千春と美波

白市ぜんまい(更新停止)

一足早い

「わかった!ひと月早い父の日プレゼントでしょ?」

せっかく選んだプレゼントはその一言でただのジョークグッズになりかけた。

「……いや、そうじゃなくてさ……」

美結のことだから冗談のつもりで言ったのかもしれない。しかし、冗談でも本気だとしても、その返しはあまりに想定外すぎた。

「千春?」

いつもなら笑いながら美結のボケに返しを入れられたのに。言葉が出ないのは、予想もしてない反応だったからだろうか。

「……なんかごめんね。せっかくのプレゼント、けなしてるわけじゃなくて」

目の前の友人の笑顔が徐々に不安に変わっていくのを見て、私は我に返っていく。さっき商店街から美結ん家に着いたばかりで、明日は美結の誕生日で、でも美結は明日用事があって学校に来ないらしくて、それで今は玄関にいるけどずっとこうしてるわけにもいかなくて……。

「あっ、ううん、冗談だってわかってるから。部屋にお邪魔していい?」

「いいよ、上がって上がって」

私は靴を脱ぎ美結の後ろについていく。手に抱えているたった数輪の花束が少し重く感じた。


話は一時間前にさかのぼる。母の日から一週間が経った日曜の午後は、いつもより一際明るい青空で彩られていた。スマホで時刻を見ると14時少し前。近所にある商店街は、時間帯からか人通りが少なく買い物にはちょうどいい。

商店街のアーチをくぐると花屋はある。店まで足を進めると様々な香りが混ぜこぜになり鼻をくすぐってきた。

店先で咲いているのは皆プランターの中だ。生けられた花は店内に入らないとないようだ。

そういえば、花を買うのは初めてだな。普通の買い物のように欲しいと思った花をレジに持っていけばいいのだろうけど、花屋はほとんど行ったことがないせいか少し緊張する。小さな深呼吸とともに私はガラス戸を開いた。


