第45話

血の通った指先が伸びていた。光の粒が弾け飛んで、彼等は紫色の夜明けの前にいた。あの影は確かにロジカのはずだというのに、ヨナの内にある確証は昼と夜の点滅や、響き渡る鼓動によってあっけなく覆されてしまうような頼りない物であった。


思えば彼はロジカの磨いたガラスのような青い瞳や、細い髪や、部分的に飛び出た体や屈託のない話し方、それからいささか慎重さに欠ける性質や狭窄的な人間関係を除いては何も知りはしないのだ。


気を許せば疲労を主張する体とは対照的に、ブルーカラー達は響き渡る音に操られているかのようにまるで疲れていないどころか、より一層自らの存在を鼓舞しているかのように見えた。ロジカも同じく。彼女は見事な肩の周りや弾力のある四肢を柔軟に揺らして凄まじい存在感と引力をあたりに放ちながらも仲間達の動作の一切の邪魔をしなかった。そのような、ある種の洗練された技術とも呼ぶべきものが彼女をそうさせるのか、うつろな青い瞳に映る世界は気品と自信に満ちていた。



・・・ナっ!

・・・よな!

ヨナったら!!



飽きてしまったのか、または、一方的に監視されることに嫌気がさしてしまったのか子供たちの集団の中で最も背の高い娘の一人がヨナの視界を遮りそれでも飽き足らず体を硬直させて思いきり足元を鳴らした。


「どうした?」


ヨナの虹彩が広がって、ブルーカラーの少女がそこに映し出される。

幼い娘はあれだけ必死にヨナの事を呼んでおいて、いざ彼の関心が自分へと移り変わると、さっきまで費やした努力の全てを隠ぺいした。

それから薄汚れた衣服をちいさな指先で撫でるように整えてその終点を目で追った。


ヨナ!ヨナ!

みてっ!みて!

(笑い声)

(叫び声)


この頃になると、ヨナは子供たちの要求をある程度無視しても問題がないことを知っていた。名前の無いブルーカラーの娘がその場に立ったまま影に潜んで、その背後では子供たちが跳ねまわっていた。


「こっち!」


曲調が変わり、彼等の関心がまた散漫になるとブルーカラーの娘はまるで何かを盗み出すかのようにヨナの手を引いた。


「まて、走ると危険だ」


ヨナの懸念をよそに娘は実に見事な足取りで割れたタイルや風化したブロックの上を駆けて、人気のない場所へとヨナをさらうと彼等共通の誇りでもある腹部のへこみを一瞬見せつけて乱暴にヨナに抱き着いた。


娘の呼吸は乱れていて、動きを止めた体からは若々しい健やかな臓器の鳴動が聞こえていた。


娘が一瞬見せた顔は、以前エリスがしていたのと同じものだった。

あの時、彼女が何かを告げた時のようにこの娘もまた何か自分にとって重要な事を告げようとしているのだろう。


2曲分、または3曲分も、あるいは、もっと、ヨナはクルードの空に広がる光の線を眺めていた。時間をかけて情報を記憶して観察しているとあの線と響き渡る音には規則的な関係があるように見える。音の種類とそれに伴い持ち上がる光の線をひとつづつ検証していると次第に乱れた呼吸や、小さな体の中で暴れまわる臓器の活動が落ち着いてくる。


「ヨナ」


ようやく、自分の中で何かが整ったのか娘は震える声で名を呼んだ。


「なんだ?」


ヨナがそう尋ねると、小さな指からは想像もできない力が籠められる。彼女は続けた。


「ヨナは明日もここにいる?」


娘は自分の存在の全てをその質問に乗せていた。理由はわからなくとも彼は直感的にその事がわかったのだ。

ヨナは途中どこから飛んできたのかもわからない塵の一つを彼女の髪から落として、もう一つついていた偶然髪飾りのようになっている塵を無視した。それから、いついかなる時も人間へと忍び寄り破滅させようとする不安や疑いに決して隙を見せる事無く肯定を示す態度を見せた。


それを聞いた彼女は一度跳ねてすっかり憑き物でも落ちたかのように以前の子供らしい性質を取り戻した。この時、ヨナの内には他者を何かから救った時の充足感が確かに存在していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る