おっさん伊達メガネ

彼の名前はおっさん伊達メガネ

視力は2.0なのに知的に見られようと、伊達メガネを掛けたおっさんである。

見た目はそこそこカッコ良く、自称俳優である。

知ったかぶりをしたり、嘘をつく事が多い。

俳優業だけでは食べて行けないので、アルバイトをしている。

そのアルバイトも勤務態度が悪いので、直ぐにクビになり転々としている。

大学は3浪した挙句、4流大学しか受からず、そこでも勉強に付いて行けず中退した。

履歴書の学歴をいつも詐称しており、最終学歴はハーバード大学卒業。

周囲の人間には高校時代、友達も多く人望もあったので、生徒会長を3年間務めたと嘘をついている。

通っていた高校は給食のある珍しい学校だった。

いつも嘘ばかりついて友達もおらず、誰からも信用されていなかったので、給食費が盗まれた時には教師を含めたクラスメイト全員から真っ先に疑われ泥棒扱いされた苦い経験がある。




今日はおっさん伊達メガネが大好きな舞台監督の新作のオーディションが行われる日であった。

おっさん伊達メガネはこのオーディションに俳優生命を掛けていた。

そして、オーディション会場で、自分の順番が回って来るのを今か今かと待ちわびていた。


おっさ伊達メガネには確信があった。

今回の役柄はハーバード大学卒業のエリート数学者で、数学の知識を活かして難事件を解決するものであった。

おっさん伊達メガネはこの役は自分の為だけに作られたものだと感じ、特別な役作りは一切必要無いとさえ思っていた。

昨日の夜にはオーディションに合格する夢もしっかり見ており、準備に余念は無かった。


いよいよおっさん伊達メガネの順番が回って来た。

扉を開けるとそこには憧れの舞台監督を含めた5人の審査員が座っていた。

「それではまず、あなたの名前を教えて下さい。」

おっさん伊達メガネは緊張の余り自分の名前を忘れてしまった。

早く何か言わないといけないという焦りでパニックになった。

「と・・・トムです。」

「事前に送って頂いた資料と名前が随分違いますが?」

「実は昨日、両親が離婚して名前が変わりました。」

おっさん伊達メガネは嘘をつくのが得意なので、これでこの難局を上手く乗り切れたとそっと胸を撫で下ろした。

「では、トムさん。あなたの演技力を見たいので、これから喜怒哀楽を表現して貰います。」

「まずは怒りの演技をお願いします。」

おっさん伊達メガネは所属している劇団でも、一度もちゃんとした役を貰った事が無かった。

セリフをいつも全く覚えないので、与えられる役は動物だったり、心を閉ざした無口なおっさんの役ばかりであった。


おっさん伊達メガネは一呼吸置いて、オハコの怒り狂う犬の演技を始めた。

審査員達はこのふざけた演技に耐え切れず、オーディションに泥を塗ったと激しく罵り、

犬を演じ続けるおっさん伊達メガネに直ちに演技を止める様にと、会場に響き渡る大声で怒鳴りつけた。


しかし、舞台監督だけはこの時、50年に1度のダイヤの原石を見つけた様な表情を浮かべていた。


それから3日後、おっさん伊達メガネの元にオーディションの合否の連絡が入った。

おっさん伊達メガネは合格を告げられ、大喜びした。

渋い演技をする為に、これから高倉健の映画を2本観て勉強しようと考えた。

しかし、彼が与えられた役は主役の数学者では無く、主役の相棒である近所のおっさんのそのまた相棒の麻薬犬の役だった。

それでもおっさん伊達メガネはオーディションに初めて合格したので、舞い上がっていた。


それから、おっさん伊達メガネは雨の日も風の日も、朝から晩まで公園で散歩している犬を見て研究し続けた。

初めはどの様に演じれば良いのか、その答えが見つからず悩み苦しんでいた。