「楠美結です、好きなものはお笑いと花です」

あれは去年の四月だ。自己紹介で語られた趣味がやけに引っかかったのを覚えている。お笑いと花、そんな組合せが少し珍しく思えたからだった。

「高坂千春といいます。隣の市から引っ越してきました。よろしくお願いします」

新学期早々中身のない自己紹介しかできなかった私に、同じ班となった美結はしかし気さくに話しかけてくれた。

「高坂さん、何か趣味とか特技ある?」

「私、特にはまっているものなくて……」

「じゃあ、休憩時間に一緒に花でも見に行く?」

斜め前の席から身を乗り出した彼女は、柔らかくも芯の通った声で提案する。

「これの小っちゃくてピンクのはね、アメリカフウロと言って…」

校庭の隅に咲く花を見つめる瞳は、淡く優しい光を放っていた。

「おすすめの芸人教えてあげようか?」

動画を見せてあげるから、と家に誘われたのは翌月だった。

「この人たちはね、ほのぼのした芸風だからお笑い苦手でも楽しめると思うよ」

楽しそうに語りながらパソコンを扱う、彼女の後ろ姿すら私にはまぶしかった。

「楠さん、どうしてそんなに物知りなの?」

「物知りじゃないよ、好きなものだから色々調べてるだけ」

「私、特に打ち込めるものも特技もなくて、だから前の学校でも友達少なくて……」

くるりと振り返った美結は私にこう告げた。

「高坂さん、ツッコミの練習をしよう。私がボケるから高坂さんツッコんで。そしたら特技できるよ」

あっけにとられかけたが、彼女の顔をみたらそれすらふっとんだ。

花を愛でているときの眼差しが、私へと向かっていた。

彼女のことを考えるたび胸が高まるようになったのも、多分ここからだ。


話は今日の一時間前に戻る。

店内には当たり前だが何十種類もの花や観葉植物が所狭しと並んでいる。

花が好きだから花束をプレゼントしよう。後から思えば安直な前日の思いつきは、いざ選ぶときになるといかに難しいか実感してしまう。

どれにしよう。一種類一種類目で追う。道端に咲く小さな花を特に好んでいたから、やっぱりプレゼントも小さな花がいいかな。思考を巡らせていた数秒後。

純白の薔薇。どんな色も跳ね返しそうな白さの薔薇に吸い寄せられた。

周りにも色とりどりの薔薇がそれぞれ七、八輪ずつ飾られてはいた。白薔薇はたった五輪で花も大きくはない。だが様々な色彩に囲まれてもなお、生き生きと輝いていた。

気が付けば私は白薔薇を手に取っていた。幾重にも重なった花びらはシルクのようにきめ細やかで、葉はみな瑞々しい深緑。

白いドレスみたい。ウエディングドレスのような……。

脳裏に連想されたのは美結のウエディングドレス姿。あまりにも唐突過ぎる、いくら美結のことが気になっているからって。しかし、連想のおかげで白薔薇に気を取られずに済んだ。そのまま私は持っている花束をレジへと持って行ったのだった。


そして今、私たちは美結の部屋にいる。

「あの、さっきはなんかごめん。ツッコミ待ちのつもりだった」

美結は申し訳なさそうな表情だった。

「ほら、来月ちょうど父の日だし、でも女子に父の日のプレゼント渡す人いるわけないじゃん?」

「大丈夫、私別に怒ってないから」

そうは言ったものの少し気まずい。早く美結を笑顔にさせなきゃ。ええと、私が抱えている花束は、一足早い、一足早い……

「これは、一足早いジューンブライド!」

「夫婦かいな!」

言い間違えた。こんなときに限って美結のウエディングドレス姿を思い出してしまったからだ。それにしても美結のツッコミは早い。

「ジューンブライドって、千春ボケもこなせるようになってるー」

けらけら笑う彼女を見て胸をなでおろした。しかし、喉の奥には何かがつっかえる。

「にしても、どうしたの突然花束持って」

「これ本当は一日早い誕プレ、バースデープレゼント」

「あー!私自分の誕生日すっかり忘れてた、千春ホントありがとね」

満面の笑みとともに美結は花束に向けて手を差し出した。私の喉のつっかえと美結の笑み。二つの感情が不揃いすぎて、逆に自分の感情を打ち消すなら今だと思えた。

「これ、バースデープレゼントで、ジューンブライド」

「え?」

「だから、ジューンブライド。それこそひと月早い」

目をつぶり白薔薇を美結の両手へと置く。今相手はどんな顔をしているかわからないし、見るのが少し怖い。

「……ひと月どころか何年も早いよ」

返ってきた言葉は、冗談だとすぐわかるおだやかな口調で届けられた。

「私らまだ14だからさ、結婚できる年齢じゃないし」

結婚、という単語にびくりと背中が小さく震える。まだ目を開けるのが怖い。声色こそいつも通りの優しさだが、裏腹の表情を浮かべていたらどうしよう。

「ねえ、ジューンブライドってもしかして本気?」

さらに堅く目をつぶり、小さく、しかし相手に伝わるように私はうなづいた。次はどんな言葉が返ってくるだろう。女同士は結婚できないからってツッコまれるかな。

「さっきはボケって勘違いしてごめんね」

意外な言葉に拍子抜けしてゆっくりとまぶたを開く。美結の眉は少し悲しげに下がっていたが、目や口角はいつもの笑顔だった。

「やー、私も修行が足りないね。千春の気持ちがわかんなかったって」

大げさに声のトーンを上げる美結。しかし私は、明るい声色より困り眉に気を取られていた。相手の顔色ばかり窺うのは私の悪い癖だ。

「こっちこそ、また気を遣わせちゃってごめん」

「千春は悪くないよー。慣れないツッコミはするもんじゃないね。私にはボケる方があってるわ」

おどけた態度の美結は、しかしふいに真剣な顔をした。

「ねえ、さっきも言ったけど私たちまだ14じゃん。まだ同性婚も認められてないじゃん。だからさ」

何度かの深呼吸が入った後。

「まずは試しに付き合ってから考えようよ。結婚はそれこそ何足も早いよ」

真剣な表情は、あの時の小さな花へ向けられたものと同じ、優しい瞳と笑みに変わった。

花瓶に水入れるからてこれ持ってついてきて。部屋の本棚に飾られた空の花瓶を美結から渡された。二人で台所へ向かう。美結の両腕の中で、薔薇が白く輝いていた。

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