第54話


『アアアアアアアアアアアアアァァァァ!!!』


再び理不尽な主張が行われて、ヨナの意識は上質な紙の束から、小さな両手を懸命に駆使して乳房にしがみ付いている幼子へと向けられた。


「こーら!ヨナっ!」


眉を少し釣りあげてレトが言った。

見た事の無い形の眉であったが、ヨナはこの眉の事をよく知っているような気がした。


「君は文字が読めたのか?」


「このっ!ほらっ!あなたはっ!返しなさいっ!」


「ああ」


身体を前に向けたままのレトの手が何度か空を切って、その軌道上に偶然現れた紙の束を乱暴に捕まえた。ヨナはその間、彼女が後ろに倒れてしまわないようにさりげなく背中を支えた。触れている場所はとても温かい。


「まったく、子供の前でこんなもの出すんじゃありません」


「すまない」


『・・・アッ・・・!!』


幼子が顔をくしゃくしゃにゆがめて拳を握りしめたので二人は、無意識に身構えた。

しかし、ヨナやレトの心配とは裏腹に、それは『自分はこれから眠る』という身勝手な意思表示だった。彼以外にも殆どの者らが寝静まっているのかクルードはとても静かだった。


「君は文字が読めたのか?」


ヨナにとっては、その事実は比較的どうでも良い事だった。彼にとって重要なのはその先だ。

レトは荒布に眠った幼子をしまって、外れていた肩紐をそっと持ち上げた。ここから先はヨナの仕事になっている。ヨナが元通りに彼女の衣服を直している間に例の紙束は荒布の中に乱雑に放り込まれた。

レトが大きなあくびをして肩の筋を伸ばす。それに伴い、肩の周りの骨がぱきぱきと音を立てた。じんわりとした快感が肩に広がると一呼吸置いて彼女が答える。


「そうよ?わたしこれでも氏族の長の娘だったんだから!お姫様よ?教養だってあるのよ?」


発言の持つ意味がそうさせるのか、レトは気高く、知的にほほ笑んだ。


「君はクジラやトリを見た事があるのか?」


「本物は無いけど・・・本や骨の標本ならあるわよ?」


「それは・・・その。本当に九つのジラがある大きな、人間にとって害を及ぼす者なのか?つまり、どこかにそう記述してあって、それが君のその紙束のように手に取れる状態でラヴィ氏のところに保管されていて、もし特定の人物が望めばそれらの内容をいつでも確かめることが出来る状態であるのかという事を聞きたいんだ」


「まぁ」


『・・・アッ!!!!!アッ!!』


「ぁぁ・・・ヨシヨシ」


今度の主張は、『自分が寝て居る時は誰であろうと静かにしろ』というものであった。

ヨナは今更になって、この地に住まう人々の日常のペースを乱していることを自覚し、肩の紐を結び終えると同時に謝罪した。

それを聞いて満足したのか否か、もはや確かめる術はない、幼子は自らの指を口へと運び音を立てて吸って再び寝息をたてはじめる。レトは薄い唇を一度押し合わせてから落ち着いた様子で答えた。


「あなた、とても変わってるわね?」


「そうなのか?」


「ええ、だって、その。そう!みんなはわたし達のそばに近寄りたがらないもの」


「なぜだ?」


「ううん、何て言うのかしら、わたし達がとても命に近い存在だから?仲間のみんなはとっても怖がりなのよ?かわいいでしょ?」


「可愛い?仲間を遠ざける事が可愛いという事なのか?」


「そうねえ・・・とても難しい概念ね。タダで教える訳にはいかないわ」


レトはそう言って、安定していた尻を一度浮かせてさらに安定させた。


「とりあえず、肩を揉んでもらおうかしら?」


「ああ」

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