第19話 昔の話をするには、勇気がいります。

「――いやー、買っちゃったなぁ。あ、でもごめんね。なんか、長々と突き合わせちゃって」


 小一時間ほどブティックに居座った後、私達は休憩で喫茶店に入った。ボックス席に差し向かいで座りながら、私は紅茶とケーキに、カナは砂糖とミルク入りのコーヒーとモンブランに舌鼓を打つ。丁度モールの通路側に面した席で、店の外を行き交う人の流れが見て取れた。


「いいって。なんで澪が謝るの。そもそも、無理やり連れ込んだの私の方だし」


「それはまあ、そうだけど。でも私、カナが強引にでも引っ張っていってくれなかったら、絶対に入る勇気持てなかったと思う。ありがとね。……ちょっと、カナの言葉に救われちゃった」


「そ、そう? ……まあ、どういたしまして」


 カナは微かに頬を赤らめながら、視線を店の外へと移す。照れくさいのを誤魔化すように、大きく切り取ったモンブランを口の中に放り込むカナ。しばし、リスかハムスターみたいにほっぺたをもぐもぐさせる。……むぅ、可愛い。


「ところで澪がゴスロリ着るようになったのって、いつからなの? ド田舎出身なら、近くにそういうお店とかもなかったでしょ?」


「なんか、さり気なく田舎ディスられた気がするんだけど……まあいいや。いつからかって言われても、明確にこの日からっていうのはないかな。一応、きっかけとなる出来事はあったんだけど、それを機に段々と服の趣味がそっちに偏っていって、気がついたらって感じかな」


「きっかけ? それって、どんな?」


「え? えーっと、まあ、その……」


 この話題に触れられた時点で予期していた質問ではあるけれど、こうして直球で訊ねられると答えるのを躊躇してしまう自分がいた。というのも、この話題に触れるということは否応なしに私の過去を開示することになるからだ。私は今まで、そんな身の上話を誰かにしたことはなかったから、どうしても怖気づいてしまう部分があって。私は、しばし曖昧に言葉を濁す。


 でも意を決して、脇に逸れていた視線を正面へと戻した。カナになら聞かせてもいいというか、聞いてほしい、と思う気持ちも心のどこかに転がっていたから。


「……きっかけは、十歳の時の誕生日プレゼントなの。お姉ちゃんから貰った」


「え、プレゼントって……ゴスロリを?」


「そう、ゴスロリを。といっても、この話にはちょっとしたハプニングがあってね。実は私、お姉ちゃんが私の誕生日にあげようと思って押入れの中に仕舞っておいたのを、たまたま見つけちゃったんだ。そしたら、ちょっと早めだけど、ってプレゼントしてくれて。で、折角貰ったんだし早速着てみるでしょ? そしたらお姉ちゃんが可愛いねって言ってくれて。……私、それが嬉しかったんだ」


 私はそのときお姉ちゃんから向けられた優しげな眼差しを思い出しつつ、胸の奥底に仕舞われていたその記憶を慈しむ。今でも色褪せることのない、大切な思い出だった。


「へぇ、そんなことが。誕生日にゴスロリを送るなんて、ちょっと変わってる気もするけど」


「まあ、それはそうだね。私のお姉ちゃんって割と読書家だったんだけど、童話とか絵本とかが好きなタイプだったから、もしかしたらその影響なのかも知れない」


 ふぅん、と相槌を打ってから、カナはカップに入ったコーヒーを口元に持っていく。


「でも、誕生日にわざわざプレゼント用意してくれるだなんて、お姉さんと仲いいんだね」


「……ん、まあね。正確にはよかった、だけど」


 私が歯切れ悪く答えると、え、とカナが驚きの声を漏らした。


「もしかして……亡くなってるの、お姉さん? ごめん。ちょっと踏み込みすぎた」


「あ、ううん、いいのいいの。私が話したくて話したんだし。……というかさ。どうせなら、もう少し聞いてもらってもいいかな。私のこととか、私のお姉ちゃんのこととか」


「え? 私は別に、構わないけど……」


 躊躇いがちに切り出した私に対し、そっちはそれでいいのか、とでも問いたげに、意味深長な視線を向けてくるカナ。私はこくり、と鷹揚に首を振ることでそれに答えた。


「私のお姉ちゃんは、すっごく優しくて面倒見のいい人でね。いつも私のことを甘えさせてくれたの。だから私も、そんなお姉ちゃんのことが大好きだったんだけど……私が小学五年生だった頃に、病気で亡くなっちゃって。丁度その頃だったんだ。私が霊視の魔眼に目覚めたのは。私やお姉ちゃんは前々から家族の皆や村の皆に嫌煙されてたんだけど、魔眼を覚醒してからは更にひどくなってさ。私はずっと、一人ぼっちで嫌がらせに耐えてなきゃいけなくて」


 その時期は、私のこれまでの人生で最も悲惨な期間だったと言っても過言ではない。お姉ちゃんを失った哀しみに打ちひしがれていたところに、周囲から容赦のない悪意の雨が降り注がれて、弱り目に祟り目どころの話じゃなかった。


 望んで魔眼に目覚めたわけでもないのに、両親からは私が魔眼を宿したせいで体面が悪くなったと疎まれた。伯父や伯母なんかは、座敷牢に軟禁するか、いっそ眼球を潰してしまうべきだ、とまで言ってきたほどだった。流石にそれが実行されることはなかったけれど、私は毎晩、寝ている間に目を刃物で刺されるんじゃないかとガタガタ震えていたのを覚えている。


