王太子は戦乙女とともに謎へ挑む03
クロム王国の王都の北部、特に水はけが悪く日照時間が短い区画に貧民街はある。
日銭を稼ぐのも精一杯な者たちからヤクザの下っ端がたむろする、あまり治安のよくない地域だ。
ここ最近は裕福な貴族の道楽で炊き出しや援助が行われているので、通路は綺麗になっており住民たちの生活にも余裕が出来ている。
大きな事件も起こらず、住民たちは貧しいながらも穏やかな日常を過ごすことが出来ていた。
───……しかし悪意はその平穏の中でひっそりと、だが確実に息づき、育っていたのである。
路地の一番奥まった場所に建てられた古家に、薄汚れた上着をまとった男が入っていく。
そこはこの男の住処では無かったが、ごく自然な態度をしていたので通行人は誰も疑問に思わなかった。
扉を閉めて男は、埃っぽい部屋の中をきょろりと見渡す。
部屋の中には大勢の男女が忙しなく働いており、皆顔色を悪くしながらも鬼気迫る表情をしていた。
粗末な造りの剣や銃をいくつも運ぶ者、テーブルで地図を広げて何事か話し合っている者、眉間にしわを寄せながら小さな装置をいじっている者……。
部屋の中は張りつめた空気が漂っている。その空気の一部に自分もなりながら男は、隅の机で作業している者の隣へと歩み寄った。
「用意できたか?」
「ああ、魔法爆弾はこれでじゅうぶんのはずだ。投げるだけで大勢殺せる」
作業をしていた男はにやりと唇の端をつり上げながら、古びた机の上に転がっていた物体を見せて振り返る。
淡い青に発光しているこぶし大の球体だ。これは魔力が多量に含まれた装置で、スイッチを押して投げれば爆発する兵器である。
ごく最近開発された最新兵器なのだと、自分たちに協力してくれる貴族から設計図が送られてきたのだ。高価な部品の類も同時に、こちらに流してもらえている。
ここに集まっている人間は、その貴族が開いた魔法学校の説明会に参加したものたちだ。
もとより国のやり方には不満を持っていたが、説明会でとある貴族の令嬢の話を聞いてさらに怒りが燃え上がった。
現王太子は人民を人とも思わぬ外道で、自分たちの利益と贅沢のみを考えているらしい。
婚約者に一方的に婚約破棄を言い渡したという噂も、その信ぴょう性を高めている。
主催者の貴族とともにやって来た令嬢は自分たちのために色々と動いてくれ、有益な情報を与えてくれていた。
男はその情報を頭の中で反復させながら、再びぐるりと部屋の中を見渡し全員に声をかけた。
「今日の夜に作戦は決行する。それまでに皆、準備は終わりそうか?」
「平気だ」
「こっちも大丈夫よ。国をひっくり返してやりましょう」
緊迫した雰囲気の中で、それでも仲間たちは目を輝かせて力強く頷く。
彼らの為にも、今夜の計画は成功させねばならない。否、例え万事うまくいかずとも、自分たちの決意はこの国を変える礎となるだろう。
やがて一同は準備を終えて、王都は夜を迎えた。仲間たちはひっそり息をひそめて古家を出て、手筈通りに町中へ散っていく。
男は他数人とともに、裕福層が住む王都の西側の区画……親王派と名高い貴族の屋敷の近くへと足を運んだ。
明かりは街灯がぽつりぽつりと立っているのみ。この時間は警邏の人間がちょうど交代する頃合いで、警備が手薄になることは調べがついている。
その隙を狙って自分たちは剣と魔法を使い、貴族たちの生活を破壊するつもりであった。
街中に散った仲間たちも、そろそろ持ち場についただろう。時間だ、と他の仲間たちと頷き合い、男は抱えていたずた袋に隠してあった魔法爆弾を取り出す。
自分が貴族の屋敷に爆弾を投げ込んだのを合図に、他場所の仲間たちも貴族への攻撃を開始する手はずになっている。
武者震いで僅かに呼吸が早くなる。魔法爆弾を握る手にじっとりと汗がにじむ。
この屋敷に住む者は自分たちの苦労も考えず、のうのうと暮らしている。きっとあの中には平民には手の届かぬ贅沢が、山のようにあるのだろう。
それを思うと頭の中を熱い怒りと鋭い正義の心が支配する。
今一度深く呼吸をして、男は強い力で握った爆弾を振りかぶり、屋敷の塀へ向けて投げ込んだ。
「させんぞ」
───刹那、男の鼻の先すぐを、声とともに何か素早く大きなものが過った。
突然のことで動けぬ一同の耳に、ひゅん、と何かが鋭く風を切る音が届く。
「何だ?」と思った瞬間、宙を飛んでいた魔法爆弾は真ん中から二つに分かれていた。あ、と思う間もなく爆弾はぼとりと音を立てて地面に落ちる。
爆発はしなかった。部品が組み込まれた爆弾の断面を、男は呆然と見つめる。
「な、なにが……っ」
「間に合ったな」
かちん、と剣を鞘に納める音に導かれて、一同は役立たずの爆弾のわきに立つ影を見上げた。
闇の中でもわかる銀髪碧眼の麗しい美貌の男。猛禽類のように鋭い眼差しで自分たちを見回しているその顔には見覚えがあり、一同ははっと目を見開いた。
「カイル王子だ!」
「俺たちを殺しに来たんだ!!」
「ちくしょう!いつもいつも王族のせいで……!」
仲間たちの中に動揺と怒りが広がっていく。
自分たちの希望はここまでなのかと絶望しかけたが、しかし相手は一人。他に兵士らしき影はない。持っている者も腰に下げたロングソードのみのようだと気付いた。
これなら自分たちでも勝てるのでは?男がそう思ったと同時に、他の者たちもそれを察したようだ。
男は貴族の屋敷に討ち入る時に使うはずだった粗末な銃を取り出した。仲間たちもそれぞれ手に武器を握りしめている。
カイルの片眉がぴくりと持ち上がった。
「……お前たち、大人しく投降しろ」
「ふざけるな!もう後には引けねえ!お前を殺して、必ず貴族をぶっ倒してやる!!!」
言って男はカイルに向かい銃を向けようとした。
その瞬間、小さな足音がこちらに向かって駆け寄って来た。
「皆さま、どうか落ち着いてくださいませ!」
まだ幼さの残る少女の声が、騒然とする場に凛と響いた。
ぎょっとする一同の前に、小さな影が躍り出る。
「ナタリア様……?」
その影の正体にいち早く気付いた仲間が、彼女を見つめて呆然とその名を呼ぶ。
そこで自分たちを真っ直ぐに見ていたのが、美しい銀色の髪と青色の目の少女だと気が付いた。
少女……王女ナタリア・ロックウェルは、薄暗い街頭の下でも輝かんばかりの存在感を放ち、男たちと向き合っていた。
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