第2話 目覚め


・・・?


瞼を開けると、自分が横になっている事に気がついた。


目線の先にあったのは、天井だったからだ。


俺は少しのあいだ何も考えられず、ただぼーっと灰色の木材が交差する天井を見ていた。


そしてゆっくりと、ここは自分の家では無い。という事実に気がついた。


「いつっっっ」


慌てて上半身を起こすと、体中が痛む、酷い筋肉痛だ?


「ここはどこだ・・?」


 痛みに耐えながらぐるっと部屋の中を見渡した。しかし全く見た事のないタイプの住居だ。というよりも古めかしくてボロいし、カビたような匂いがする。まるでバラックだ。俺はなぜこんなとこに?


右手で髪を掻きむしりながら、必死で記憶を辿る。


そして思い出した。俺は自殺するために山に入ったって事を。


そう、・・そして猪に襲われて・・


そこまで思い出して、掛けてあった布団の様な物をはいで足を見る。最後に見たときは、猪の牙でえぐられて血まみれだった。


「手当してある・・」


 足を見ると、汚い布が何重にも巻き付けてあった。動かすと痛みは感じるが、出血は止まっているようで、布は赤くはなっていない。


 一体誰が? 


 間違い無く、手当をしてくれた人間がいる。なぜなら、巻き付けてある布は俺が見た事が無いもので、結び目も自分が知っているやり方じゃ無かったからだ。


「すいませーん」


 思わず声を上げる。手当をしてくれた人に、お礼を言わないといけなかった。それに色々と聞きたい事がある。


 「・・すいませーーん!」


 少し待っても返事が無かったから、俺は1回目よりも大きな声を張り上げた。しかし、更にしばらく待っても返事が返ってこない。


誰も居ないのか・・?


どうしよう・・事情を聞きたかったのに。しかし反面、ここには自分しかいない。そう思うと、なぜか安心した。


 そして俺は一息ついて立上がる。気づけば喉が酷く渇いていた。足は痛むけど、歩けない程じゃ無い。


 「これって・・」


 開いた扉を抜けて隣の部屋に行って見つけたのは、大きな桶に入った水だった。水桶と呼ぶんだろうか?家の作りといい、どうやらかなり山奥の集落で助けて貰ったようだ。


 「ゴクッゴクッゴクッ」


 コップが見当たらなかったので、手ですくって水を飲んだ。普段なら衛生面なんかを気にして躊躇したかもしれないが、今の俺にそんな余裕は無かった。


「ゴクゴクゴク」


 2度や3度では足りず、4度も5度も手のひらで掬って飲んだ。昨日飲んだ、最後のジュースよりもよっぽど美味く感じた。


 「ふぅーーー」


 水を飲んでようやく落ち着いた俺は、腹も減っている事に気づいた。しかし自分が持ってきた食べ物は、昨日食べたカロリーメイトが最後だ。どうしたものかと水瓶の回りを見渡すと、芋の様な物と、輪切りにされた大根を見つけた。


 「すいませんーー」


俺は今度は小さな声でそう言うと、勝手に大根を手に取って口に含んだ。


噛むとシャリっと音がする。美味い・・!大根がこんなに瑞々しいなんて。俺は直ぐに2口目3口目と頬張った。大根なんて、普段全然好きじゃなかったのに。


俺はあっという間に、拳ほどの大根を平らげた。続いて芋の様な物を手に取って匂いを嗅ぐ。なんの匂いもしない。それにパサパサに乾いている。いわゆる、干し芋だろうか?今までの人生で、一度も口にしたことが無い。しかし俺は思い切って、一口囓ってみた。


 「・・・」


 なんとも言い難い味だった。なんとも例えがたい味だった。美味しくは無く、食べられないほどまずくも無く、そもそも殆ど味がしない。普段なら一口目で投げ捨ててるだろう。しかし、俺は腹を膨らませる為に、置いてあった3コの芋を、全て平らげた。


 「ふうーーー。とりあえず落ち着いたな・・」


 大根と芋を食べて、俺は再び寝かされていた板の間の上に横になった。そして膨れた腹を撫でる。非常事態とは言え。勝手に食べてしまった。手当をしてくれた人を待って、謝って、お礼を言って・・・


 そこまで考えて、俺は大事な事を思い出した。そうだ、俺が山に来たのは、自殺をするためだった・・


 なんて間抜けだろう。死ぬために来たのに、誰か分からない人に助けられ、手当までして貰い、あまつさえ勝手に食料を食べたなんて。死ぬなら空腹でいいじゃないか。俺は一体何をしてるんだ・・


こんなんだから俺は今までも・・


過去が頭の中をぐるぐる回って自分を責める。


せめて死ぬ時くらい、失敗したくなかったのに。


だから家ではなく、わざわざリュックをからって山にまで・・


そこで俺は自分がからっていた筈のリュックも無くなっている事に気づいた。


なんなんだこの状況は?俺はこれからどうしたら・・?


