壊れた想いの欠片
今日はおっさん三人で京都を巡るバスツアーに参加する事にした。
ツアーの前夜からおっさん三人はおっさん野球帽の家で深酒をしており、集合場所に着く頃には三人共、既に激しい二日酔いの状態であった。
バスに乗り込むと予め決まった座席を無視して、最後尾の座席へと大量に買い込んだ酒とつまみを持ってどっしり腰掛けた。
「あぁ気分悪いな。今にも吐きそうだ。」
おっさん野球帽が気怠そうに言った。
「吐きそうなだけならまだ良いで御座るよ。余はうんこも出そうで御座る。」
おっさんチョコレートは京都ツアーという事もあり、既に気分は殿様であった。
「取り敢えず迎え酒しようぜ。」
おっさん伊達メガネが背負っていたリュックから背中の体温でぬるくなったビールを大量に取り出した。
三人で乾杯をして一息で飲み干した。
「何でお前の背中の温もりを感じながら、こんな温いビールを飲まないといけないんだ。」
「文句言うなよ、俺だって冷えたビールを飲みたいんだから。」
「余は飲めればなんでも良いで御座るよ。」
「おい、誰かビール持ってる奴居るか?居たらこれと交換してくれ!」
おっさん野球帽が叫んだが、他の乗客はこのマナーの悪い三人に苛立ちを覚えており、関わり合いたく無かった。
「つまんねぇ奴らばかりだぜ。」
おっさん野球帽が捨て台詞を吐いて二本目の缶を開けた。
三人の酒は進み、彼等の周りは空き缶とつまみの食べかすで見る見るうちに汚れて行った。
段々と酔いが回り三人は気分が良くなって来た。
「おい!姉ちゃんこっちに来てくれ!」
おっさん野球帽が据わった目つきで若いバスガイドを呼んだ。
バスガイドは行きたく無かったがこれも仕事と思い恐る恐るおっさん達の元へと向かった。
「酌してくれ。」
バスガイドは今回のツアーが独り立ちして初めてのツアーであった。
恐怖心から震えながらお酌をした。
「全然車内が盛り上がってないな。」
不意におっさん伊達メガネがわざとらしく大声で言った。
おっさん伊達メガネはおっさん野球帽に何か促している様子であった。
おっさん野球帽もその意図を察して言った。
「そんな時はカラオケだ!このバス、カラオケ付いているだろ。マイク持って来い!俺が一曲歌ってやる!」
そう言うとおっさん野球帽はバスガイドからマイクを奪い、長渕剛のとんぼを歌い始めた。
他の乗客はおっさん野球帽から手拍子を強制され渋々下手な歌に手拍子を入れるという屈辱を感じながら手を叩いた。
無事に一曲歌い終え、これでやっと静かになると思い乗客皆、安心していた。
すると最後尾の座席から、悪夢の様な声が聞こえた。
「アンコール、アンコール、アンコール」
おっさんチョコレートとおっさん伊達メガネが、アリーナツアー宛らにおっさん野球帽にアンコールを求めた。
「まったく仕方ないな、次はライブバージョンで乾杯を歌ってやる。」
そう言うと、早速乾杯を熱唱し始めた。
野球帽は車内を行ったり来たりしながら、全員がちゃんと手拍子をしているか目を光らせた。
乗客が手拍子を少しでも休んだり、手を叩く音が弱ければマイクで頭を強く叩いて回った。
それは子供や年寄、例外無く行われたので、参加した子供達全員、この大人の理不尽さに耐えられず声を上げて泣いていた。
乾杯を歌い終わった後、乗客の手は真っ赤に腫れ上がり、皆冷たい物で手を冷やしていた。
早く目的地に着いてくれと誰しもが願った。
二曲歌い終わって満足し、おっさん野球帽が最前列の同じ野球チームの帽子を被った同年代位のおっさんに言った。
「おい、そこのおっさん!あんた俺と趣味が同じだろうから聖子ちゃん好きだろう。
一曲入れてやるから車内が盛り上がる様に歌いな。俺の素晴らしい歌の後じゃ歌いにくいかもしれないが、気にすんじゃねえぞ。」
指名されたおっさんはここから逃げ出したい気持ちで一杯だった。
しかし、この移動中の密室のバスから逃れる事が出来ない事は十分承知していたので、横暴なおっさん野球帽に従うしか無かった。
何で今日に限って、いつもは被らない野球帽を被って来てしまったのか、激しく後悔し、自らの不運を呪った。
「僭越ながら一曲歌わせて頂きます・・・」
他の乗客は急に指名されたおっさんに対しては同情しか無かったので皆が憐みの表情で、心から不運な彼を応援した。
この時初めて、指名されたおっさんの拙い松田聖子の歌により車内は一つとなっていた。
おっさん野球帽は、自分が長渕剛を歌った時には無かった車内の一体感に激しく嫉妬し、周囲を睨み付けた。
「歌はもう沢山だ、これ以上誰も歌うな。」
おっさん野球帽はまるで自分が被害者の様な口振りで言った。言われなくても誰も歌う気は初めから無かった。
おっさん野球帽は元の席に戻り、飲みかけのビールに手を伸ばした。
すると今度はおっさん伊達メガネが何か思い付いた様子で言った。
「バスと言えばゲームだな。今から全員でマジカルバナナやるぞ。」
「団結力を高める為にチーム戦にするのが良いで御座るよ。」
「そうだな、チームは俺達三人対お前等全員ってのはどうだ。」
「もし、お前達が勝ったら何でも言う事を聞いてやる。」
全く乗り気では無かった乗客もこの提案を聞き、勝負師の目になっていた。
