フランセ料理のフルコース

 陸軍の小型バスがピクルスたちの近くに停車して、運転席の横に乗っていた初老の男が、自動的に開いたドアから降りてきた。


「ようこそ、ピクルス王女殿下。陸軍大将のナマライス‐ティポットです」


 ナマライスは、スッパイーゼが出した辞令によって大将に復位したのだ。


「昼食時も随分と過ぎて、さぞご空腹のことと存じます。このバスには、フランセ料理のフルコースをご用意しておりますので、移動中にお召し上がり下さい」

「まあ、フランセ料理のフルコースですって!」


 ピクルスの目が見開き、同時に胃袋も目覚めた。


「はい。それと、ザラメにもあります。大型犬用の牛ストロガノフです」

「空軍中尉?」

「牛ストロガノフ!!」


 ピクルスは首を傾げ、ザラメは舌を出した。

 ここで、スッパイーゼが口を挟む。


「おっと、話すのが遅くなりましたね。実はザラメ軍曹の今回の働きを称え、フランセ空軍において、彼には中尉の階級を付与することにしたのです。私が総大将になって最初に出した二つの辞令のうちの一つです。はっはっは」


 これは破格の待遇である。犬が尉官に就くというのは、フランセ国軍のみならずヴェッポン国自衛軍でも例のない珍事のような人事なのだ。


「ザラメ、空軍中尉ですわよ」

「はっ! 誠に光栄、恐悦至極であります!!」


 だらしなく口から垂れていた舌は、既に引っ込んでいる。

 これまで決して見せたことのない真面目顔と照れ顔が半分ずつ混ざった、なんとも滑稽な表情を作って尻尾を激しく振るザラメの姿だ。

 ビデオカメラを回せば良かった、という未練がピクルスの胸中に浮かび、次の瞬間、心に焼きつけるだけでも十分という妥協に変化した。しかしこの先に待ち構えている多事多難に比べれば、それは些末なことに過ぎない。


 バスの内装は通常の陸軍バスとは大きく異なっていた。特別仕様車だ。

 真紅のテーブルクロスの上に置かれたクリーム色の皿には、緑色の斑を含む黄色の直方体が二個、ちょこんと大人しく並んでいる。


「オードブルでございます」

「まあ♪」


 さも当り前のように、至極短い歓喜を表現する言葉が発せられた。

 ピクルスにとって生まれて初めての遭遇となる、フランセ料理のフルコースが、まさに今ここで開幕したのである。


「ふんわりとした舌触りと、シャキッと歯ごたえ。これは絶品ですわ♪」


 青葱入りの玉子焼きは、わずか十秒で平らげられてしまった。


「オニオンを茹でて、そこへ発酵大豆を加え、味つけしました」

「これは良い香りですこと!」


 玉葱の味噌汁は、ピクルスにとっては人生の一ページに彩りを添えてくれる格別なスープとなった。


「ポワソンでございます。擦り下ろした大根を載せてお召し上がり下さい」

「なんと芳しいのかしら♪♪」


 秋刀魚の塩焼きという一品にしても、ピクルスを喜ばせるためだけに、ここまで泳いできて焼かれたのです――と、横に添えられている大根下ろしが、あたかも語りかけてくるように思えた。


「肉じゃがです。肉は赤毛フランセ牛でございます」

「赤毛フランセ牛ですって!!」


 ピクルスが、これまで幾度か耳にしたことのある高級食材の一つである。

 夢を見ているのかと思いながら、じゃが芋・玉葱・人参・さや隠元・白滝・赤毛フランセ牛の肉、そして、それらの味が良く染み込んだ汁をも丁寧に味わう。

 これを至福といわずして、他になにがあるのか! そのようにピクルスは腹の底から叫びたくなった。


 テーブルの横では、ザラメもまた至福の時を感じている。


「ギュうぅストすとロォがぁ~~の!!」


 大型犬用の牛ストロガノフが、想像を遥かに超えた美味しさなのだろうけれど、しかし、なにをいっているのかは、食の神ですら分からない。


 ピクルスを喜ばせ続けるフルコースも佳境に入る。


「七穀ご飯でございます。素材は赤米・黒米・粟・稗・麦・大豆・黒豆です」


 もっちりとしていて、噛む毎に微かな甘みと、七種類それぞれの個性が口の中に優しく広がってくる。

 白米のお握りが大好きなピクルスなのだが、この七つの豊かな味によって、白米に勝るとも劣らない素晴らしい食感を教えてくれる穀物の存在を味わい知らされたのだ。


「胡麻豆腐です」


 ほど良い冷たさに、滑らかでいてしっかりとした歯ごたえ。口の中で潤いを保ったまま煌びやかに溶けてサッと広がる風味。洗練された豆の妙味である。


「わらび餅です」


 さらに冷たく弾力があり、それでいて歯切れ良く、ピクルスの知るどのような食感とも少しずつ違っていて、それは見事なまでに不思議な感覚を楽しめる。

 きな粉と砂糖を混ぜたのを振りかけることで、より一層味わいが増す。そればかりか、極めつけに黒蜜まで用意されていた。


「ほっぺが落ちそうですわぁ~♪」


 頬だけではなく、両の目も、今や落ちそうに下がりつつも、落ちないで移ろいかけている。


「焙じ茶です。大変熱くなっておりますので、お気をつけ下さいませ」


 出された湯呑み茶碗から、頻りに柔らかな白い湯煙が立ち上っている。

 ピクルスはまず香りを十分に楽しもうと思った。ここではそうすべきだと自然に悟ったのだ。


「芳醇で豊かな香りですこと!」


 そして、ゆっくり慎重に口をつける。


「熱い! でも、とっても美味しいですわ~」


 夢のようなフルコースが終演の時を迎えて、下りる幕と連動するかのようにピクルスの二つの瞼も下りるのである。もう一つの夢の世界の開幕なのだ。

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