第16話











 ニコとの出会いは心が踊るとか、一目惚れとかではなく、特段に「良い出会い」と評価されるものではなかった。

 ありとあらゆるものが敵みたいなものだったユウヒにとって、目覚めた時にそこにいたニコは最初こそ鬱陶うっとうしい存在であったからだ。


「なんですか貴方」


「ニコです。ニコ・ドゥクスニア。旧フィンランドの出身で───」


「そういう事ではなく」


 それが初めての会話だったか。

 今思えばユウヒの敵意を他所よそに純粋に自己紹介をしてきたニコは一種の天然なのかなんなのか。


 ニコは入院中のユウヒの元にやって来ていた。話によればニコはユウヒをここまで運んできてくれた人物だということ。

 ひねくれているユウヒにはニコが恩を着せようとしてきているようにしか見えず、最初のうちは敵意のある態度で接していた。


 初日はニコを追い返した。ニコは去り際に「また来ますね」と優しげな笑みを浮かべていたが、ユウヒからしてみたら「来るな」の一言で済まされた。

 何故か自分の主治医も担当しているマオにそのことに対する愚痴をいていると、マオはユウヒに憐憫さを感じる視線を向けてきた。


「…お前は少し視野を広くした方がいい」


 マオにあきれたように言われたのがそれだったか。

 なんてことのない言葉だったがそれを知ることになるのは退院までの短な期間だった。


 翌日もニコがやってきた。

 ユウヒはそれを鬱陶しそうな目で見た。

 だがニコはそんな鬱陶しそうなユウヒの目を気にせずに笑顔で話しかけて来る。


 どうやらニコはユウヒがアカデミーでどんな目にあったのかを知っているようだった。


 アカデミーでユウヒが親友を亡くし、周りの人間から忌み嫌われていたのをニコは知っていたのだ。


 ニコは自分の口から話すことはなく、それを話してくれたのはマオである。

 そしてニコのことを調べてくれとマオに頼んだのは言わずもだがユウヒだった。


「超獣病に感染したお前の親友をお前はお前自身の手で殺した。…それは正しい判断だったが、しかしそれはアカデミーでお前が孤立する原因になった」


「……」


「同じ境遇に同情したんだろ。ニコも超獣病に感染した妹を自分の手で殺したんだ」


「…ほんとですか?」


 マオの口から語られたニコの経歴は酷いものだった。

 ニコは10年前に家族旅行で日本の東京にやってきていた。その際に世界中に超獣があふれ、祖国に帰ることもままならない状況の中でニコの両親がニコの目の前で超獣に殺された。


 唯一生き残った妹も超獣にまれたことにより超獣病に感染し、ボロ小屋の中で衰弱して超獣になりかけていく妹を齢9歳のニコがその手で殺した。


 ニコの超獣への憎しみは人一倍強いが、そんな経験をして来たからこそ人々の救いになりたいとニコ自身が強く思っていた。

 ニコはアカデミーを通らずにスレイヤーズに加入し、その才能を開花させナンバーズに登り詰めたのである。それはニコの強い想いのお陰なのか、本人か神のみぞ知ることであろう。


