クジャクヤママユ

白雲

prologue

 2024年9月2日

 蝉の音が鼓膜にガンガン響いてきて、残暑だなぁなんて思っていた。

 夏休みが終わった小学生がランドセルにぎっしり物を詰めて一列で歩いている。だらだら汗を流しながら黄色い帽子を被って登校する様子は、実に異様だ。毎年そう感じる。暑すぎて折角コンビニまで行って買ったアイスが溶けてしまいそうだ。

 近頃は道端で沢山生き物が死んでいる。ミミズなんて、干からびるにはもう遅いのにカラカラになっているし、内臓が飛び出したカエルなんてしょっちゅう。ここらは虫が多いので私のような虫嫌いからしたら苦痛である。

「こいつ、まだ生きてるね……」

武蔵ムサシなら踊り食いできるんじゃない?やってみなよ」

腹部がえぐれていて口をパクパクさせて苦しそうに藻掻いているカエルが地面にへばり付いていた。車にでも引かれたのだろう。

 武蔵が潰れた脚を道路からぺりぺりと引っぺがすと、

「駄目だね、こりゃ」

そう言って近くの用水路に流した。ぽちゃんという音が生々しい。冗談のつもりだったのに。覚束ない泳ぎで何とか浮いているカエルはすぐに視界から消え、流れていった。きっと傷口が染みるだろう。

「…………そう」

日差しがじりじりと私たちを焼いていく。日焼け止め塗ってくればよかったな、とか呟きながら足を動かす。

「あのさ…………俺さ」

「…ん?顔赤いよ、ダイジョブ?」

暑いからか、武蔵の顔が異常に真っ赤だった。昔から、そういう体質だが今日は尋常じゃない。

「だ、ダイジョブ。何でもない!」

何でそんな焦ってるんだよ、大丈夫じゃないだろ、とは思いつつこれ以上はおせっかいになるのでやめておく。

 お互いに付き合う上でしつこくしない、干渉しないのが絶対のルールだからだ。

「あ」

ふと顔を上げた。その時、突然私の目の前に現れたのはすごく、それはもうとても獰猛ドウモウそうで気味が悪い蛾だった。熱気にやられたのかひらひらしていて、なぜか目が離せなかった。

「あ…………ぁ…………」

瞬きもせず目で追ってしまってじりじり、きりきり、眼球が太陽に照らされる。握りつぶせないほど大きな身。茶色の羽に四つの黒い目のような丸印。触りたくないという気持ちを彷彿とさせる触覚…。おまけに胴体には産毛のようなふさふさしたものがびっしりと生えていた。私のことを睨んでるような気がして、背筋に寒気が伝った。

 

あの蛾には見覚えがある。


そうだ、これはあの時の…………。





___そこからの記憶は全くない。突然倒れた私を武蔵が担いで家まで送ってくれたそうだ。酷い熱ではぁはぁ息を荒げていた私を見て、思わず救急車を呼んだらしい。気付いた時には病院に運ばれていた。

「…………細川さん、こんにちは。佐輪総合病院口腔外科の医師の御手洗ミタライです」

30代くらいの若い医者だった。何故かいつも行く病院ではなく隣町の総合病院に搬送されていた。

 ドラマで見るような広めの個室で、ベットもふかふかだった。薬が部屋に充満していてほんのり鼻を衝くような病院特有のにおいが私を纏っていた。

 私はまだ息が苦しくて、すーはーすーはーと息をしていた。なんだか呼吸が普段より格段にしにくくなっている。身体も動かしづらく、動くと筋肉がみしみしと音を立てた。少しばかりの恐怖心と不安感、そして痛みがある。

「搬送されたときすでに口腔に異常が見受けられました。検査をした所、口腔内にも異常が見当たりましたので口唇部分を切除して処置しようと試みました。ですが、…………」

それからよくわからない説明を受けた。医学用語が大半で、何が言いたいのだろうと思っていた。図や資料を指し示してくれるのだが、目が濁っていてよく見えない。

 だらだらだらだらと聞き流していると、個室のドアが開いた。20代くらいだろうか。お団子ヘアの可愛らしい女性が私の横まで歩いてきた。

「こ、こんにちは、私は専属の看護師の中宮です。今日から細川様のお手伝いをさせていただきます。何か困ったことや手伝って欲しい事があったら私をお呼びください…」

まるで執事のようだった。看護師とは思えない程腰が低くて、丁寧だった。動きは機敏ではなく少しやおらだ。新人かもしれない。

「じゃあ、お茶が飲みたいな。喉が渇いちゃってさ…」

「えっ」

看護師は戸惑ったような顔をして医師の方を向いた。医師も何故か驚いたようで目を丸くしていた。

「あ、あぁ、はい、すぐお持ちします!」

何を焦っているのかわからないが、持ってきてくれるようだ。本当に喉が渇いてがらがら、奥がひりひりする。

「あの、細川さん。少しお話があります。大事な話です」

突然医師が口を開いた。真剣な顔で、私のことをまっすぐ見ていた。話なんてさっきあんなにしたじゃないか。そう思ったが、看護師や医師の異様な反応が私の頭をよぎった。

 何故看護師はお茶を持ってくるだけのことにそんなに慌てた?口腔外科の医師が何故私と話している?いや、そもそも私はなんで隣町の病院に運ばれて治療を受けているんだ。

 わからない。何もわからない。急にふつふつと疑問が湧いてきた。


 自分のことのはずなのに、私は何も知らない。


 その事実に気づいたら怖くて仕方がなくて、お茶を持って戻ってきた看護師を見た途端嘔吐してしまった。






                            続く

 

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クジャクヤママユ 白雲 @Shirakumo_humu

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