第22話 また喧しいのが一人増えました。

 それきり、私達は互いに一言も口を利かなかった。帝付病院についた後は私のナビゲーションの指示だけが、淡々と車内に響いた。


 最初は色濃かった残滓も病院を離れるにつれて段々と濃度が薄くなり、私は久々に霊視の魔眼の能力を酷使した。脳みそがオーバーヒートを起こしたかのような、独特の苦しさ。この感覚を味わうのは、鴉場研の人達に魔眼の限界性能を測定させられたとき以来だった。


 僅かに残っていた残滓はいつしか完全に消え失せて、そうして私達が辿り着いたのは、都内の外れにある寂れた廃工場だった。荒御魂はここまで来たところで余剰エネルギーを使い果たして、言い換えれば激情に駆られるのに疲れ果てて、通常の霊魂へと戻ったのだろう。


 瑞稀は降車すると、後部座席に置いてあった霊槍を取り出した。体格に恵まれた瑞稀が持つと、カナが手にしたときより一回りも二回りも小さく見える。カナもバイクの格納スペースから霊槍を取り出して、こちらに向かってくる。私達は二、三時間ぶりの合流を果たした。


「ここの廃工場が霊魂の逃げ場所? 僥倖だね。近くに人はいないし施設もとっくに閉鎖されているみたいだから、もしまた干渉が起きても被害が少なくて済む。よっと……っ!」


 裏門を探したり塀をよじ登ろうと試みたりすることなしに、カナは堂々と正門の鍵を霊槍で破壊する。相変わらずの脳筋っぷりに、私と瑞稀はついつい互いに顔を見合わせた。


「よし、開いた。それじゃ行こ――って、二人共? さっきから、なに意味ありげな顔で見つめ合ってるの? なんか、急に仲良くなってない?」


「「なってない!」」ハモった。私と瑞稀はものすごく嫌そうな顔つきで睨み合う。「真似しないでください」「そっちこそ」「私のほうがちょっとだけ先に口走ったんですけど」「誤差レベルでしょ? 第一そんなんで一々張り合わないでよ。ガキかよ」「はぁ? 先にガン飛ばしてきたのそっちですよね?」「あの、やっぱり仲良く――」「「なってない!」」


「……そう? まあ、何でも良いけど。……はぁ、このコンビ意外と面倒くさいな」


 カナは小声で悪態を吐きつつ、正門から中に入った。私と瑞稀も何度か悪意の視線の応酬をしながら、後に続いた。ショッピングモールを出たのが午後だったこともあり、日は既に西に傾いている。人の出入りが途絶えて久しいであろう廃工場が橙色の斜陽に照らされるその様は、今まさに火葬が行われているかのようにも見えた。近くにある雑木林に潜む蝉たちが、加減なしの大合唱を響かせていて喧しい。


 私達は敷地内をぐるっと回る形で、この辺りにいるであろう霊魂の姿を探す。


「――いました。あそこです」


 工場裏手の、膝上くらいの高さにまで成長した下草が野放図に生い茂る広場。その中の、ちょうど工場の壁沿いの真ん中の辺りで、雅で繊細な印象を受ける淡いブルーの色合いをした霊魂が、ひそやかに佇んでいるのが見えた。


「うん、私の人工魔眼でも確認できた。それじゃあ手筈は……」瑞稀はほんの一瞬だけ、さり気なくカナのことを見やった。「霊具への憑依は澪ちゃんにお願いしてもいいかな。私は工場の中に入って、霊魂の側の窓から警戒しておく。緊急時に対応できるようにね。それでいいかな?」


「構いませんよ」私はコクリと頷いた。が、思わぬところから反対意見が出た。


 私がポシェットの中をもぞもぞやって手鏡を取り出した瞬間、「え、待って。もしかして私の意見聞くことなしに同居させようとしてる?」ありえねー、とでも言いたげに抗議してくるエアさん。瑞稀はエアさんとは初対面のはずだけど、へぇこれが、と興味深げな面持ちでじろじろと鏡面を観察し始めたので、私がお手洗いに行っている間に話は聞いていたのだろう。


「は? 当たり前ですよね? どうせ大したエネルギーも持ち合わせてないんだから、いないも同然じゃないですか。なに一丁前に文句言ってるんですか?」


 相変わらずエアさんに対する当たりが強いカナ。また口喧嘩が始まる、と私は身構えたけど、意外なことにエアさんは反論しなかった。


「……ま、そのくらいは別にいいけど。一応、お願いを聞いてもらってる身だしね。ちょっとくらいは妥協してあげる」


 カナは拍子抜けしたような顔つきになりながらも、それは殊勝な心がけですね、と尊大な口振りを崩さない。だが何にせよ、これで作戦は定まった。私とカナは一旦瑞稀と別れ、瑞稀がポジションに付くのを待つ。程なくして電話がかかってきて、配置についたことが伝えられる。私とカナは目配せをしてから、二人並んで工場の影から出た。


 ザク、ザク、と背の高い雑草を踏みつけながら、霊魂の下へと向かう。ラムネ瓶のような淡い青色の靄が縦に伸びる。きっと立ち上がったのだろう。私達は霊魂を刺激しないように、ゆっくりと、落ち着いた足取りで近づいていく。


