第18話 呂久村 深月の父と母

「油を引いたフライパンを火にかけて、豆腐を崩しながら入れまーす」

「ほうほう」

「この間に玉ねぎを切りまーす」

「おー、早い!」

「豆腐の水気がざっと飛んだら皿に移して、また油引いて豚肉炒めまーす」

「いえーい、肉!」


「だいたい肉の色が白っぽく変わったら、玉ねぎを入れまーす。はい、入れて深月」

「はーい。あ!」

「あー、もー。すぐに拾って入れる!」

「わりーわりー。入れました!」

「炒めまーす」

「ジュージュー、ジュージュー」

「へい! ジュージュー、ジュージュー。豆腐戻しまーす」


 明翔が焼き肉のたれを手に取る。

「味付けはこれ1本!」

「たれ頼みかよ!」

「超使えんだよ、焼き肉のたれ。煮物も俺これ1本だかんね」

「え? 煮物できんの? 焼き肉のたれで?」

「今度作ってやるよ。焼き肉のたれ3本くらいストックしといて」

「ほとんど全部同じ味なんじゃねーの、お前のメシ」

「それが素材によって味の印象が変わるもんなんだって! あ、卵3コくらい取って、深月」


「あいよ」

「入れまーす。混ぜまーす」

 慣れた手つきで卵をポポンとフライパンに入れると、シャシャッと黄身をつぶして混ぜていく。


「できあがりー」

「おー、大して金かかってねえのにすげーボリューム!」

「これくらいなら深月ひとりでも作れるだろ。キャベツ入れるともっとボリューム出るんだけど、今日は高かったから断念」

「あれ高いの? 高いのか安いのか分かんねえよ」

「深月ひとりで買い物行くの禁止ね。相場知らずに無駄に高い物買いそう」

「高けりゃうまそうな気がするじゃん」

「うわー、家計滅ぼすわー。ひとり暮らしって、金どうしてんの? 銀行から下ろし放題なの?」


「生活費用の口座に父親からと母親からと毎週振り込まれる」

「月1じゃないあたり信用されてねえな」

「それな。いただきまーす!」

「いただきまーす!」

 手を合わせてアツアツを食らう。おー、あったかいメシだー。


「うまい! 明翔超手際いいよな」

「慣れだよ、慣れ。簡単な料理教えてやるから、深月もたまには自炊した方がいいよ」

「できる気がしねえー」

「慣れだっつの。てか、深月父親いるんだ? 離婚?」

「うん、いるよ。中里なかざとさん」

「オヤジを苗字で呼んでんのかよ」

「オカンがもう他人なんだからって」

「げー。よっぽど泥沼の離婚劇だったの?」

 ズカズカ聞いてくるな、明翔。遠慮ってもんを知らない。まあ、いいけど。


「そりゃもう泥沼の。中里さんが会社の部下と不倫しててさ。それを不倫相手がわざわざ母親の携帯に電話してきて、暴露ったの。家族3人だんらんの真っ最中に」

「げ……」

「やっぱ、平気で不倫するような女のやることだよ」

 明翔は思わず食う手が止まってる。冷めちゃうぞ、せっかくのうまいメシが。


「その次の日には離婚だよ。びっくりだよ。普通に俺ずっと中里深月だと思ってたら、ある日突然呂久村深月とか」

「うっげー、マジかー。突然親が離婚とかショックでけえな」

「そうでもなかったけどな」


 突然の出来事にしては、俺は冷静だったと思う。


 あの時、不倫相手からの電話を切った母の第一声が「離婚よ!」だった。

 ただ、俺にも分かった。母はただ「嫌だ。別れたくない」って自分への愛情を見せてほしかっただけだ。

 中里さんは俺をかわいがってくれてた。母は、子供がいる以上、中里さんが離婚に応じないだろうと思ったのかもしれない。離婚届を用意したのは中里さんだった。


 母は、素直さが足りない。

 俺に対してだって、遊び歩く俺が心配ならそう言えばいいのに、ネコを買ってくるという変化球で俺をコントロールしようとする。


 中里さんは言葉少なに離婚に同意した。母のいない所で、俺にはにっこり笑って

「離婚したって深月の父親であることには何も変わりはない。俺と一緒に暮らすか?」

 と尋ねた。


 俺もそうしたかった。でも、あの母をひとりにしたら自殺でもしかねない。そう思ったから、笑って首を振った。

 俺に対しては中里さんほど執着を見せないから、俺は大丈夫。気にせず解放されてくれ。良かったな、中里さん。そう思って心から笑えた。


 俺にも分かってた。自分で自分を抑えられないくらい、母は中里さんが大好きだった。

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