自殺を決意した時と同じくらい落ち込んでいく。


しかし死ぬ前にすることはしなければ。


まず助けてくれた人にお礼を言って、謝って、それからちゃんと死ねるように・・


そこまで考えて、俺は耐えがたい眠気が自分を襲っている事に気がついた。





 「はぁ はぁ はぁ」


息を切らしながら、思い切り力を足に込めてペダルを漕いでいる。


体力は有る方だと思っていたのに、心臓は大きな音が直に聞こえる程脈を打っていた。


家を出てからもう2時間、ようやく目的の山に入った。時間がかかったのは、途中で神社に寄った事と、道路の勾配が思ったよりきつく、途中途中で自転車を押してきたからだった。


 「くそっ、もういい」


俺は荒く息を吐きながら、痛む腕でガードレールの隙間に自転車を押し倒した。


どうせついたら捨てるつもりだったし、ここからは歩いて死に場所探しだ。



それからとりあえず、最後に育った町を眺めようと山頂を目指した。


平日の昼間だというのに、山道を行き交う車やバイクが全く見当たらない。


そのせいか音が全く無く、町中とは別世界だ。


道路がコンクリートだからまだどこか安心だけど、そうじゃ無ければ心細くなっていただろう。それほどに森の中は、異質だった。



しばらく道なり歩くと視界が開けて、大きなダムに出た。


幾つもの尖った角がある、ヒトデのようないびつな形をしている。まるで大きな水溜まりみたいなダムだ。なんでこんな形にしたんだろうか?意味あるのかな?


そんな事を考えながら、俺はそのダムの緑色に染まった水面を横目に山頂へと進む。


 「んん?」


 そしてダムを出てしばらく歩いた所で、髪に何かが触れた。何だろうと顔を上げると、また何かが頬を叩く。正体に気づくと同時にそれは数を増し、あっという間に俺を濡らしていった。


「まじかよ」


思わず両手を頭の上に掲げる。しかし、降り始めた雨に対してはいかにも効果が薄い。ましてや山の中。道路には雨をしのぐ場所も無い。


「ザーー ザーー ザーー」


雨が益々酷くなる。そういえば、どうせ死ぬからと天気予報なんて見てこなかった。


俺は辺りを見渡すと、意を決してコンクリートの道路から、木の生い茂る森に足を踏み出した。このままじゃずぶ濡れだ。・・まあどうせ死ぬし、濡れるのはいい。でもこのままじゃ、変なタイミングで事故死しかねない。いくら死ぬ気で来てるとは言え、その時くらいは自分のタイミングで逝きたい。


「バシャ バシャ バシャ」


 あっという間に地面に水溜まりが出来ていく。まるで排水溝の中を歩いてる気分だ。靴もとっくに浸水して持ち上げる足が重い。何とか雨を避ける場所を見つけないと・・・


「げっ・・まじか」


重い足で少し歩くと、今度は霧が出てきた。霧を実際に体験したことが無い俺は、その濃さに顔をしかめる。まるで皮膚にまとわりつくような感触だ。


しかし立ち止まってはいられない。雨のせいか段々と暗くなっている。


「ザーー ザーー」


「ゴロゴロゴロ」


 更にしばらく当てもなく歩くと、雨が弱まり今度は雷が鳴り出した。今までは家の中から見ていた雷が、近くで見るとこんなに眩しいものだと知れたのは、死に土産として悪くないかも知れない。最も、落雷で死ぬのは痛そうだから勘弁して欲しい。


 そんな事を考えながらドロドロの地面を、転ばない様に歩いていると、前方に大きな岩が横たわっているのが木の枝の間から見えた。あそこの下に行けば、雨宿りが出来るかも。そう考えた俺は、最後の力を振り絞ってその岩へと向かう。


 「でっっっけぇ・・」


 たどり着いてみると、岩は思ったよりもずっと大きく、幾つかの大きな岩が組重なって出来ていた。高さは5メートルはあるだろうか。いつか見たイギリスかどこかにあるというストーンヘンジに似ていて、真ん中から下が空洞になっている。そういえば、山に入る前に寄ってきた、神社の鳥居の様に見えなくも無かった。


