第21話
ユキが女を連れ込んできた。
ユウヒは姉の素っ頓狂な行動には慣れていたつもりだったが犯罪に手を犯すとは思っていなかった。
「犯罪じゃないのだ。話聞いてたのだ?」
「勿論ですとも」
ジトッとした目を向けてくるユキを傍目に、ユウヒは小柄なユキの後ろに隠れている少女に目を向けた。
薄い桜色の、ワインレッドの瞳をしたブカブカなジャージを着た少女。
ウェーブがかった髪は先に行くに連れて赤の深みが増していく変わった染め方をしているが、ニューであるならば恐らくは変異の過程でそんな髪色になったのだろう。
人見知りなようで怯えたような目をユウヒに向けている。
彼女の名前はイチコ。
ユキが路地裏で立ち尽くしていたイチコを発見し、なにか事情があるのだろうとユウヒの家に連れてきたようだ。
ユキはかなりのお節介焼きでお人好しなのでそういうのには慣れているユウヒなので、今回も差して驚くようなことはしない。
ユウヒは一応イチコの目線の高さに合わせて話をしようとするが、ささっとユキの後ろに隠れてしまった。これはユウヒでは手厳しそうだ。
「ちゃんとお世話出来ますか? 姉さん」
「ペット拾ってきた子供に対する反応なのだ。責任は持つのだ。それにこんなかわい子ちゃんと同居できるなんてぐへへへへ」
「やはり警察に相談した方がよさそうですね」
「冗談なのだ冗談。オネーチャンジョーク」
ユキがイチコを横目にヨダレを垂らしかけていた。
この姉、普段しっかりしているくせに自分好みの女性を見つけるとこうなるので心配である。
尚、ユキは働いていないのでニート二人が増えてユウヒの出費が増えただけであるが、そこは別にユウヒは気にしていないようだ。
「部屋どうするんですか。姉さんの巣は二人で住むにはキツイでしょう」
「人の部屋を巣呼ばわりするななのだ」
ユキは本来であれば物置である畳一枚分程度の部屋に住み着いている。二人で住むにはやや狭い。
「和室空いてますけど」
「……」
「ん? 狭いとこがいいのだ? ……ふむふむ、じゃあユキさんと一緒のとこで寝るのだ」
「……恐ろしく声が小さいですね」
イチコの口がパクパクと動くがユウヒには何も聞き取れず近くにいたユキだけが聞き取れたらしい。それこそ蚊の鳴くような声なのだろう。
「狭いようだったら広げますよ。突貫工事ぐらいしても許されるでしょう。英雄ですし」
「そういうとこでその称号を持ち出すのは狡なのだ。でも要検討なのだ〜」
ユウヒの家にまたニートが増えた。
別にユウヒには負担になるどころか、むしろ負担が軽減されている。ユウヒは家事を苦手としているので家事をしてくれるユキやイチコの存在はありがたかった。
イチコのことを診断したマオの話によると、イチコは記憶の大半を失っているそうで両親のことは愚か自分の事すらわかっていないようだ。
鬱の兆候があり、”対人恐怖症”を患っているとのことからユウヒはあまり接せずにユキに任せておくのがいいとマオは話していた。
何故か医師免許も持っているマオの言葉なら信用に事足りる。
ユウヒは言われた通りにイチコにはあまり近づき過ぎないようにした。よく観察してみればわかるが、イチコは異様なまでにユキに懐いている。
家にいる時は片時もユキの傍を離れない。寝る時もユキを抱き枕替わりにしている節がある。
尋常ではないレベルで小さい声もしばらくイチコを観察していれば聞き取れるようにもなる。
「ユキちゃん…どこか行くの…?」
「どこも行かないのだ。イチコちゃんの方が大切だからな…イケヴォ」
「そう…ならよかった…」
イチコは外に出る事に対してかなりの恐怖心を抱いている。ユウヒにさえも怯えていて、ユキにしか心を許していない。だからユキがどこかに行く事を極端に恐れている。
ユウヒはほとんど家にいない為、ユキとほぼ二人っきりのこの環境はイチコの精神衛生上にもいい環境なのかもしれない。
ユウヒは最近になってユキの行動ルーチンを把握し始めた。