「カナ、止まって。このくらいでいい」


 霊魂まであと三メートルくらいの地点で、私は足を止めた。この辺りまで近づけば、手鏡に憑依させることは可能となる。私は一度、手元の古びた鏡へと視線を落とす。そうして再び顔を上げ、早速霊魂を憑依させようとしたところで――


「……っ⁉ 何のつもり、瑞稀さん⁉」


 ガキンッ! と耳をつんざくような金属音が鳴り響く。咄嗟に顔を上げると、ガラスの割れた窓から飛び出してきた瑞稀と、何の予備動作もなしに前方へと疾駆したカナが、霊槍の鋭利な先端を激しく打ち合わせたところだった。瑞稀は霊魂へと霊槍の先端を突き立てんとし、カナはそれを阻むように霊魂の前で霊槍を構えている。


「相変わらずいい反応だね! 私の邪魔をしなけりゃ、褒めてあげたとこだったのに……っ!」


 瑞稀は憎々しげに顔面を歪ませながら、カナのことを鋭く睨みつけた。大きく、それでいて隙を感じさせない曲線的な軌道で、霊槍を横薙ぎに振るう瑞稀。カナは唐突な瑞稀の裏切りに呆然とした、それこそ、何が何だか分からないとでも言いたげなひどく狼狽した顔つきになりながらも、身体の方は正確に近未来チックな槍を操り、瑞稀の霊槍を弾いていく。


「邪魔って……どういうこと⁉ 瑞稀さんは今、霊魂のことを話もせずにいきなり回収しようとしたの……⁉ 一体どうして⁉ あの霊魂はタタリ事件を引き起こしたとは言え、今は落ちついた状態だったでしょ⁉ その気になれば、対話は可能だったはずなのに――」


「だから、何だって言うんだ……っ!」鬼気迫る表情で、叩きつけるように吐き捨てる瑞稀。


 体格で勝る瑞稀から力任せの一撃を受け、流石のカナも後ろにたじろいだ。


 突如として始まったカナと瑞稀の戦闘に、私はひどく混乱する。だってこれ、どういうこと? 確かに瑞稀は、自分が霊魂回収を行っているのは単なる善意じゃないと口にしていた。でもだからといって、こんなことをする必要はどこにもないというのに。


「いい⁉ 私はあの霊魂を、絶対に殺さなきゃいけないんだ! 対話なんかする必要はない!」


「……っ、え。そんな……瑞稀さん、何を、言って……」


 その場に崩れ落ちていないのが不思議なほどの、弱々しい声と表情だった。


 ああもう、なんのつもりだよ⁉ 私は忌々しげに舌打ちしつつ、カナの前に躍り出る。瑞稀は一度ハッとしたような表情を浮かべてから、赤色の人工魔眼を剣呑に眇めてみせた。


「どいて澪……っ! 私は本気だっ、邪魔するつもりなら怪我させることも辞さな――」


「うるさい……っ! ガキみたいにキレてないで、ちょっとは落ち着いたらどうですか……!」


 私は真正面から瑞稀のことを見据えつつ、射抜くような眼差しを向ける。すると、先程まで憤怒の形相で荒れ狂っていた瑞稀が、少しずつ平静さを取り戻す。私とカナに向けられていた霊槍の矛先が、ゆっくりと下に落ちていく。私は一度、小さく息を吐きだしてから続けた。


「どんな私情があるのかは知りませんけど、瑞稀さんの目的が霊魂を強制的に回収することにあるのなら、その目論見は既に破綻しています。初手をカナに防がれた時点で、とっくに」


「……そのようだね」苦々しい顔つきになりがら舌打ちをかます瑞稀。「どさくさに紛れて逃げ出したみたいだ。今の刺激でまた荒御魂化したのかな。けど、私の魔眼じゃ澪のように追跡することは不可能だ。……作戦失敗、か。クソ、場当たり的な計画だったのが良くなかったな」


 一人で冷静に反省会をしつつ、大きく嘆息する瑞稀。煉獄の炎のような夕日に炙られる今の瑞稀の面差しは、飄々としたチャラ女のそれでも、やさぐれた年上のムカつく女のそれでもない。今の彼女の面構えは、ただ一つの目的を意地でもやり遂げようと息巻く、思春期の終わりに差し掛かった過激な少年のそれだった。


「……とにかく、そういうことだよ、カナ。私はここで君と袂を分かつ。私達は元より、わかりあえるような間柄じゃないんだ。いずれはこうなる運命だったんだよ。……すまないね」


 瑞稀は霊槍を握り直すと、迷いを断ち切るような足早な歩みでその場から立ち去った。


「……嘘。嘘、だよね。どういうことなの、……瑞稀さん」


 硬直状態に陥っていたカナが、ハイブリッド車の微かなエンジン音が聞こえてくると同時に、動き出す。一歩だけ足を前に踏み出して、右腕を突き出す。が、指先は夏の生温かい湿った外気を掻き混ぜるだけで、掴んで引き止めるための手首や袖はどこにも存在していなかった。