「ドサッ」


 岩の真下まで入り込み、腰を下ろす。家を出てどのくらい経っただろうか、こんなに歩き通したのは、生まれて初めてだった。


 俺はリュックを脇に置いて、辺りを見渡した。暗い、もう8割方夜になっている。山の夜は早いとどこかで聞いたけど、本当みたいだ。




暗闇の中動く事も出来ず、これからの事を考えていた。


きっと親が俺がいない事に気づくのが3日後くらいだろう。


何度か声を掛け、その上で全く物音がしない事を不審に思って部屋に入ってくる。そこで俺のスマホが机の上に置いてある事に気づき、更に脇に置いた遺書に気づくだろう。


そして紙を広げて驚愕する。最初はたちの悪い冗談だと思うかもしれない。


なにしろ俺は敢えて日付を書いた。そう、4月1日と。これであの親なら、俺がふざけて自殺に見せかけたと思うかも知れないからだ。まぁ、どちらに親がそれを見る時には俺は死んでいる。ただの嫌がらせだ。


しかし結局、何度も殺したいと思ったあの電話の奴らに復讐はしないままだ。


自殺するなら、あいつらを殺してからでも良いんじゃないかと思った。それは間違い無い。でもしなかったのは、結局俺に根性が無いからなんだろうか・・。それとも死ぬと決めてから、死ぬこと以外どうでもよくなったからか。


父親に夜中包丁を持っている姿を見られた日から数日、どうやって死ぬのが楽なのか調べた。やり方は幾つもあった。首つり、手首、ガス、飛び降り、飛び込み・・


結局山で首を吊ろうと思ったのは、死に方で人に迷惑を掛けたく無かったからだ。


飛び込みや飛び降りは関係の無い人を巻き込んでしまう可能性があるし、ガスや手首は親に死体を片付けさせることになる。それはしたく無かった。


山を選んだのは、運が良ければ土に還るまで誰にも見つからないと思ったからだ。


近くの山中にいるのか知らないけど、熊なんかに死体をかたづけて貰うのも悪くない。そんな考えで俺は大した準備も無く、山に向かったのだった。


 「グゥーー」


 色々と考えていたら大きくお腹が鳴った。死のうと思っていても、腹は減る。人間ってのは不便だ。


そう言いながら、横に置いたリュックの中を漁る。一応、部屋にあったジュースとカロリーメイトを入れてきた。昔の侍は腹を切る前には何も食わずに過ごしたらしいが、そんなの関係ねえ。


 「美味いな・・」


 まるで丸3日何も口に出来なかったような勢いで、俺はカロリーメイトを食べ尽くし、ジュースを一気に飲み干した。勉強中に食べていた時は、大して美味くなんて感じた事なかった。食べるタイミングでこんなに味が変わる。人間は不思議だ。


 そういえば小学生の頃、人間が酷く不完全に感じた時期がある。機械は1度充電したり、電源を繋げば長く動くのに、人間はなぜ毎日毎日ご飯を食べないといけないのだろうかと。もし生まれ変われるのなら、機械も良いかも知れない。最も、機械に魂なんてものがあればの話しだけど・・・





 目を覚ますと、既に明るくなっていた。スマホも腕時計も無いから正確な時間は分からないけど、まだ朝の8時―9時くらいだろうか?結構長く寝ていたようだ。


 「うわっ?」


 首元を拭うと汗がべっとりと付いた。そういえば妙に蒸し暑い。山の上は湿度が高いのだろうか。しかし霧はもう跡形も無くなっている。


 結局昨日はカロリーメイトを食べてすぐに寝てしまったようだ。地面に寝てたせいか、首といつの間にか枕にしていた腕が痛む。


「んーー」


 とりあえず起き上がって背伸びをした。鼻から入ってくる、ほんの微かに清涼剤のような匂いがする空気が美味い。


 辺りを見渡すと、昨日は気づかなかったけど、休んでいる岩の回りを大ぶりな木が囲んでいる。いつの間にかかなり山奥まで入ってきていたんだろうか。


 最も、死んだ後の事を考えれば、そちらの方が望ましい。死んでる途中で見つかって助けられたりしたら最悪だ。更に恥を重ねる事になってしまうから。ここならそんな心配は要らなそうだ。


 改めてリュックからロープとナイフを取り出した。一応、首を吊って死ぬつもりだけれど、よく考えればちゃんと死ぬには丁度良い木が無いといけない。


 それは体重を支えられて足が着かない高さの枝と、踏み台に出来るような場所が一緒になった木だ。再度辺りを見渡したが、残念ながら近場には無いようだ。俺はやれやれと、山道を適当に歩き出した。


