第4話 国の騎士をやめ、抜け出す



「じゃあ、俺も行く」

「……えっ?」

「俺も、フラーと一緒に旅についていくよ」

「え、えええぇぇ!?」


 私は思わず叫んでしまった。

 会場中に私の声が響く、そのくらい大きい声で、そして目立ってしまっている。


 しかし今はそんなこと気にしてられない。


「じょ、冗談でしょ、ジル。私、国を出るのよ? お出掛けする、とは違うのよ?」

「うん、わかってる」


 ……本当にわかってるの? ずっと無表情なんだけど?


 私と一緒に行くとなると、この国で築き上げた地位や功績を全て投げ打つことになる。

 世界最強とまで言われるほど強くなったジルが、私一人のためにそれらを捨てることなんて、絶対にありえない。


「ダメよ、ジル。貴方はこの国の騎士でしょ? 子供の頃の友達だった私のために、騎士を辞めちゃいけないわ」


 私がそう言うと、ジルはまた眉を少しだけ顰めた。

 なんとなくだけど、悲しんでる……のかしら?


「……違う。俺は、騎士じゃない」

「えっ?」


 騎士じゃない? どういうこと?


「……フラーは、覚えてない?」

「何をかしら?」

「俺が君と、約束したこと」

「約束? なんだったかしら?」


 子供の頃に、ジルとした約束……あっ、もしかして。


「一緒に旅に出ようって約束したってこと……?」


 誰かとそんな約束をしたことは覚えているけど、まさかジルだった?


 いや、そうだ、確かにジルだった。

 学校の裏庭でそんな話をしたことがあった気がする。


「……うん、そうだよ」


 やっぱりそうだった。


 私が昨日、久しぶりに思い出したことを、ジルはずっと覚えていたのかも。


 そう考えると罪悪感が……。

 だけど八年以上も前に約束したことだし、私達の関係もだいぶ変わっている。


 しかもその八年間、全く交流がなかったのだ。


 いきなり八年前の約束を引っ張って、「ついてきて」なんて言えるわけもない。


 いや、言ってるのはジルのほうからなんだけど。

 逆になんでジルは八年も前に約束したものを、守ろうとしているのだろうか。


 私についてくるメリットなんて、ジルには何もないのに。


「ま、待ってくだされ!」


 私がそんなことを考えて混乱していると、横から割って入ってくる声が聞こえた。


 そちらを向くと、宰相が少し慌てた表情でこちらにやってくる。

 その後ろには第一王子のバンゴ様もいる。


 どうやら今の会話はこの会場中に響き、壇上にいたバンゴ様にも届いたようだ。


「ジ、ジルローラ殿、ご冗談もほどほどにしてくだされ。何やら聞いていると、我が国の騎士団を離れようとしているという話が聞こえてきましたぞ」


 宰相が汗を拭きながら、冗談めいた感じでそう言った。

 騎士団の騎士、それも世界最強とまで言われているジルを手放そうとする国なんて、どこもないだろう。


 なんとしてでも手放したくないはずだ。


「しかも今はとても大事な戦争を控えているのですぞ。そんなご冗談を……」

「冗談じゃない」

「なっ!?」


 ジルの即答した言葉に、宰相もバンゴ様も目を見開いて驚く。


「申し訳ないが、俺は本日を持って騎士団を退団させていただく」


 ジルはこんな大勢の貴族、王族もいる前で、そう言い切ってしまった。

 さすがにこれはやばくなってきたんじゃ……!


「ジルローラ殿。気は確かか?」


 バンゴ様が宰相の前に出て、ジルを少し睨みながら問いかける。


 宰相は慌てているようだが、バンゴ様はなぜかまだ余裕を持っているようだ。


「なぜこの国を出て行こうとするのだ? まさかそんな女のため、とでも言うではあるまいな」


 婚約者だった私を蔑むように一瞥してから、ジルと目線を合わせるバンゴ様。

 この会場にいる全員が喋らずに、この話の成り行きを見守っている。


「……」

「この国以上に、貴殿の腕を評価するところはないぞ。待遇が気に入らないのであれば、そうだな。俺の権限で、貴殿を公爵まであげてやっても構わないぞ」


 バンゴ様の言葉に、周りの貴族達も思わず声を上げた。


 男爵から公爵への昇格なんて、今までに前例がないと言っても過言ではない。

 これほどの高待遇、誰も見たことも聞いたこともないだろう。


 だが……。


「結構です」


 即答でそう言い切ったジル。


 その言葉に周囲のざわめきは一切消え、バンゴ様の余裕の笑みも消えた。


「……なんだと?」


 苛立ちを隠せないバンゴ様は、言葉に棘を持たせて続ける。


「第一王子である俺が、特別に公爵まで上げてやると行っているのだぞ?」

「どうでもいい」

「っ、ふざけたことを……!」


 貴族の爵位なんてものはどうでもいい、とジルは多分言っているのだろうけど。


 言い方と相手が悪い。

 この国の第一王子に「お前からの特別扱いなんてどうでもいい」と言っていると同然なのだから。


 バンゴ様はジルに睨みを効かせているようだが、ジルはどこ吹く風といったように何も変わらない表情で見下ろしている。


 するとバンゴ様が目線を逸らし、私の方をチラッと見て。


「本当にそんな女のために、騎士団から抜けるというのか? わかっているか? 貴様は、我が国を敵に回すと言っているのだぞ?」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 そう、確かにその通りだ。


