第12話電車と尻②
『次は尼高井、尼高井です。降り口は左側――』
そのアナウンスとともに、百百川さんが腰を上げた。
やっとのことでケツ圧から開放された俺の太ももにどうどうと血液が通い、右足がつま先まで痺れた。
俺はひょこひょこと右足を引きずりながら百百川さんを追いかけた。
「百百川さん!」
俺が後ろから大声を浴びせると、百百川さんの小柄がびくっと震えた。
と――そのとき、俺の目が、あるものを拾った。
百百川さんのスカートの右側に、縦に留められている大きな安全ピン。
おや、これは――? と思っていると、百百川さんが振り返った。
「ふっ、藤村君――!?」
百百川さんが驚いたように俺を見た。
「あ――ああ、おはよう百百川さん……いてて」
「どっ、どうしたの、右足――? 怪我しちゃったの?」
「うん。さっき物凄く重いものに押し潰されちゃってさ」
「ええっ!?」
セクハラな回答だと思ったけれど、百百川さんは派手に驚いている。
どうも――隣りに座っていたのが俺で、この足は自分の尻が押し潰したものだとは露とも知らないらしい。
そりゃそうだろう、あんだけ真っ直ぐに、宙の一点だけ見つめていたなら――俺どころか他の乗客のことなど目に入らなかったに違いない。
「だっ、大丈夫――? 病院、一緒に行こうか?」
「いやまぁ、ともかくこの足のことは大丈夫だから。それより百百川さん、なんでさっき座席に座らなかったの?」
俺の質問に、百百川さんは少し驚いたような顔をした。
「見てたの?」
「うん。なんだかキョロキョロしてたから、座れる場所を探してたと思ってたんだけど……席が空いたのに座らなかったから、なんでかなぁって」
百百川さんは何事か口を開きかけてから、やがてゆっくりと首を振った。
「なっ、なんでもない――立ってる間に疲れたから座る場所を探しただけ」
その口調は、どう考えてもなんでもない感じではない。
クールビューティで無口な百百川さんだけど、実際は嘘や誤魔化しが下手な人だ。
きっと、さっきの行動には何か理由があるには違いないのだが――。
ただ、本人がなんでもないという以上、俺が詮索できたことではなく――俺は「はぁ」と気の抜けた返事をした。
「藤村君……」
「何?」
「あの……できればこの事は誰にも言わないでくれるかな? 今日のことは――」
「え? うん――大丈夫だって。百百川さんはクールビューティな風紀委員長。そうでしょ?」
俺がそう言うと、百百川さんはホッとしたようにため息をついた。
「うん――ありがとう藤村君。じゃ、また後で、学校でね?」
百百川さんはそう言うと、巨大な尻を左右に振りながら駅の階段を登っていった。
途端に、さっきのバーコードハゲが、靴紐を結ぶフリでしゃがみこみ、階段を見上げようとした。
俺はサッとそのおっさんの前に立ちはだかると、その場でスマホを弄り出した。
チッ、と舌打ちが聞こえたので、あん? と言うように睨みつけると、おっさんは青い顔で立ち上がり、側をすり抜けていった。
なんだか、いつにも増して歯切れが悪い会話だったなぁ――。
俺はより強くなった違和感を抱えながら、百百川さんの後を追って駅の階段を登り始めた。
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