第66話

地下の空間に、聞いたことのないほど恐ろしい人間の悲鳴が響き渡っていた。

当の昔に滅んだ優れた文明が生み出した優れた技術をもってしても、到底浄化しきれない密度の塵や灰が空中に巻き上げられて、その中を突然の襲撃者に住処を追われた人間たちが狂ったように走り回っていた。まるで、水たまりを長靴で踏みつけた時の泥だ。


「レト!・・・レト!」

「はぁっ・・・はぁっ!」


ヨナは視界不良の中、割れたタイルの上を、生暖かい水音を立てる地面を必死で蹴ってレトの手を引いた。彼は、進む先に少しでも気配があればすぐに向きを変えて、必死に逃げた。指の先が辛うじて見えるだけの閃光と悲鳴、おびただしい恐怖の臭いが充満する場所だった。


「ヨナ・・・・!ヨナ!?・・・・みんなは?」


レトのかすれた声から肉体的な疲労の限界を感じ取ったヨナは、すぐに歩を緩めた。

レトも、ヨナのそのような懸念に勘付いて、ふらつく両脚に渇を入れ自分は、こんなところで死ぬつもりはないのだ。と、決意を込めて彼の手を握り返した。

ヨナがあたりを見回して進路を変えて地面を蹴った。さっきまでいた場所はすぐに狂乱に飲み込まれて、それは瞬く間にこちらに迫っているように思えた。


「あの場に居た君の仲間たちはみんな、死んだ」


咄嗟に口から出た出鱈目は、少しでも自分の意識を集中させる為と、この状況下で他人の心配などというたわけた事を口にするレトへ対する苦し紛れの反撃でもあった。


当然、そんな事をしたところで二人を取り巻く状況がよくなる訳もなく、むしろそれは悪化する一方のように思えた。足元の不安定さが一層増して、ヨナの足へと絡みついた。新たに起きた崩落の踏み慣らされていない瓦礫の上に彼等は足を踏み入れたのだ。


彼女を背負っていくべきか?


唐突によぎった提案を、ヨナはすぐさま否定した。理由はわかり切っている。今、彼が両足を乗せている場所も、また、これから乗せる事になるであろう場所も、どちらもまるで知らない場所なのだ。通い慣れた古アパートの通路や、食料分配局の1階に繋がる暗く騒々しい通路とはまるで性質が異なるのだ。二人分、さらに腹の子の重さも乗せたまま、より素早く、より正確に、最も信頼性の高い場所を選びつつ足を乗せ、平和贈呈局員達や、狂ったように逃げまどうブルーカラー達を避け続けられる算段は今よりもずっと低いだろう。それに、身重の彼女は背う事が出来ない。あの腹の中には、彼等の仲間の一人が体を丸めて入っているのだ。それは間違いなくレトの子であり、誰かのなのだ。


「・・・」


「ヨナッ!!」


その時、ヨナの意識には確かな空白が出来ていた。

一瞬とはいえ、彼は成り行きに任せて、視界不良の中を進んでいた。ぽっかりと空いた『回収の穴』にあと一歩のところで彼の体が飲み込まれる寸前のところで、袖を引いたのはレトであった。


「・・・もう、あなたは!」

「ああ・・・レト。その、すまない」


明らかな自分の失敗にヨナは思わず、ブルーカラー達の習性を真似てそう言った。


「・・・?ヨナ?あなた・・・?」


踏み鳴らされるクルードも人間たちが放つ叫びもエクスプロイターの銃声でさえ鳴り止まない動乱の中で、レトは、ヨナの口元に注目した。この時、彼女の心は確かに、新たな発見と、永遠につながる未来への親和に満ちた自分たちの日常に舞い戻っていた。


「ヨナ・・・あなたもしかして?」


そうして、束の間訪れた日常はいとも簡単にどこかへと隠れてしまう。これまで幾度となく歴史によって証明されて来た数々の事象の内の一つに過ぎない。


『みつけたよ?』

『ここにもいたね』

『殺してからリサイクル。リサイクルをしないとね』


平和贈呈局員たちだ。

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