第89話

スリオ卿に続いて二人が隠された通路に足を踏み入れると同時に入り口が消えた。

彼の言う通り、ここは裏側なのだろう、張り巡らされた水路の中を水が流れる音が微かだが聞こえている。


「百聞は一見に如かずという、私のところまで数歩で繫げてしまう事も可能だが、少し歩くとしよう」


通路はそれ自体が白く発光し、緩やかなカーブを描いていた。

スリオ卿の声が跳ね返り様々な方向から聞こえて、現実離れした景色に何か不穏な未来を創造したのか、エリスは怯えているようだった。


「私はともかく、君たちには明確に時間が無い」


スリオ卿がそう言い終えると、進行方向にある通路の一角が鮮烈な赤によって染め上げられた。逃げまどう人影、追う人影、新たに広がる赤、燃え盛る気化レガリアの炎、それは現在の街の様子だった。


「植物が代謝の末に酸素を生み出すようなものだ。小難しい名称が付いてはいるがね。かつては多くの生物がこれを消費することが出来たが、現在それが出来るのは私ただ一人だけだ。とても使いきれない」


スリオ卿の声がまた反射し様々な位置から聞こえていた。二人は黙ったままあとをおう。

映像が切り替わり、次に映し出されたのは、クルードへ通じる通路や、ラヴィ氏の居た地区、エレベーター、荒れ果てた水飲み広場、半ば埋もれた瓦礫の隙間、そこに蠢く大勢の人影、暗く人気のない場所にひっそりと佇む古い憲章マグナカルタ、新品の蝋燭、金属製の筒だった。光沢のある喉に再び光が灯る。


常緑樹じょうりょくじゅが越冬に備えて葉の一枚一枚をエネルギー貯蔵タンクとして活用するように、この街も時間を掛けてエネルギーを蓄える、いくつかの区画に分かれたそれらを時間を掛けて我々が使う。決して使い切らないように注意して」


「わたしたちは機械じゃないもの。植物でもないわ」


エリスがそう言うと、スリオ卿はピタリと足を止めて振り向いた。思わず彼女が身を隠す。


「私もそう思う」


また、映像が切り替わり、今度は役目を終えた物が積まれる場所が映し出された。広大な空間は薄暗く、静かによどんで、絶え間なくどこかで何かが降り注いでいた。


「分解された元素は再構築され適所使用される。服、食器、趣向品・・・人間がそれらしく生きてゆくには思いのほか沢山の物が必要であるとわかった。しかし多すぎてはいけない」


「・・・あれ」


暗い澱みの中でエリスが何かを見つけた。肉舐めだ。


「『永遠の光エターナルグローリー』、半永久的に機能する照明装置だよ。の様々な物質を分解し、光として代謝する。街の衛生を常に保ち、光ある場所に彼等は常に存在する」

「あなた達が創ったの?」

「いかにも」

「あんなものを作るなんてあなた達は馬鹿げてるわ。『お日様』すらも独り占めにしようとするなんて」


スリオ卿は再び振り返り、エリスもまた身を隠す。


「私もそう思う」


再びスリオ卿が歩を進める。進路上の通路は早くも何か不穏な映像に切り替わり始めていた。いち早くヨナが気が付く。


「エリス」

「なあに?ヨナ」

「君は見ない方がいい」

「なにがあっても平気よ。それに傷跡を見る度にきっとこの時の事を思い出すわ。それは、きっと、とても素敵な事だもの」

「そうか」


数歩の間停滞していた映像が再び同調する。映し出されていたのは、おびただしい数の局員たちの遺体だった。


「あんなに、沢山・・・」


「痛みの少ないものは再構築され、養成所へと運ばれる。そうでない者は、異なる方法で活用される」


ひとりでに流れる通路はやがて枝分かれし、一方は別の施設へと続いていた。もう一方の通路では痛みの多い局員たちが何重にも張り巡らされたローラーの上をのろのろと進んで次第に衣服をはぎ取られて、同時に体に擦り込まれた血や汚れが洗い落とされてゆく、男も女も、平和贈呈局員も、食料分配局員も、統合生活管理局員も、バラバラに砕けた彫刻が弾き合うような凄惨な景色であったがそれも、彼等が一つ目の箱を通過するまでだった。すっかりられた彼等はそのあと板状に延ばされて、一口大に成形され、乾燥され、最後に食欲を減退させる青色に染められた。


エリスは立ち止まって、壁に両手を当ててそれを見ていた。


「エリス」


奇妙なことにヨナは不安に駆られていた。局員たちが漏れなく形を似せて作られた偽物であるという事実が、お互いの関係を悪化させるのではないかと。

やがて映像が消えて、そこには壁の白さだけが残された。スリオ卿が先に進んだためだ。両肩に触れてヨナがまた名を呼んだ。


「エリス」


「わたし、酷いこと言ったね?」


を・・・)


彼女の言ったその言葉をヨナはきちんと覚えていた。というよりも、彼の記憶にそれはしかと刻まれていたのだ。それを今、彼女がそっと指先で撫でたような気がした。それで十分だった。


「いいんだ。あれはもうただの食料だ。君の言った通り、恐怖を和らげる効果も傷の痛みを消す効果もない。行こう」


「うん」


二人は少しペースを上げてスリオ卿の後を追った。丸い光沢を放つ背中に近づくにつれ、同じように正面から映像が流れて来る。大きな頭飾りに、つま先まで隠した漆黒のローブ、銀色の仮面、すっかり定着したお世話達、この街の上層階級の者たちだ。


「社会には階級のピラミッドが必要不可欠だ。永遠の時間を与えられたとしても、相対的な指標を失えばそれは孤独や無に等しく、互いの呼吸の数を数えるだけの存在にすぎない」


あるものは、ローブの裾を汚し平和を唱える板切れを掲げて炎に包まれる街を徘徊していた。また、ある者はお世話の者に掴みかかり泣き喚いていた。また、ある者は愛するお世話の者と対面し、生涯最後の食事を愉しんでいた。そして、その他大勢は、身体を筒状の機械に収めて既に死んでいるかのように固く目を閉じていた。


「あの人たち、寝ているの?」


「『妄想装置もうそうそうち』。彼等が夢見るのは常に一族の長や百戦錬磨の英雄。繁殖に成功した雄や雌、大勢から愛される象徴・偉人。類稀な才能を持って生まれた存在、そして、神」


筒の中に見えるどの顔も、満ち足りて安らかな表情を浮かべていた。施設の隅の方で項垂れる者たちは自分たちの番が永遠に回って来ない事に関して絶望しているようだった。そこに寄り添うのはお世話達だ。


「全てが思い通りに行く世界。彼等は自分の運命をかなぐり捨てて偽りの世界へと逃亡した臆病者達だ」


スリオ卿の語句に熱が篭り立ち止まる。スリオ卿は立ち止ったのだ。


「夢だって・・・」と、エリス。


続けて。


「現実の中の出来事だわ。わたしは悪い事だなんてちっとも思わない」


無音だった。けれど、どこかでスリオ卿は唸ったようだった。


「・・・・・そうか」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る