黄昏る魔女たちの戦さ

タツノツタ

第1話

夢を見ていた。

暖かい日差しを浴びながら、私は本を読みながら愛しい誰かを待つ。温かい紅茶とビスケット、淡い色合いの汚れを知らない服に身を包みながら。

夢の中で思う、どれも私の現実には無いものばかりだ、と。

夢の中で現実に引き戻される感覚は辛い。夢の中にも救いは無いのか、心の平安というものは夢の中にも無いのか。

夢を見るのは眠りの終盤、もうすぐ眠りが覚めてしまう。現実世界の現実がもう少しで。


「弓引きの魔女殿、焼殺の魔女殿は居られるか」


玄関からの大声で現実世界の現実はやってきた、もとい束の間の夢を見させた眠りの時間が終わった。

「少々お待ちください。ただいま呼んできますので」誰かが応対している声が聞こえる、この館で私たちのお世話をしてくれている、メーネさんだろう。

僅かな時間で私の部屋のドアがノックされ、ドアの向こうから凛とした声、頼み事でも相談でもない、命令に似た声色が聞こえた。

「お呼びです。すぐに出撃の準備をなさってください」

出撃。誰かがこの館に来て、私たちに伝える用事のほとんどはそれだ。

たたかい、戦い、闘い、戦争、戦闘、敵を迎え撃つ、せんそう、センソウ。

私は薄い鎖を繋げて作られた鎖帷子をチュニックの上から着込み、壁に掛けていた弓を手に取った。

白い樫の木で作られた私の弓、弦は張られていない。魔女のための、私の為だけの弓。

無言でドアを開く。寝台はうたた寝から起きたまま乱れている。用事が済んだら直そう、すぐ終わるはずだ。

メーネさんが下腹の前で手を組み、厳しい眼差しで私を待っていた。

「弓兵のサイラス様がお見えです。エカテリーナ様は後から参りますので、貴女は先に」

私もキッと力を入れた眼差しと、僅かに顎を引く仕草で返事をした。

階段を降りて、そのまま玄関を出る。

弓兵のサイラスが引いてきた馬に跨り、彼の後ろを追いかけるように馬を走らせる。長い冬が明けたばかりの暖かさを孕んだ冷気を息深く吸い込んだ。

「今回の敵はどれくらいか」私は斜め前を走るサイラスに聞こえるよう声を張り上げて訊いた。

「物見の魔女様によると、また薄汚いやつらが150程度です!」

物見の魔女は王宮の奥深くから、ユトランドの領域に侵入する敵兵を探知する力を持っていて、相手戦力を分析することが出来る。

「それで、私とエカテリーナ様の2人なのね」

「すみません、またよろしくお願いします!」サイラスは申し訳なさそうな言葉を険しい顔のまま言った。

相手の戦力がどの程度なのか、彼が館に来た時点で予想はついていた。

出撃要請は2人の魔女ということは2人で事足りるということ。相手は大した戦力ではない。

ユトランドには私を含めて魔女が6人居る。

物見の魔女、焼殺の魔女、首切りの魔女、暴風の魔女、そして私、弓引きの魔女。

物見の魔女を除き、皆、前線で敵と戦っている。

敵は「不浄の軍勢」と呼んでいる敵。人間ではない。

大概がオークという豚のような蝙蝠のような醜い顔をした人間に似た生き物だ。

私たちは彼らを倒すためにあり、私たちは彼らしか倒すことができない。

サイラスと2人、無言のまま馬を走らせているうちにユトランドの城門であり南側唯一の国境である「黒門」へ到着した。

東西を山脈に挟まれた隘路を塞ぐように聳え立つ木造りの重厚な門。一度も敵兵の侵入を許していない。

黒門の南側、敵がやってくる側の地面は白く、門の北側の地面は黒い。

サイラスの率いるクロスボウ隊10人ほどが等間隔で並んでいる。

クロスボウは台座に横向きの弓を取り付けていて、弦をレバーを使った”てこの原理”で引き矢をセットし、トリガーで矢を発射する機械式の弓矢だ。

彼らを横目に見ながら門の上部の通路に立ち、敵の軍勢を見る。