 ニコはそれをユウヒに語るようなことはしなかった。

 ユウヒが人を敵視するのも仕方がないと受け入れた上で、ニコは自分だけでもユウヒの味方でありたいと考えたようだ。


「本物の”良い奴”だよ、あれは。このご時世であんなに清らかな人間がいるなんて私も驚いたよ」


「…」


「これを機に少しは視野を広くしろ。私が言えたことではないがな」


 ユウヒはニコを誤解していたことに気づき、違った視線で毎日のようにやってきてはくだらない話をしていくニコのことを見るようになった。


 ニコはただユウヒに世界を知ってもらいたかっただけだった。


 スレイヤーになって初めて給料を得た話。

 孤児院で子供達と遊んだ話。

 巷で噂のアイドルの話。

 子供の頃のフィンランドの話。

 街角でテレビのインタビューを受けた話。

 ユウヒが如何に話題になってるかの話。


 数え切れない話をユウヒの前で話して、ユウヒはただそれを静かに聞いていた。

 そのうちに硬く閉ざされていたユウヒの心はほころび、アカデミー以来初めて自分から心を開いたのがニコであった。

 その仕草やよく変わる表情にユウヒは目を奪われ、ニコが帰る時になるとさびしさを覚えるようになった。


 いつしかユウヒはニコという存在に心が奪われていた。退院後少しの間ニコに会えなかったのが寂しくなる程にはニコのことを四六時中考えていたのである。


 だからユウヒはニコとの再会に喜ぶのと同時にタジタジになっていた。この時ばかりはいつも仕事を押し付けてくるシオリに感謝したものだ。


 ユウヒはニコを守りたかった。だからチームに誘ってみて、それが了承されるとユウヒは嬉しくなった。


 だからユウヒはニコを、ニコに手を出す奴には容赦しないと心に決めた。ティアは本能的にそれを理解しているのだろう。ティアはニコには喧嘩を売らない。


 つまるところ、ニコに手を出した時点でその者の命運は決まるのだ。









 ****








 カテゴリー4、カテゴリー5の超獣には遭遇した時点で死を覚悟しなくてはならない。

 カテゴリー4の討伐にはナンバーズで編成された討伐隊が必要とされており、それでも被害は出るし討伐できない可能性も高い。


 だからスレイヤーズの方針としてはカテゴリー4、5との接敵は撤退するべきだとされている。

 それこそ積極的な戦闘はシティを防衛する場合のみでいい。


 逆に言えばシティを防衛する時には死を覚悟しなければならない。


 ニコはタコ型のカテゴリー4超獣から距離を置きつつモシンナガンでの狙撃を行う。はなたれた魔弾は超獣の眼球にさり、超獣は暴れ回る。

 しかし全くもってダメージはあたえられていない。すぐに損傷箇所を再生してしまうからだ。

 超獣はイラついたようにニコのことを見ると、すり鉢状に鋸のような歯が生えた口をかっぴらいてニコの方に突進してくる。


 ニコは冷静にボルトを引いて弾丸を装填してからもう一度引き金を引くが、その図体の巨大さに対してニコの持つ銃の口径が小さ過ぎた。決定打は与えられそうにない。


 超獣がニコのいるビルに体当たりをすれば廃墟となっていたビルは音を立てながら崩壊を始める。

 ニコは屋上から跳躍すると隣のビルの屋上に飛び移り、そのまま走って撤退戦を開始する。


 超獣が暴れ回る度に周辺のスレイヤー達が風圧で吹き飛び、飛んできた瓦礫に押し潰され、阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 周囲のスレイヤーの情報が確認できない以上被害を抑えるのは難しい。ニコは忌々いまいましげに超獣を見据え、どうしたものかと思案する。


「対大型超獣用ASW持ってくるんでしたね…。しかし、結果論ですか」


 カテゴリー4と交戦したことは何度かあったが、そのいずれも倒すことは出来ていない。東京シティにいるナンバーズ達と共に撤退に追い込んだのが精々であった。


 カテゴリー5ともなると尚更。

 倒すことなど不可能で、かつて東京シティを襲ったカテゴリー5がいたが、それはランク2位の炎を纏うスレイヤーによって討伐された記録だけが残っている。


 今までの東京シティにはカテゴリー4、5とまともに戦える人材はいなかった。

 だが今は違う。

 ニコにはユウヒが援護に来てくれるのを信じて待つ他なかった。


 ニコはカテゴリー4超獣の追跡を振り切り、瓦礫の後ろに隠れながら使った分の弾丸を一つ一つ装填していく。


 ニコにはカテゴリー4と戦う戦闘力はない。

 ニコのタイプは「パワー」「センス」「モッド」であり、ユウヒやティアにはついて行くのが精一杯である。

 ユウヒとティアがずばけて戦闘力が高いだけでニコも東京シティだけでみればかなり強い方だった。

 それでもカテゴリー4を倒すのは難しく、単独なら尚更不可能である。


 だから最初からニコは足止めに専念していた。


「…! あれは…」


 ニコが周囲を確認していると、距離としては数百メートルの位置で赤い発煙弾が打ち上がった。

 通信が取れない状況下でスレイヤーが救難信号を他のスレイヤーに送る為の原始的な措置だ。つまりあの信号弾の下には助けを求めるスレイヤーがいる。


 ニコはモシンナガンに弾薬を装填しきると自分を見失って暴れ回っている超獣を他所に、その信号弾が打ち上がった場所に向かう。


 その優しさがあだになるとは知らずに。


 ニコが信号弾の元に辿り着くと負傷したスレイヤー達とそれを介抱しているスレイヤーが一人居た。

 どうやら彼が信号弾を撃ったのだということはニコにはよくわかった。


「大丈夫ですか!?」


 横たわるスレイヤーのほとんどが重症で、ニコは慌てて駆け寄った。ポーチから医薬品を取り出しつつ倒れているスレイヤーの一人に近寄る。


「ああ! ランク25位のニコさんでございますか! 助かりました…! あの巨大な超獣が飛ばしてきた瓦礫で被害が出てしまい…」


 フードを被った男がニコに近寄ってくる。

 ニコは倒れているスレイヤーの女性に適切な医療処置を施しつつ、男に被害状況を訊ねる。


「被害状況は…?」


「いやはや、戦闘続行は不可能です。このモノ達はランク1000位台なのですが、荷が重かったようです」


「撤退を。すぐに退路を…」


 ニコがそう男に進言した瞬間、倒れていたスレイヤーがニコの肩を掴み掠れ掠れの声でニコに話しかけてきた。

 ニコが驚いて倒れているスレイヤーに視線を落とせば、その掠れ掠れの声で何を言っているかわかった。


「そいつは…敵だ…!」


「…え?」


 ニコの首筋に何かが突き刺さった。

 見ればフードの男がニコの首筋に注射器らしきものを突き刺していた。その注射器の内容物がニコの首筋の血管から身体中に浸透していく。


 ニコは慌てて男を突きはなし注射器を引き抜き、立ち上がって戦闘態勢を取ろうとしたが手に力が入らない。ニコはそのまま地面に倒れ込んでしまった。


「なにを…」


 ニコが顔を上げるとそこには男の他に複数人の人影があった。それらの着ている服装には見覚えがある。

 三角頭の覆面に、独特なシンボルが描かれたローブ。黒魔術でもしていそうな格好をしている複数の人々がそこに立っていた。


 崩壊主義者。


 ニコの脳裏にはその単語が思い浮かんできた。


「クフフ、上手く行きましたね」


 フードの男はニコに赤い宝石を見せた。

 それを見たニコはその赤い宝石に目を奪われた。


 欲しい。

 この人に仕えたい。


 この男の人は誰だ?