ユウヒよりも早い時間に起きてユウヒの弁当を作り、二度寝。多分午前十時ぐらいにまた起きて、ゲームか何かをしている。そして午後くらいになるとブラブラと散歩に出かける日があるが、それは晴れている時のみ。雨や曇りの日は家に引き篭ってゲームか何かをしている。食材なんかは通販で取り寄せているのでこの散歩は恐らく「かわい子ちゃん」を探す目的のものである。
ユキはそんな生活リズムを送っていて、最近はユウヒもユキのニートっぷりを危惧し始めている。
またユキに対する危惧は他にもあった。
最近になってユキとスレイヤーズ本部に向かうとユウヒではなく、ユキに対して敵意が向けられるようになっているのである。
「なんでなんですかね」
「そりゃあゆーちゃん、みんなのヒーローで最強の女の姉がくそ雑魚のニートだったらどう思うのだ?」
「うーん」
ユキの言葉は最もでユウヒは自宅でユキの対面に座りながら腕を組んで唸る。
どうやらスレイヤーズの間でユキがユウヒの汚点である、という謎の風潮が出回っているらしい。
それは単にユウヒが名声を集めすぎたせいでもあるのだが、ユウヒがやったことは全てユキのための行動である。
何故赤の他人が自分の姉を迫害しようとするのか、ユウヒにはまるで理解できなかった。
「人間はいつも理想を求めるのだ。自分の好きなアイドルが結婚するとキレ散らかすファンがいるぐらいだし、英雄の姉がただのニートだと知ればキレ散らかすファンがいてもおかしくないのだ」
「まあ…。何かされたらすぐに言ってくださいね。そいつらの家破壊するので」
「その時は頼むのだ」
ユキはふんすふんすと鼻を鳴らす。
この姉は何かと自分のことを話さないので心配だ。
「ユキちゃん…いじめられてるの…?」
リビングに入る扉から顔を半分だけ出してこちらの様子を伺ってるのはイチコである。
イチコがやってきて一週間程度。だいぶユウヒにも慣れてきたのか、ユウヒの前に出てきても最近は怯えない。だが近づくことは出来ない。近づくとサッとユキの巣まで逃げてしまうからだ。まるで警戒心の強い猫で、猫耳を生やしたユキなんかよりも余っ程猫らしい。
「いじめられてはないのだ」
「そうなの…?」
「妙な噂というか風潮が流れていますけどね」
「噂…」
「誰かがそういう風になるように仕向けてたりして」
ユキが頭の後ろで手を組みながら何気なくそう話す。
ユウヒは顎に手を当てて「ふむ」と声を漏らした。多分ユキは何気なくそう言ったのだろうが、ユウヒは真面目にその線を探ることにしていた。
「となると頼るべきは…」
あいつだ。
****
「先輩が私とお出かけするなんて珍しいですねぇ!」
こいつである。
不敵な笑みを浮かべて金色の瞳を薄紫の髪の隙間から見せる可憐な少女。
こんなものを可憐と言っていいのかは不明だが、残念なことにティア程の可愛らしい少女はこの東京シティにはそうそういない。
スレイヤーズ本部のナンバーズ専用のラウンジには人がいない。と言うのも大体目の前の狂人のせいではある。ラウンジの店員はプロなのか慣れているのかティアが来ても怯えずにグラスを拭いていた。
「貴方なら最近の噂話を知ってると思いまして」
「ああ、先輩のお姉様が雑魚でニートで貧弱という話ですかー?」
「ええ。…いやなんでそこまでボロクソに言われてるんですか」
「雑魚とニートは私がつけました!」
「殴りますよ」
「で、何が知りたいんですか? 先輩のことだからこの噂話を流した人物を知りたいとかそういう感じですか」
ティアは狂人故の感覚なのか相手の心情や考えを見抜くのが得意だ。ユウヒは顔に出やすいタイプではないが、それでも考えてる事は事前に言い当ててくる。
「そうですね。もしこんな噂話を広めて姉さんを迫害しようとしている輩がいるのなら張り倒します」
「フフフ、いいですねぇ。妬けそうです! とは言っても、残念ですがこの噂話を広めているのは複数人ですよ」
ティアはそう話す。
なんでもう調べてあるんだと聞きたくなったがティアのことだ。ユウヒの行動などお見通しなのだろう。
「先輩と同期のアカデミー卒業生と数人の現役スレイヤー、そして上流階級のお偉いさんです」