魔狼と呼ばれる猪よりも大きな体を持つ狼に乗った軍勢が散開しながらこちらへ向かって来ている。

鬨の声なのか、雄叫びなのか、意味を持っていないのか聞き取れない言葉を大声で張り上げながら進撃している。

距離はもはや1000mを切っている。近い。

「始めましょうか」私は静かに言った。いつも敵を向かい撃つ時は血が冷たく、頭の奥底まで氷のように冷える感覚に包まれる。

白い弓を左手にもち、肩の高さまで持ち上げる。

右手の人差し指から薬指までの3本を使い虚空の弦に番え、胸まで引く。弦の張られていない弓だが、耳に弓のしなる軋む音が聞こえた気がする。

疾走してくる敵兵の1人に狙いを定め、番えた指を放す。

一条の光が一瞬閃いた一瞬の後、敵兵の胸に何かが刺さり、魔狼から崩れ落ちた。

「お見事」サイラスが険しい顔をしながら褒め言葉を口にした。

私は弓を構えたまま、次々と何もないはずの弦を引き、見えない矢を射続けた。

見えない矢を射る度に敵兵は魔狼から地面へと縫い付けられる。

隣ではサイラスが自慢の強弓を引き、矢を射ち始めた。

ギッというような、ギシッというような弓の軋む音と矢と弦が空気を切り裂く音が間断なく耳に飛び込む。

サイラスが矢を放ってからクロスボウ隊も射撃を始める。

クロスボウは扱いが容易で習得が早いことが特徴だが、二の矢を準備するまでに時間を要することも特徴の一つだ。

サイラスは習得が困難であるロングボウ、弦を引くために強い力が必要だが連射に優れる弓を扱っている。

ユトランドという国は小国で、軍事力というものは極めて貧弱だ。絶え間なく不浄の軍勢に襲われているが、その対応のほとんどを自国の兵隊ではなく魔女たちが行っている。

私の放った矢とサイラスの矢はほぼ百発百中、斃れた敵兵も多いが、三分の一程度の敵兵が既に城門に取り付こうとしている。

敵兵に攻城兵器ー巨大な岩を投げつける投石器や、破城槌や梯子ーは見られなかったため、単純に城門へ突撃をしようとしている。

無意味とも思える攻撃、いつも単調な攻撃を仕掛け、命を軽んじた戦術。

決して退却をせず、最後の一兵まで戦う、死の兵隊。

残り、数十か。終わりが見えてきた。

と真下に矢を放ちながら思った瞬間

「遅くなったわね」凛とした声が聞こえた。

黒いローブに身を包んだ、黒髪と青白い肌の魔女。焼殺の魔女が到着したのだ。

「遅いですよ、エカテリーナ様」

焼殺の魔女、エカテリーナ様。私よりも長く戦場で敵兵を斃し、誰よりも長い時間を戦場で過ごしてきた彼女に敬意を払ってエカテリーナ様と呼ぶ。

彼女の能力は敵兵を燃やし、焼き殺すこと。視線の先に居る不浄の軍勢のみを燃やすことが出来、しかも全身を、血と骨を灰にする炎で焼き殺すことしか出来ない。

エカテリーナ様は無言で城門の下に目をやり、城門に取り付こうとしているオーク兵を見つめ、燃やした。

オーク兵の身を包む炎はオーク兵の体のみを燃やし、城門には煤さえ付着しない。燃やされているオーク兵に近づいたことは無いが、オーク兵以外には炎は見れども熱を感じることは無いのだろう。

瞬く間にオーク兵は焼かれ、城門の前を立って歩く者の姿は無くなった。数十人分の消し炭と、地に縫い付けられたオーク兵。

「終わったわ」

エカテリーナ様は吐き捨てるように言い、その日の直接的な戦いは終わった。

戦いの後はエカテリーナ様がオーク兵の死骸を焼却する処理が残っている。

黒門の南側はエカテリーナ様が焼却したオーク兵の灰によって、白く染められている。


気分を悪くさせる焦げた肉の臭いを孕んだ煙が風に乗り、北側へと運ばれていく。

いつの間にか私は、その臭いを嗅いでも何とも思わなくなってしまっていることに気付いた。

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