 とても魅力的だ。


 どうしようもない程の忠誠心が心の中から溢れだしてくる。


 私はこの人を愛しているのか?

 そうだ、お前はこの偉大なるお方を敬愛している。


「この私に忠誠をちかいなさい」


 フードの男がニヤニヤと笑いながらニコにそう言ってくる。

 ニコはぼんやりとした表情のまま男のことを眺めていたが、やがて口を開く。


「…はい…誓います」


「クフフ、それでいい。これでまた戦力を増強できた…」


 男は虚ろな表情のニコを見下ろしながらフードを脱いだ。金髪をオールバックにした男が姿を現す。

 東京シティに住んでいる者ならその顔を知らない者はいない。


 崩壊主義者のレプス。


 東京シティに巣食う崩壊主義者達のリーダー格にあたる男で、相当な切れ者であった。

 レプスはニコの前にしゃがみこむとそのニコの顎を掴んでまじまじとニコのことを眺める。


「噂には聞いていたが中々に美しい。このようないたいけな少女が戦わなければならないなんて、やはり人類には速やかな救済が必要でございますね」


 レプスは紳士的に振舞っているが言葉の端には妙な狂気が隠れている。

 ニコからレプスが離れると、ニコはフラフラと立ち上がり虚ろな表情でレプスについていく。


 レプスがこの場にいる理由、それはもちろん崩壊主義者の念願の夢である「超獣のみの世界」を作る為。

 彼等にとって人類こそが真の悪であり、この世界で消滅するべき存在であった。


 では何故ニコを魅了して手駒にくわえたのか?

 それは戦力の増強のためであった。


 レプスが崩壊主義者のアジト内で「保護」しているとあるニューからた血液…即ち、魅了作用のある血の結晶を生み出すニューかられた血液と、自身の血液を調合し、「レプスを対象とした魅了」を引き起こす薬を生み出したのだ。


 それをニコが隙を見せた瞬間に打ち込み、見事にニコを支配下に収めたのである。

 ニコ程の戦力があれば東京シティを蹂躙じゅうりんするのは容易い。後はカテゴリー4、5をランク9位と”狂人”にぶつけるだけだ。あわよくば弱った所にこの薬を打てば戦力に加えるのも難しくない。


「計画は順調…あとはイレギュラーでも起きなければ」


「なら私は何をすればいい?」


「おや、来てたんですか、アルミナ嬢」


 レプスがそう言葉をかけたのは何もない空間。

 先程までは快晴だったはずなのにいつの間にかレプスの周囲には白い霧が立ち込めていて、どこからともなく少女の声が聞こえてくる。


「貴方の出番はまだです」


「その狙撃手がいるなら確かに私の出番はなさそう」


 見えない何者かの意識がニコに向くがニコは一切反応を示さない。


「それに、もし万が一あのランク9位と狂人が来たら貴方は不利でしょう。あの二人が動いたのならもぬけの殻になった東京シティの政治中枢に入り込んできてもよろしいですよ」


「じゃあそうするよ」


「無茶はしないように」


 そう言い残すと霧がれていく。

 行かせたのは失敗だったかな、とレプスは思うが、彼女とは利害の一致いっちのみで動いている。

 この計画に無理矢理参加させるのは紳士的ではないし、なにより彼女にはいくつか仕事があった。


 東京シティは荒れるだろう。

 少なくとも英雄誕生というムードから一転するのは間違いない。この計画が成功したとしても失敗したとしても、東京シティは損害をこうむるように動いている。


「さて、我々も撤退しますか。後は超獣様の赴くままに───」


 レプスが移動を開始しようとしたその瞬間であった。


 重苦しいまでの殺気がレプスの肩にのしかかった。


 レプスは咄嗟とっさに回避行動を取り、その場から飛び退く。その瞬間、レプスの背後にいた崩壊主義者達は吹き飛んだ。

 死んではいないようだがうめき声を上げて身動きは取れないようだとレプスは判断すると、それをしてのけた存在に視線を固定する。


 黒いマフラーとくすんだブロンズの髪を風になびかせて、スレイヤーであることを証明する制服を身にまとい、黒い直刀をにぎった女。

 怒りに染った赤と青の双眼でレプスのことをにらみ付け、うつろな顔のニコをその手にいている。


「今代のランク9位は本物のようだ…クフフ」


 レプスは目の前に現れたスレイヤーズランク9位、ユウヒを見てそんな感想を漏らしていた。












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