「」あのね…
結望人
〜プロローグ〜
僕は帰路を急いだ。さっきまで友達とお喋りをしながら帰っていたけれど内心気が気じゃなかった。朝起きた時から、学校の間もずっとそわそわしてたんだ。だから家の前の1本道から走って帰った。その道は80mくらいの短い道なのにその時はとても長く感じた。走りながら、早く知りたいから家に着きたいような、それでいて知りたくないからまだ着かないでほしいような、期待と不安が入り交じった感情でこころはぐちゃぐちゃだった。
家の前に着き、僕は自分のこころのぐちゃぐちゃを全部吐き出すように大きくひとつ深呼吸をして、勢いよく玄関の扉を開けた。
「ただいま!」
返事は返ってこない。はやる気持ちで靴を脱ぎ捨ててリビングへとつながるドアを開けた。心臓の音がばくばく言ってうるさかった。
扉を開けてまず目に飛び込んだのは、何かの資料を持ってこちらに斜めに背を向けて正座で座っている母の姿だった。薄暗い部屋の中で、そこだけが異様な雰囲気を纏っていた。僕はドアノブを手で握ったまま、1歩も動けなかった。心臓が、どきんっと大きくひとつはねた。
永遠とも言える一瞬が過ぎてやっと僕は動き出せた。
「た、だいま…」
僕は母に近づきながら、そう言った。あえて結果はどうだったかなんて聞かなかった。すると母はようやくこちらを向いて、今にも泣き出しそうな顔でこう言った。
「双葉中学校の制服作りに行こう。」
一言だった。たった一言。でも、それは僕にとって十分すぎるくらいの言葉だった。気がついたら涙が頬を伝っていた。拭っても拭っても溢れてくる。僕は泣きたくないのに自分の意思に反して溢れてくる。
母は僕を抱きしめた。きつくきつく抱きしめて離さない。母の涙からは「ごめんね、ごめんね」って声が聞こえるようだった。ごめんの涙が僕の左肩から染み込んでこころに届いた。お母さん、謝らないで。ごめんって言うのは僕の方なんだ。実はちょっと思ってたんだよ。もしかしたらだめなんじゃないかって。でも僕はこころが弱くて、そんな考えすら受け止められなかったんだ。本当は分かっていたのに。だから、ごめんね。お母さんにも辛い思いをさせてしまってごめんね。でもね、こうは言っても僕やっぱり悔しいんだ。分かっていたはずなのに悔しい。どうしてだろうね。矛盾ばっかりだ。
僕は今日、人生の岐路に立った。初めて自分で選択したけど結局そっちの道には行けなかった。今日決まった新しい道が今後どうなっていくかだなんてまだ分からないけれど、母とふたりで流した涙には後悔と希望が混ざっていた気がするんだ。窓の外には、僕の気持ちとは裏腹にきらきらと輝いた夕陽を浴びたフクジュソウが一輪咲いていた。
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