「何故上流階級が?」
アカデミー卒業生はわかる。ユウヒと同期のアカデミー卒業生達はユウヒのことを嫌っているからだ。
現役スレイヤーもまあわかる。恐らくはユキの言った通り英雄の姉が脆弱なのが許せないのだ。
しかし上流階級が出張ってきているのは予想外だった。
「そこまでは調べていませんが、今上流階級では誰が先輩を手中に収めるかで揉めてますよ」
「私はあの汚い連中の下にはつきませんが」
「先輩はそう言うだろうと思いましたが、あれらは自分がこの地獄みたいな世界で生き残る手段が増えるのならなんでもする。汚い手を使ってでも安心と安全を得たい。カテゴリー5を倒せる戦力が誰の下にもついていなかったらそれを手駒にしたい。そう考えているんですよ」
「…」
ティアはなんてことのない顔でそう話す。
ティアも一応は元令嬢だからその手のことには詳しいのだろう。そしてティアの父親も例外ではなかったのかもしれない。
ユウヒの事情など上流階級にはどうでもよくて、ユウヒを従えさせることができればそれで全ていいらしい。
「それが何故姉さんを害する噂話に繋がるんですか?」
「簡単な話ですよ先輩。先輩の防衛対象が先輩のお姉様であるということは一部では周知されています。この狭い箱庭には目と耳が沢山ありますからねぇ」
「…」
「ならば先輩のお姉様を懐柔するか、捕らえて人質にするか、頭が悪いやつは消せばいいとかんがけているんですよ」
「…姉さんを消す、ですか」
ユウヒの眉間にシワが寄る。
ティアはそれを見てゾクゾクとしたような恍惚とした表情を浮かべている。
「フフ、フフフ。先輩の殺意って暴力的で好きですよ。いいですねぇ」
「んなことはどうでもいいんですよ。で、どいつがそんなことを考えてるのか調べてありますか」
「残念ですが名前までは調べられませんよ。奴らはいつでも切り落とせる尻尾しか用意してません。それに私でも上級都市に入り込むのは殺戮なしでは難しいので!」
ティアは満面の笑みでそう話す。
殺戮ありだったら入れるらしい。
ユウヒとの契約上、ティアはシティ内で人殺しはしない。その代わりに数日ペースでユウヒがティアと戦ってその闘争本能を沈める必要がある。
しかしそんな契約に縛られたティアであってもこれだけの情報を集めてくるのは優秀。その一言に尽きた。
狂人でなければ英才と呼ばれていた世界線もあったろうにとユウヒは考える。
「ですが最大限調べてあげますよ先輩。それにそろそろあの日が来るじゃないですかー。チャンスはその時ですかねぇ」
「あの日…ああ、そろそろ天啓姫生誕祭ですか」
そんなのもあったなとユウヒは思い出す。
五月のかつてはゴールデンウィークと呼ばれていた時期に東京シティでは天啓姫の誕生を祝う祭りが毎年開催される。
一週間程度の日程で開催される大きな祭りで、一般街でパレードが開催されそこで天啓姫の姿が生で見れる数少ない機会のひとつとされている。
「姉さんやニコさんと観光でもしようと思ってましたが」
「先輩先輩、私は?」
「いやなんか調べものする口調じゃなかったですか」
「では調べものはなかったということで!」
「強制するつもりはないですけど前言撤回早すぎますよ」
「というか、先輩に観光して回るような自由はないと思いますよ」
「…? 何故です?」
ユウヒがティアの言葉に問いを返すと、ユウヒのStecに通知が飛んできた。最近はこのStecが空気を読んでるのではないかと疑いを持ち始めている。
通知を見れば案の定、シオリからの招集だった。
嫌な予感がする。
ティアの方を見ればティアはニヤニヤと笑っていて、恐らくは知っているか、ある程度の察しはついているようだ。
「…招集です」
「フフフ、まあ頑張って交渉してきてください」
「残念ですが貴方も来るようにだそうです」
「おやおや。私もですか」
ユウヒのStecに届いた通知はレッド隊に対する招集であった。
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