第88話

ヨナは新たに配給された一週間時計を悟られないように確認した。

時計の針は業務終了時刻である20時手前を指していた。


食事もとらずに続けた新たな業務にヨナは非常に率先的だった。彼は何かを確かめるように、かたや、駆り立てられるように淀みなく業務を続けて来た。彼の求める答えは未だ見つからない。

時間的に次の対象者がこの日最後になるだろう。


・・・カチ。


『次の方』


「ヨナっ!!!」


銀色の空の椅子が運ばれてくるのと同時に、背後でそんな声がした。

彼はゆっくりと立ち上がり声がした方を向いた。それから、突然部屋を訪れたブルーカラーの娘を腕の中へと迎え入れた。


「・・・」

「ヨナ!もう大丈夫。大丈夫だよ」


それはエリスであった。エリスは泣きじゃくりながらそう言った。


「・・・」

「酷い事されなかった?何処もケガしていない?」


続けて小さな手の平がコートの上を改めて足元を覗いて、それから上の様子を見ていたような気がした。すべてが追憶の向こう側での出来事のような気もした。


「・・・」

「ヨナ?ヨナ?」

「・・・」

「私は平気。なんともない。言って?」

「エリス」

「うん」

「俺は酷い事をした。しかし」

「うん」

「よかった」

「うん」


二人だけが真相を知る血塗られた再会だった。


それから、どれくらい時間がたったか、開放された部屋の扉の方から物音がした。巨大な重量を持つ人間が歩いた時のような音だった。反射的にヨナがそちらを見ると、そこにはいつかの黒い影が立っていた。


「エリス」

「ヨナ大丈夫。この人がスリオ卿」

「スリオ卿?あなたが?」


光沢を放つ黒い布で締め付けられた体は、いたるところが隆起して人間離れてしている。顔も、指先も露わになっている場所は無いし、そもそもあれは人間ではなかったはずだ。


ヨナはエリスを一歩越えた。すると、黒い人影の丁度喉にあたる部分が発光した。


『警備が手薄な内にここから去った方がいいだろう。さぁこちらへ』


極端なまでに強調された女の見た目に反し、その声は年老いた男のようだった。二人はその声に従った。それは、スリオ卿の話し方が大変流暢で、扱う言語が巧みであったから。ただ、それだけの理由だった。二人は、人間の言葉が時として、人間の持つ根本原理すら覆してしまうという事実を知っていた。


小さな部屋を出ると、通路の壁に平和贈呈局員が数名もたれかかるように潰れていた。人間の持つ力では到底できない芸当だ。スリオ卿の喉が再び光り「格闘戦用のソフトウェアは加減というものを知らない」と言った。彼は、潰れた平和贈呈局員らの中央あたりの壁に歩み寄った。すると、メキメキと骨を軋ませるような生物的な音と共に隠された通路が姿を現す。恐らく、この通路から奇襲を行ったのだろう。


「この街はとある樹木の構成情報を組み替えて、建築物として利用している。君たちの多くは、自分たちを除いて『生命』が死滅していると考えているが実際その考えは誤りだ」


半身振り返るスリオ卿の後にヨナが続き、その後に、やはり怪しいといった様子のエリスが続いた。


「ようこそ裏側バックヤードへ。信じられないかもしれないがこれは現実だ。さあ、来たまえ」

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