 私が家を出て旅に出る、というのは別に国を敵に回す行為ではない。

 ただ勘当されて、自分から国を出ると決めているだけなのだから。


 しかしジルの立場は全く違う。

 騎士団に所属しているジルは、こんなところで不敬な態度を取り、国を出て行ってしまったら……国家反逆罪となる可能性が高い。


「そんな男爵の女程度、ここにはそれ以上の階級がいくらでもいるぞ。容姿も同じかそれ以上に整った女もいる」


 ……爵位に関してはもちろんそうだけど、容姿に関してはバンゴ様に言われたくない。


 十歳の頃の容姿を気に入って私を婚約者にしたのは、どこの誰だ。


「ジルローラ殿の男なら、よりどりみどりなはずだ。わざわざそんな下級な女を――」

「――黙れ」


 瞬間、この辺り一帯の空気の温度が下がった。


 空気が凍った、とかいう比喩表現ではない。

 物理的に、寒くなったのだ。


 なぜなら私達の前に、いきなり大きな氷が現れたからだ。


「なっ!?」


 いきなり氷が出てきて驚いていたが、さらに驚くのはバンゴ様の下半身が氷漬けにされていたことだ。

 誰がやったのかなんて、明らかだ。


 氷漬けにした張本人であるジルが、バンゴ様を冷たい目で見下ろす。


「き、貴様……! 第一王子の私にこんなことを、どうなるかわかっているのか!?」


 怒りでそう言い放つバンゴ様だが、抜け出す方法なんて何もなく、下手に動いたら大ごとになるから何も出来ていない。


「――俺の大切な人を、馬鹿にするな」


 その言葉に、会場中の空気が冷たくなっているにもかかわらず、私の顔は熱を持ち始めてしまう。

 い、いきなり何を……!


 いや、そんなことより、これ、本当に取り返しがつかないんじゃ……!


「衛兵! 何をしている! さっさとこの反逆者を捕まえんか!」


 動けないバンゴ様が会場にいる衛兵にそう叫ぶ。


「わ、私達だけじゃ、ジルローラ様を捕まえるなんて……!」

「貴様ら、十人はいるだろ! 一人相手に何を言っている!」

「無理に決まってます!」


 どうやら衛兵も混乱しているのか、全然ジルを捕まえようとしてこない。

 だけど、これはマズい、本当にジルが犯罪者になってしまった。


 私はどうすればいいのかわからず、ただ混乱していたのだが……。


「フラー」

「えっ……!」


 ジルがいきなり近くに来たと同時に、私は一瞬の浮遊感を覚える。

 そして気づくと、私はジルに横抱きにされていた。


「ちょ、ちょっと、ジル!」

「行くよ」


 瞬間、ジルが驚異的な跳躍力を見せ、十メートルくらいの高さにある窓ガラスを破り、そこから抜け出した。


「きゃぁぁぁ!」


 王城の上層に位置していたはずの会場。

 そこの窓から飛び降りるなんて……!


 そう思っていたのだが、私を抱えた状態なのにジルの着地は衝撃もなく、なんとも優雅に降りていた。


「フラー、うるさい」

「あっ、ごめんなさい……じゃなくて!」


 私は文句を言おうとしたけど、着地してすぐにまたジルが走り出す。


「もうちょっとここから離れてから」

「ちょ、待っ……!?」


 私の静止を無視して、ジルは高速で移動する。


 人に当たらないようにするためか、建物の屋根をつたって走るのでちょっと怖い。


 とゆうか、今さらだけどこの抱え方……お姫様抱っこだ。


 まさか八年ぶりに話した泣き虫のジルに、こんなことをされるとは。


 私も落ちないためにと必死で、ジルの首に抱きついてしまっていた。


 ……私、重くないかしら?

 だ、大丈夫よね、そこまで太ってるわけじゃないし……。


「フラー」

「へっ!? な、何かしら?」

「首、締めすぎ」

「あっ、ご、ごめんなさい」


 緊張して思わず抱きしめる力が強くなってしまっていたようだ。


「大丈夫、安心して。絶対に落とさないから」

「っ……うん」


 そ、そんなことをさらっと言う子になったのね。


 私はそれから黙って、ジルに抱えられたまま夜の街の光景を見ていた。



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