 少し歩いて気づいたが、地面が濡れていない。あれほど昨日雨が降って、じゅくじゅくしていた地面だったのに何でだろう?山の土は乾くのが早いのだろうか。


 そういえば、空もいつもより青く見える。中々気分が良い。死ぬには良い日だ。


 歩きながら、死んだ後の事を考える。天国とか地獄とか、蘇りとか生まれ変わりとか、一体どれが本当の事だろう。今までは、死んだら結局土に還るだけだと思っていた。だって俺、理系だし。でも、天国とか地獄も、証明出来ればそれはそれで理系なんだよな。


 ひとりでぶつくさ言いながら歩いていると、いつの間にか山の峰辺りまで来たようだった。地面の傾斜が変わり、歩くのが楽になる。いつしか歩きの速度が上がり、半ば早足になって俺は獣道のような場所を下っていた。


 「うわっ!?」


 すると突然、目の前の泥の大きな固まりが動いた。俺は半ば転ける様に方向転換して、木にぶつかり立ち止まる。勢いよく木に当たったオデコを必死で撫でながらその動いた泥の固まりを見返すと、それは大きな猪だった。


 ヤバい。俺はまずそう思った。肩までの高さは1メートルくらいだろうか、胴の長さは多分、1.5メートル程か。テレビなんかで見た事はあるけど、実際に近くで見ると、想像していたよりも威圧感を感じる・・いや、生命力と言うのだろうか、まるでパワーの固まりが猪の姿をしているようだった。


 泥の固まりに見えたのは、元々灰色に近い毛に覆われていて、更に体中に泥が付いているからだろう。しかし、顔の中心にある、斜めに鋭い目と2本の牙だけは、恐ろしく光っていた。牙の大きさは15センチくらいか。短いが、真っ直ぐ上に向かって生えている。突進されてあんなので突き刺されたら、間違い無く大怪我してしまう。


「ヴヴーーー」


目が合って、猪が唸る。やばい、猪に出会った時の対処法なんて知らない。一体どうすればいい?そりゃ、死ぬ気で来たけど、猪に刺されて死ぬなんて、絶対に痛いじゃ無いか!そんなの御免だ。


 俺は慌ててリュックからナイフを取り出した。素早くカバーを外してナイフを猪に向ける。これでびびってくれないか・・?


すると猪は、ナイフが反射した光にいらついたのか、頭を左右に振り出した。


逆効果だったか?でももう遅い、頼む!そのまま行ってくれ。


 しかし猪は、俺の願いもむなしく、前足で地面を蹴り始めた。これは俺を威嚇しているんだろうか?どうする?ナイフ一本であんなデカいやつと戦うなんて、無理に決まってる。木に登ってやり過ごすか?しかし近くの木には、登れるような位置には枝が無い。どうする?どうする?


考えがまとまらないままの俺にゆっくりと猪は近づいてくる。


「くるな!こっちくるんじゃねえ!!」


俺は必死にナイフを振り回した。すると猪は、更に大きなうなり声を上げ俺を見る。


そして俺は猪と目が合った。


ヤバい!そう思った瞬間、猪は俺に向かって走り出す。距離はもう15メートル程しか離れていない。俺は反射的に背中を預けていた木の後ろに回り込んだ。


 「ドカッ!」


 間一髪、俺は避けて猪は俺が回り込んだ木に斜めに体当たりをした。その瞬間、すごい衝撃が木を伝ってくる。もし動くのが後1秒遅れていたら、猪と木に挟まれていただろう。そうなっていた時の事を想像して、俺の体は震えた。


 「ヴォーーー!」


 木にぶつかった衝撃で地面に転がっていた猪は、ゆっくりと立上がって吠えた。俺は既に駆け出していたが、距離はまだ20メートルも離れていない。


追いかけて来るな!必死に俺はそう祈りながら、自分でも驚くほど素早く木と木の間を縫いながら走る。


 「ヴオッヴオッ」


しかしすぐに遠吠えのような叫びと共に土を踏みつける音が段々と近づいてくる。直線的に走ればすぐに追いつかれてしまうだろうと、わざと木々の間を走っているのに、その足音は俺に何の猶予も待たせてくれない。そして


 「ヴオーーー」


 背後からもう一度野太い声が聞こえたかと思うと、その瞬間左足に鋭い痛みと衝撃が走った。


 「ぐわっ!」


 俺は走りながら猪に左足を斜めに吹き飛ばされ、そのまま前方の大木に体全体を叩き付けられていた。


「ドカッ」


胸と腰を強く打ち、息が出来ずにうずくまる。必死で声を押し殺し、立とうとしたが足に力が入らない。手を足にやると、ぬるりとした感触と共に、鉄の匂いが広がった。


 「まじか・・・」


 痛さで頭が眩む。なんでこんな目に?なぜ上手く行かない?死ぬときくらい、思い通りの死に方をさせてくれてもいいじゃないか!俺は歯を食いしばりながら、10メートル先にいる猪を睨み付けた。