 そんなカナの姿に痛ましさを覚えて、私はつい目を逸らす。同時に、手元へと目を落とす。


 ……さて、都合よく勘違いしてくれた瑞稀が立ち去ってくれたし、そろそろいい頃合いかな。


「エアさん、もういいですよ。空気読んで霊魂を黙らせてくれたこと、助かりました」


 手鏡を取り出して、ぼんやりと白く曇った鏡面に呼びかける。と、瞬く間に鏡を覆っていた霧は晴れ、曖昧模糊とした人影が浮かぶだけだった鏡面には――


「……ああもうっ⁉ 瑞稀の奴、いきなりぶっ殺そうとしてくるとかマジで何なん⁉ ありえへんっ! ほんまありえへんっ! 今度ばかりはほんまのほんまに絶交や、アホ瑞稀……っ!」


 鏡面には、ほっぺたを茹で蛸みたいに真っ赤にしながら、怒髪衝天と言わんばかりにわなわなと全身を震わせている、儚げな雰囲気の少女が映し出されていた。滝のようにサラサラと流れ落ちる栗色の長髪をした、華奢で脆弱な印象のする同い年くらいの色白の女の子だった。


「え……? ま、待って⁉ 今の声、その鏡から⁉」


 ただでさえ大きな両目を目尻が避けんばかりにパッチリと見開いて、驚嘆の声を上げるカナ。慌てふためいてよろめきながら、とてとてと走り寄ってくる。


「澪っ! その人、誰なの⁉ もしかして、あの霊魂⁉」


「ん、そう。二人がやりあってる間に、さり気なく憑依させておいた」


「そうだったんだ。……あれ、でも待って。この人、なんで瑞稀さんのこと知ってるわけ?」


「なんでも何も、知っとるに決まっとるやろ」


 小枝のように細い両腕を傲岸に組みながら、ツンと上を向いた鼻を鳴らしてみせるその少女。


「うちはな、仏さんになる前から瑞稀のこと知ってんねん。むしろ、そっちのチンチクリンの方こそ、なにを馴れ馴れしく瑞稀のこと下の名前で呼んでんねん。一体どういう了見か訊きたいのはこっちの方やわ。順番わきまえい、このド阿呆」


「……っ、は、はぁ⁉ だーれがチンチクリンだ、この野郎っ⁉ 人の身体的特徴をからかっちゃいけないって、小学校で習わなかったんですか⁉」


「お生憎様。小学校なんて二年の途中までしか行っとらんわ。わかったか、チンチクリン」


「こ、こいつ、またチンチクリンって言いやがった……⁉ 学校行ってようがなかろうが、人が嫌だって言ってることをするんじゃねーっ!」


 登場して早々、カナと舌鋒鋭く熾烈な言い争いをする少女の霊魂。エアさんがカナの雑言を涼しい顔で受け流すのに対し、こちらの関西弁少女は真っ向から言い返すことで対等に渡り合おうとするスタイルらしい。カナに勝るとも劣らず負けん気が強いタイプと見た。


 鏡を覗き込みながら大口開けてキーキー喚いてるカナに対して、ターコイズブルーのシンプルなパジャマに身を包んだその少女はギャアギャアと捲し立てて抵抗する。頭を鏡から遠ざけながら、うるせー、と辟易していたところ、隅っこの方にぼやけた人の形の影が姿を表した。


「本当、黙らせるのに苦労したんだよ、この人。私が口押さえて静かにしてって言っても、陸に上がった直後の魚みたいに、すっごい激しくジタバタしてきてさ。全く無茶させるよ。私は一介の百合好きの、低級な霊魂に過ぎないって言うのに」


 憮然として言うエアさんに対し、私は頭の上がらない思いがした。大したエネルギーもない霊魂が、タタリ事件を引き起こした張本人である上に、途轍もなく生意気で、口が悪くて、隙あらば他人に食って掛かるような危ない性格の女の子を力づくで制するのは、大層骨が折れたことだろう。私はエアさんに対して、軽い憐憫の情さえ覚えだす。


 でもなんにせよ、この霊魂のおかげで傷心気味だったカナが気力を取り戻してくれたのは、ありがたい話だった。私としては、カナが私みたいに陰鬱に塞ぎ込んでいるところなんて見たくないから。ちょっとうるさくても、こうして気丈に振る舞っている姿がカナには一番似合う。


 そんなわけで、気が強くて喧しくてついでにタタリ事件の犯人でもある関西弁少女を新たな仲間として迎え入れた私達だったけど、太陽は既に西の地平線へとその身を半分ほど隠してしまっていた。詳しい事情を聞き出すのは後にして、私とカナは帰路につくことにした。


 ちなみに、私が瑞稀のレンタカーに置きっぱなしにしていた紙袋は、ご丁寧にもバイクのシートの上にちょこんと乗せられていた。あの劇的な離別の場面の後で、律儀にバッグを返却してから車を発進させる瑞稀の姿はどことなくシュールだけれど、なんだかんだで心根が真面目というか、曲がったことができない性情なのだろう。要するに、不器用なのだろう。

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