糠星に聖なる願いを

眞石ユキヒロ

1部 二人だけの異世界

見藤祐護の大切な人(21/9/17改訂)

 瞼の裏の世界は暗かった。


 そしてその世界に立つ自分―――見藤祐護の身体を、が俯瞰していた。


 胡桃色の髪は前髪だけが短く、『』が綺麗だと褒めてくれた常磐色の瞳は瞼の裏に隠れている。


 やや細い垂れ目で幼く見られるわりに背は高めで、ごつくはないがやや筋肉質。客観すると全体の形として均整はとれている。美形だと言われることもそれなりにあった。


 しかしどこかアンバランスな外見だと、自分では思う。


 そんな身体が無地のシャツを着て、紺色のジーンズをはいて、首には不似合いなかわいらしいデザインの鍵を下げている。


(自分が死んだら、こんな感じで外から自分を見ることになるんだろうか)


 くだらないことを考えながら自分を外側から観察していると、どこからか紅茶の匂いが漂ってきて、紅茶にまつわる記憶が呼び覚まされる。


 もう十年も前のことだが、部屋の湿度も星の明滅も明確に思い出せてしまう。


 そんな、忘れようがない記憶だった。


(『あの人』が俺に残したのは『冷めた紅茶』と『鍵』だけだった)


 あの日飲んだ冷めた紅茶の味が、意識上の口内を通り過ぎて、喉の奥へと落ちる。


 あの頃は十二歳くらいだったが、これからは自分で紅茶を淹れなくてはいけないということは理解できた。


 つまり、すべて自分でやらなければならないということだ。


(『あの人』がいなくなってからは紅茶を淹れて、書斎をあさり、内容の薄い日記をつけて眠るだけの日々を続けた)


 今思い出しても十代の少年らしからぬ、ひどく怠惰な生活だ。


 けれどそのおかげで、悲しみに打ちひしがれることも、ひどく荒れることもなく、己の激情をやり過ごせた。


 そして。


(……出会いは宝石の赤い輝きとともに、突然にやってきた)


 三ツ森ツカサ―――現在の同居人。


 艶のある黒髪と、悲しみを湛えた瑠璃色の瞳が印象的な、伏し目がちの大人しい男の子だった。


 自分の名前すらはっきり言えない、とても内気な子だった。


 そんなツカサとこの世界で一緒に暮らし始めてから九年ほどが経った。ツカサはあと一ヶ月で十六歳になろうとしている。


 今でも外見は儚げだが、性格は活発になり、はっきりものを言うようになった。


 まつげが長く整った顔立ちと、片方だけ伸ばしたサイドヘアーから、少女だと勘違いする者もいた。華奢でしなやかで、背は低いが足は長くて。


 そんな彼の、少し長い前髪から覗く澄んだ瑠璃色を思い浮かべると、いくらか心が穏やかになる。


 けれど、同じくらいに俺を不安にもした。


 一緒にこの世界『アスタリスク』を手入れしてくれるツカサ。来訪者に冷たく当たりながらも彼らの悩みを結局受け止めるツカサ。二人きりになると元気になったり甘えたり忙しいツカサ。


 俺のために紅茶を淹れてくれるツカサ。



 ツカサが『あの人』のように突然、いなくなってしまったら?


(俺は、今度こそ―――)


 意識上の拳を固く握る。震えはなかなか収まってくれなかった。




「……祐護さん起きて!」


 まどろみの中で、ゆるく体を揺さぶられている。


「ツカ……サ?……紅茶、淹れてくれた?」


 記憶は曖昧だが、ツカサに紅茶を頼んでいたような気がしたので、そう尋ねる。


 ツカサは瑠璃色の目を細め、穏やかで繊細そうな外見に似合わぬ元気な笑みを浮かべた。


「何の話だよ。それより玄関、光ってる」


 ここは書斎だ。中央には螺旋階段があり、小さなテーブルセットが置かれ、壁一面を背の高い本棚が覆っている。


 そして、それらと俺とツカサを、玄関側のドアの明かり窓から漏れる赤い光が濡らしている。


 まどろむ前に読んでいただろう星座の本を閉じ、目を細めて玄関側のドアを見た。


「来客だね」


 長方形の明かり窓の向こうで、光を放つ宝石を埋め込まれた両開きの玄関ドアがひとりでに開く音がした。

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