 しかし猪にそんな気持ちが伝わる訳が無い。猪は赤く染まった牙を上下に振りながら、1歩1歩俺に近づいてくる。もうこの足じゃ逃げようがない。あぁ、最後までしょうも無い人生だった。そう思うと涙がこぼれた。


 もう次の瞬間には、猪が俺にとどめを指すのだろう。


こうなったら、せめて一撃で逝きたい。そんな事を思って目をつむったその瞬間、俺は誰かに呼ばれた気がして、寄りかかった木の後ろを振り返った。


 「これは・・」


 振り返ると、そこはまるで崖のような傾斜の坂だった。所々に岩があり、落ちればとても無事に済みそうに無い。でも・・・


 「うおおおおーーー」


次の瞬間、俺は振り返らずに崖の下に体を投げ出していた。






「オラァ 開けろ!」


「ドカッ」


「止めてください!」


「うるせえ!」


「!?」


何かの音で目が覚めた。


腹が膨れてまた眠っていたようだ。しかも寝汗でびちょびちょだ。


何か嫌な夢を見たんだろうか?しかし、さっき聞こえた声は夢じゃ無かったような・・そう思い、俺は改めて耳を澄ませた。


「殺しちまうぞ!」


「やめろ!」


「ドカッ」


「ぎゃぁああ!」


いくつかの声は、そう離れていない場所から聞こえてきた。恐らく、100メートルも離れていないんじゃないだろうか。


一体なんなんだ?こんな山奥で喧嘩か?しかし、それにしても普通じゃない。もしかして強盗だろうか。俺は不安に駆られて、音を立てないように気をつけながら部屋を出た。


恐らく、先程の台所のような場所から外に出られる。傷の手当てをしてくれた人には悪いけど、面倒は御免だ。


「カラカラカラ」


ゆっくり開けても音がする、古めかしい木の引き戸を開けると、外は暗かった。どうやらもう夜みたいだ。俺は一体どのくらい寝ていたんだろうか?


しかし直ぐに違う事に思考を奪われた。


「スン スン」


何かが焦げた匂いが鼻を刺激する。何かが燃えている。嫌な予感がして、隠れながら家を回って表に向かう。すると土の道を遮る様に生えた木々の上から、煙と炎が揺らめいているのが見えた。


「マジか・・?」


まさか、家を燃やされているのか?いくら強盗でもそこまで?そんなの、日本であり得る事なのか?しかも、あの声からするとまるで隠す気が無い・・つまり、全員殺す気なのか・・?


俺はそこまで考えて、恐怖で口をパクパクさせた。


もしこの強盗が、最初から皆殺しにする気なら、当人だけじゃなく、目撃者なんていたら完全に殺すだろう。つまりもし俺が見つかれば・・・


「ヤ、ヤバい・・・」


俺は痛む足を必死に動かして、再び家の裏側に向かった。幸い、まだ気づかれていない。もう暗いし、また山に逃げ込めば、見つからないだろう。


「はあ はあ はあ」


家の裏からボコボコのあぜ道を通り、自分の背丈ほどの草を踏みつけながら奥に奥にと進む。月は出ていてもその光は弱々しい。普通ならとても1人で山に入ったり出来ないないだろう。しかし、今は違う事への恐怖心が、俺を動かしている。俺はただ必死に、誰からも見つからない場所を探した。


「はぁ はぁ はぁ ここまでくれば・・・」


どのくらい歩いただろうか。


足の痛みが限界を超え、俺は腰を落とした。


辺りを静寂が包み、聞こえるのは虫の声だけだ。


一体、なぜ俺がこんな目に・・?誰に文句を言えば良いのか分からない。


ただ、安全そうな所までこれたからか、自分の中の妙な高揚感を感じて俺は戸惑った。こんなに必死で体を動かした事が今まであっただろうか。こんなに恐怖して、安心を感じた事があっただろうか。


まさか死ぬ決意をしてから、こんなに生きてる実感をする事があるなんて。


「どうしたいんだ・・?」


天を仰いで思わず口からそんな言葉が出た。


それは今からどうするか・・ではない。


ホントにこのまま自殺して死ぬかどうかの確認だった。


正直、俺は今の自分の気持ちが分からなくなっていた。

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