 学校に行くときだって、私はいつも人目を忍んでコソコソと登校しなければならなかった。住人の視界にひとたび入れば、「なんだい、あの虹色の目は! 気持ち悪いったらありゃしない!」「あんた、こっちを見るんじゃないよ! 呪われたらどうしてくれるんだい!」「チッ! 化け物風情が、偉そうに人間の真似事なんかしやがって!」などの罵詈雑言を、手加減なしで投げつけられた。同級生からの扱いだって似たようなものだった。


「村の誰もが、虹色に光ってる上に霊魂を捉えることができる私の目を気味悪がって嫌がらせをしてきたし、家の外にも自由に出させてもらえなかった。……でもね、あの人たちはある日、鴉場研の研究者たちが家を訪ねてきた途端に、私への態度をガラッと変えたの」


 鴉場研と私が口にするのと同時に、カナがハッとして頬を引き攣らせたのがわかった。


「なんでも、私が魔眼研究に協力したくれたら結構な額の謝礼金をくれるって話をされたらしいの。そしたらあの人たち、あからさまに手のひらを返してきて。家の人達はそのお金で村の学校や病院に援助したりし始めたから、私は一躍村中のヒーローになったの。笑っちゃうよね」


 鴉場研の職員が訪問に来てからというものの、家族は私が大人しく魔眼研究に協力するよう、上辺だけの笑顔を浮かべて甘やかしてくるようになった。村の住人もお金欲しさに、「澪ちゃん、今日も可愛いね」「澪ちゃん、お菓子上げるからこっちにおいで」「澪ちゃん、学校? 送ってあげようか?」などと、恥を恥とも思わずに媚を売ってくるようになった。私にはそれが気持ち悪いやら悍ましいやらで凄まじく不愉快で、そして何より、自分もあの人達と結局は同じ存在なのだという事実が、気が狂いそうになるほど恐ろしかった。


「結局、一年後くらいに左目を買い取ってもらったところで、実験に突き合わされる日々も終わったの。けどそしたら、あいつらはまた私のことを邪険に扱いだして。もう本当、ふざけんなよお前らって感じで……」


 握りしめた手のひらに爪が食い込む痛みで、我に返った。いつの間にか、やけに感情的な声で語ってしまっていた。私は一度、昂ぶった気持ちを落ち着けようとティーカップに手を伸ばす。紅茶を口に含むと芳醇な香りが口腔一杯に広がって、荒ぶっていた心が段々と平静を取り戻していくのを感じた。


「……ならやっぱり、澪は恨んでるんだよね。鴉場研のこと」


 カナが沈痛な面持ちで問いかけてくる。私は首をゆっくりと、けれど明確に縦に振った。


「恨んでるよ、そりゃ。勿論、あの人達がいなかったところで、私が村の皆から排斥されるのには変わりない。けどそれでも、私の人生をメチャクチャにかき乱したのはあの人達だもん。恨んでるし、嫌いだよ。……まあ、お金だってちゃんと貰ってるし、人工眼球も提供してもらったんだから、憎むのは筋違いなのかも知れないけどさ」


 やりきれない思いを発散させるかのように私は天井へと目線を向けて、ふー、と長く深く、息を吐き出した。もし私が煙草を吸っていたならば、天井へと紫煙がゆらゆらと立ち上っていく様子を見られただろう。


「その……ごめんなさい」唐突なカナからの謝罪に、私は上げていた顔を正面に戻した。


「え? 待って、なんでカナが謝るの?」


「だって私、澪がそんな辛い思いしてたことなんて、知らなかったから。……澪はさ、本当は魔眼なんて使いたくないし、できれば存在さえ思い出したくないくらいなんだよね。その力のせいで周りの人たちから邪険に扱われたり、逆に下心丸見えの阿諛追従をされたりしたわけだし。なのに私、自分の目的のために澪のこと利用しちゃって……」


 胸元に手を当てながら、切実な面持ちで語るカナ。日頃、血気盛んに息巻いていることが多いのもあり、今のカナはやけに小柄に見えた。萎縮した子猫を連想させる。


「あ、違うの。別に、そういうことを言いたかったわけじゃなくてね。私は、その、カナのことを責めたかったとか、そういうつもりじゃなくて……」


 不用意な発言でカナのことを傷つけてしまい、狼狽える。違うの。そんな意図はなかったの。私はただ、カナに私のことを知ってほしかっただけで――。幾つもの言い訳の言葉が次から次へと脳裏に浮かぶ。でも私は、そのうちのどの言葉を、どんなふうに口にすればいいのかわからなくって、もごもごと唇を蠢かすことしかできなかった。


 シン、と場に沈黙が落ちる。今まで気にならなかった他の客たちの話し声が、やけに喧しく聞こえてくる。私は机の上で視線を彷徨わせながら、必死で状況を打開する言葉を探す。だけど、どれだけ思慮を巡らせたって、それらしい台詞は浮かんでこない。


 それで気づいた。きっと、誤解を解くために必要なのは上っ面の慰めじゃなくて、心の底からの真実の思いに他ならないのかも知れない、と。私は躊躇いそうになる弱気な自分を、唾と一緒に胃の中へ流し込んでから、敢然と話し始めた。


「あのさ。……私は全然、カナに利用されただとか、そんなこと考えたりしてないから。むしろ、ちょっと感謝してるくらいだし。ほら、私って臆病だから。誰かに無理にでも引っ張ってもらわなきゃ、何も始められないとこあるし。……だから私ね。この魔眼のこと、最近はちょっとだけ好きになれてきたんだ。これのおかげでカナと一緒にいられるなら、魔眼に目覚めたのも悪いことばかりじゃなかったって、思えるようになったっていうか――って、カナ?」

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