公園に行くのが段々と怖くなり、挫けてしまいそうにもなった。

しかし、最高の演技をする為に決して諦めなかった。

そして彼なりの"犬"の答えを導き出す事に見事成功した。


舞台当日、おっさん伊達メガネに向かって、舞台監督が声を掛けた。

「この舞台の成功は君が演じる麻薬犬に懸かっている。頼んだぞ。」

「はい、頑張るワン!」

舞台直前、おっさん伊達メガネの精神は人間と麻薬犬との狭間を行き来していた。


おっさん伊達メガネに与えられた出演時間は僅か30秒であった。

舞台に立つと、おっさん伊達メガネは自分というものを完全に捨て去り、

まるで、麻薬犬が憑依したかの様に完璧に麻薬犬に成り切っていた。


舞台の最中、急におっさん伊達メガネは遠吠えを上げ、四足歩行で客席へ駆け出した。

おっさん伊達メガネは必死で観客の男が持つバッグに噛み付き放そうとしない。

すると、バッグが破れ、中から何と白い粉が飛び出した。

たまたま隣に座っていた刑事がその粉を舐めると麻薬である事が判明した。

「これで麻薬密売グループを一網打尽に出来る。彼こそ正しくお手柄麻薬犬だ。」

刑事は子供の頃に児童劇団に所属しており、自分と麻薬犬に賞賛の拍手が送られると思った。

スポットライトと拍手を受ける準備は既に出来ていた。

しかし、観客は麻薬の事よりも麻薬犬と刑事に舞台を中断された事に腹を立てた。

それに加え刑事のこのセリフの様な言い方が気に食わず、その事も彼らの怒りをヒートアップさせる要因となった。

「お前達!とっとと、ここから出て行きやがれ!」

会場はお手柄犬とお手柄刑事に冷たかった。

お手柄刑事はこの演劇を1年前から楽しみにしており、今日の仕事も仮病を使って観に来るという熱の入れ様であった。

しかし、この場にこれ以上居るのは無理だと思い、お手柄麻薬犬を連れて会場を後にした。


外は冷たい雨が降っていた。

お手柄刑事はこの寒空の様に世間がどんなに冷たくても自分だけはこの立派なお手柄麻薬犬を褒めてあげようと思った。

しかし、お手柄麻薬犬はお手柄刑事に全く懐いていなかった。

彼が少し目を離した隙に四足歩行でずぶ濡れになりながら逃げ出した。


次の日の朝は、昨日の雨が嘘の様に晴れ渡っていた。

「さあ、ごはんよ。ヨークちゃん。」

西洋風の邸宅の広々とした庭で、西洋風の家主のおばさんが高級ドッグフードを用意し、遠くを歩く愛犬のヨークシャテリアに呼び掛けた。

その声を聞きつけ、お腹を空かせたヨークシャテリアは駆け出した。

すると突如、それよりも早い猛スピードの四足歩行でおばさんに近付く人影が現れた。

おばさんは突然の出来事に不意を突かれ、驚きの余り叫び声を上げながら尻餅をついた。

その人影の主は、一晩経っても麻薬犬の感情が抜け切れないお手柄麻薬犬であった。

お手柄麻薬犬はヨークシャテリアを押し退け、ドッグフードを独り占めして綺麗に平らげた。

おばさんは命の危険を感じ、震える手で警察に電話をし、通報した。


お手柄麻薬犬は暴れる様子も一切無く、無事に警察に連行された。

そこで事情聴取する事となったのは昨日のお手柄刑事であった。

お手柄刑事は周りの刑事に昨日の仮病がばれると思い、お手柄麻薬犬とは初対面の振りをした。

お手柄麻薬犬は言葉を理解していない様子で身元も不明であった。

仕方がないので、住居侵入とドッグフード窃盗の罪で暫くの間、牢屋に入れる事となった。

檻に入れられた経験により、おっさん伊達メガネは麻薬犬として一皮剝け、より犬らしくなる事に成功した。



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