神様の使者を匿っておられるのですか?」


「いいえ、彼は私の下で修行させてるの。魔道具について教えていないけど、オソドの弟弟子よ」


「おお! 緑の女神様の使者が弟弟子になるのですな。ですがそれを報告しに来たのではありませんね?」


 オソドは華蓮に剣術を教わった同期と、奇蹟を教わった同期がいる。三人は華蓮の下で修行した五十年来の仲であり、今でも交流が続いている。

 そこに弟弟子が増えたとなれば嬉しいが、本題はここからだ。


「宮内黎人、名前に聞き覚えがあるでしょう?」


「……ふむ、そういう事ですか。もしも弟弟子に不都合な事があれば、私は全面的に肩を持ちます」


 魔法学校の生徒はほぼ貴族の子供が占め、平民が不当な扱いを受ける問題が毎年発生する。緑の女神の使者は正式に発表しておらず、平民として入学するとなれば、問題に巻き込まれるのが嫌でも予想できる。

 問題が発生した際の対処と鎮圧をお願いしに来たのだとオソドが推察し、自ら受け入れると発言した。


「ありがとう、オソド。迷惑を掛けるわね」


「いえいえ、お安い御用でございます。頭をお上げ下さい、私は師匠に頼られて嬉しい限りです」


 華蓮が頭を下げるが、オソドは慌てて頭を上げさせる。こうして師に頼られる機会が巡ってくるなど思っておらず、オソドは感慨深そうに紅茶を口に含んだ。

 それに合わせて華蓮も紅茶を口に運び、ほうっと息を吐いた。


「しかし……オソドの孫と敵対する可能性があるわ。その辺はどうするつもりなの?」


「高校生になるのですから、誰の味方に付こうと自己責任です。あのバカが何をやろうと、私には関係がありません。今回の件で人を見る目を養ってもらいたいものだ」


「オソドは昔から親族であろうと、割り切れるタイプだったものね。そのせいで親族間での争いは絶えなかったけど」


「ははは……耳が痛いですな」


 華蓮が遠い目をして、若き日のオソドを見遣る。オソドは恥ずかしそうに苦笑し、頬を指先で掻いた。

 華蓮が回想しながらケーキに舌鼓を打ち、口直しにと残り少ない紅茶を飲み干した。


「うん、私からの用件はこれで終わりよ。貴重な時間を取らせて悪かったわね」


「いえいえ、学園はお任せ下さい。師匠と久々にお会いできただけでも僥倖です」


「いや~、呼ばれれば何時でも駆けつけるのだけどね」


「そんな恐れ多い、気軽に呼べません。師匠は仙人なのですから、俗世の事は我々でどうにかします」


 仙人は俗世から離れ、関わりを持たないのが普通なのだ。華蓮は情に厚いのもあるが、過去の出来事も影響して俗世と関わる。

 華蓮は「そっか」とだけ短く返事し、ソファーから腰を上げた。


「それじゃ任せたわよ、オソド。またね」


「はい、またお会いできるのを楽しみに待っております」


 華蓮が空気に溶けるように掻き消え、オソドはパチンと両頬を叩いて気合を入れた。

 ソファーから執務机に移動し、書類の手続きを再開。学園長室内でカリカリとペンの走る音のみが響き、仕事を片付けるのだった。

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