「順番は一番前の座席のそこのおばはんから時計回りな。」
50代後半と思しき、ブランド品を沢山身に着けた小太りのマダムが指名された。
おっさんチームの先鋒はこのゲームが得意であるおっさんチョコレートに決まった。
「では始めるぞ、マジカルバナナ、バナナと言ったら・・・」
「チ〇コ!」
おっさんチョコレートが得意げに、おばさんを見て言った。
「・・・・・・・。」
「タイムアウト。おばはんの負けだな。」
「全く相手にならないで御座るよ。」
「一体何ですか、この卑猥なゲームは。あなた方は今までどんな間違った教育を受けて来たのですか。」
おばさんは人前で口に出す事を憚られるその単語を聞き、頭が真っ白になり、理解出来た時には激しい怒りが込み上げていた。
「仕方無いな、最後にもう一度だけチャンスを与えてやる。」
「あなた方が先行なんてズルいわ!今度は私から始めさせてちょうだい。」
「しょうがないな。まったく我儘なおばさんで御座るな。」
おっさんチョコレートは子供をあやす父親の様な優しい口調で言った。
「二回戦始めるぞ、マジカルバナナ、バナナと言ったら・・・」
「滑る」
おばさんは既に準備をしていた定番の答えを力強く言った。
ここでおっさんチョコレートは仕留められないが、次の人達に思いを託す事にした。
「滑ると言ったら・・・」
おっさんチョコレートは間髪入れず、次の答えを言った。
「ローション!」
おっさんチョコレートは答えを言い終えると、次の回答者を見てニヤニヤしていた。
おばさんから次のバトンを受け取ったのは小学生の女の子だった。
「ローション?・・・ローソン?・・・コンビニ?」
女の子は初めて聞く単語の意味を理解出来なかった。
「ウヘヘヘヘ、また拙者の勝ちで御座るな。ローションとは、チ〇コを入れる時に使うもので御座るよ。」
おっさんチョコレートはいやらしい目つきで不気味な笑みを浮かべながら言った。
乗客全員がマジカルバナナとはこんなにも下品なゲームであるのかと初めて知った。
そして、このゲームでおっさん達に勝つ為には、世間体やプライドを捨て、彼等以上に下品にならなければならないという事がよく分かった。
「それじゃ三回戦で御座る、次は・・・」
「ちょっと待て、その前に酒が切れたから補充するぞ。おい、運転手あそこのスーパーでバスを止めてくれ。」
おっさんチョコレートの言葉を遮っておっさん伊達メガネが言った。
「その様な勝手な都合では止められません。もう少しの間お酒は我慢して下さい。」
「何だと!おっさん野球帽からも何とか言ってくれ!」
おっさん伊達メガネがそう言い、おっさん野球帽に目を遣ると苦しそうに口元を押さえていた。
おっさん野球帽がマジカルバナナの間、妙に大人しいと思っていたら、今までずっと青ざめた顔で吐くの我慢していたのだった。
「もう限界だ・・・」
そう言うとおっさん野球帽は前の座席に座っていた若いカップルの彼氏の鞄を奪いその中に嘔吐した。
実はこの若い彼氏は、このバスツアー中に今まで散々苦労を掛けて来た彼女にプロポーズしようとずっと前から心に決めていた。
綺麗な京都の夜景を見ながら、必死に貯めたお金で買った婚約指輪を彼女に渡すべく、指輪を大事に鞄の中に忍ばせていたのだった。
「あんたのせいで全て台無しだ!」
若い彼氏はプロポーズの計画が台無しになり、泣き叫びながら、おっさん野球帽の顔面を殴った。
殴られた勢いで、おっさん野球帽はさらに多くの吐瀉物を吹き出し、その吐瀉物が乗客に降り掛かり車内は騒然とし、異臭が立ち込めた。
この瞬間誰もが、もはやこの状況で京都ツアーを楽しむ事は不可能であると確信した。
車内がパニック状態になり運転手も仕方なくスーパーの駐車場にバスを停車させた。
おっさん野球帽は吐いた事により、スッキリした様子で清々しい顔をしていた。
「さぁ買い出しに行くぞ。」
「やっと冷えたビールが飲めるぜ。」
「おつまみも沢山買うで御座るよ。」
おっさん伊達メガネを先頭に三人がバスを降りて行った。
三人が去ったバスは落ち着きを取り戻し、バスガイドは乗客に声を掛けた。
「それでは全員揃ってますね。今から出発します。」
バスガイドを含め、バスに乗る全員が気付いていた。
あの迷惑なおっさん三人が買い出しに行った切りまだ戻って来ていない事を。
しかし、おっさん達の不在を伝える者は誰も居なかった。
無事に買い出しを終え駐車場に戻った三人は、さっきまで乗っていたバスが居なくなっている事に気付いた。
「運転手もバスガイドもおっちょこちょいだな。俺達がまだ戻って無いのに気付かないなんて。」
「あれだけ車内を盛り上げてやったんだから、その立役者の俺達が居ない事に直ぐ気付いて慌てて引き返して来るだろうよ。」
「その通りで御座る。拙者達の存在感は大きかったから、もしかしたら、もう駐車場に着いているかもしれないで御座るな。バスに戻ったら次は全員でしりとりをするで御座るよ。」
それから数時間、いくら待ってもバスが戻って来る事は無かった。
すっかり夜も更け、おっさん達はこの時初めて自分達が見知らぬ土地に置いて行かれたのだと気付いたのだった。
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