第55話 高崎明翔イン保健室

 チャイムが鳴り、生物の授業が終わる。

「日直、これ生物準備室に入れといてくれ」

 と、生物教師が誰が日直か確認もせずに教室を出て行った。今日の日直は俺と横山よこやま琉貴るきだ。そして、横山はラグビー部キャプテンという屈強な肉体を持ちながら、3日前に部活中に足を骨折して松葉杖生活を余儀なくされている。


「俺ひとりで行ってくるわ」

「悪いな、呂久村」


 人体模型である。生物教師は毎度この人体模型を持って来させて戻させるのだが、今は遺伝についての授業だから絶対使わねーだろと思っていたらやっぱり使わなかった。


 生物準備室まで人体模型を抱えて行く。廊下で休み時間を過ごす生徒たちにギョッとされつつ、任務完了だ。さてと、戻るか。


「おい! 呂久村、大変だ! 明翔が!」

「明翔? 明翔がどうした!」


 西郷が血相を変えて走って来る。


「ストレス性の発作で倒れて保健室に運ばれた! 最期に呂久村の顔が見たいって訴えてるって!」

「ストレス性の発作?! 明翔、そんなもん抱えてたのか!」


 またなんかいらんことを考え込んだんだ! ひとりで抱えずに俺に甘えろって言ってるのに!


 保健室の入口には上靴がひとつあるだけだ。先生もいないのか。大丈夫か、明翔。

 奥のベッドにはカーテンが閉められている。


「明翔、開けていいか?」

「うん」


 布団でも被ってるのか、声がくぐもっていて元気なさげだ。

 カーテンを開けてベッドを見ると、案の定明翔は頭まで布団を被っていて、茶髪の髪が見えるだけだ。


「どうした? 明翔、何かあったのか? 生物の授業で何か思い出した?」

 生物は遺伝に関してだった。明翔が父ちゃんやじいちゃんを連想していても不思議はない。


 布団の中で明翔が首を振る。何の気なしに布団をずらすと、厚めの前髪の下から明翔の大きな目が訴えかけるように俺をじっと見ている。

「どうかした?」

 ……様子がおかしい。なんか、何かが違う。

 問いかけても答えず、鼻辺りまで布団を被ってしまう。


 また闇落ちしそうになってんのかな……前みたいに怒鳴ったりしないで、あまり明翔を刺激しないように心掛けよう。


「明翔」

 努めて優しく、笑顔で呼びかけてみる。

 明翔が驚いたように目を見開いた。ん? どうした?


 布団から4本の指をのぞかせた明翔がチョイチョイと手招く。

 しんどくて大きい声を出せないのかな。


 ベッド脇にかがんで明翔の口元に耳を近付けるも、明翔は何も言わない。何なんだ、一体。

 改めて明翔を見ると、やっぱりじーっと俺を見ている。

 ……えーと……見過ぎじゃね?


 胸騒ぎと共にドキドキと鼓動が速くなるのを自覚する。


 明翔がベッドにひじを付いて、軽く体を起こし俺の方へと首を伸ばしてくる。


 ……明翔が何をしようとしてるか、分かっちゃったかもしれない。

 どうする?!

 男とチューするとか俺は考えられねえ! でも、拒否ったら明翔がすっぽりダークサイドへ行ってしまうんじゃないか?!


 冷や汗だらっだらかきながら考えがまとまらず逃げるわけにもいかずに固まっていたら、あと少し、至近距離で明翔の動きが止まった。

 間近に迫ったその唇を凝視してしまう。

 

 うう~と、小さくうめいている。


 あ、そうか。明翔はたぶんキスしたことがない。ここまで来てためらっているのかあと一歩勇気が出ないのか、何かしら初めてのハードルがあるんだ。

 でも、引きもごまかしもしない。

 キスしたい気持ちはあるんかな……。


 明翔の小さな頭に手を添える。


 ためらってるなら、逃げてくれ。

 勇気が出ないだけなら、相手が俺でいいんなら、俺が少しでも明翔を救えるんなら、あと少しの距離を俺が埋める。

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