ソウの小難しい愛読書

クーゲルロール

第1話 カレルとソウ

 製紙文化が衰退して数百年。紙の擦れる心地良い音が埃っぽい部屋に響いていた。今の世界ではもう、この音を聞いたことのある者はおろか、本の存在を知る者はほとんどいない。天井と同じ高さの本棚に収容された一千冊をくだらない書物も、彼らから見れば燃えやすい木材と大差なかった。


 本棚に挟まれた通路は人が横歩きでやっと通れる幅となっている。そのためカレルは、時には背伸びをして、時にはしゃがみ込んで一冊ずつ本に目を通していく。部屋の電気をつけられないため、懐中電灯の僅かな明かりだけが頼りだ。探し物は題名も知らない一冊の本だった。


 「カレル、これ?」


 「ん!?」


 集中していたカレルは突然の囁き声に驚く。小さな音も反響するこの部屋で、声を掛けられる直前まで誰の気配も感じなかったのだ。振り返ると本を手にした人影が立っている。カレルは安堵の息を漏らしつつ、差し出された本を受け取った。


 「これは……違う。概論とか要論とか、もしくは基礎とか書いてあるやつだ。これは専門的すぎる」


 「そっかあ」


 「ソウはどこまで見て回れた?」


 「左端の三列は終わった」


 「よし、その調子で続きに入って」


 「分かった」


 カレルの指示を聞いて、ソウは長い髪を揺らしながら暗闇に消えていく。カレルとは違い、ソウは明かりがなくとも視界を確保できている。こんな漆黒に包まれた空間でも、風に流される数多の埃をおよそ全て捉えられているというから驚きである。一方のカレルはまだ本棚の半分も見終わっていない。


 結局、目的の本を見つけたのは数分後のソウだった。カレルは題名と中身に目を通した後、ソウの仕事を褒める。本は直ちに柔らかい布に包まれ、カレルが背負うリュックに収納された。


 「さて、あとはどうやって脱出するかだ」


 「警備のアンドロイドがそろそろ来る。廊下を右に曲がった突き当りの階段を下りて、踊り場の窓から逃げるのが最善。下の敵は西の実験室に集まってるみたいだから」


 「じゃあそうしよう」


 カレルは即座にソウの提案を採用する。ソウが状況判断を間違えたことはほとんどない。今もカレルには聞こえない階下の音を探知して敵の動きを正確に捉えていた。


 「最後にもう一回だけ外を確認する。少し待って」


 「分かった」


 心配性のソウが自分の耳を扉に当ててもう一度外の様子を窺う。カレルはその間、視界が届く範囲で辺りの観察を行った。ここまで大きな書庫はイヨリの貴族邸以来かもしれない。入り口近くには鉄製の立派な机が構えられている。その引き出しが少し開いていることにカレルはふと気付いた。


 「いいよ……カレル?」


 「ちょっと待って」


 ソウに呼びかけられるが、カレルは引き出しの中身に釘付けとなる。見つけたのは作られてまだ間もない一冊の本だった。穴に紐を通して固定しただけの簡易な作りで、枚数は100枚程度である。カレルは一枚ずつそれをめくっていく。時間が残されていないことは分かっている。ソウが不安そうに顔を覗き込んできた。


 「何してるの?早くしないと」


 「研究所の備品一覧だ。もしかしたらソウのガスケットが保管されてるかも」


 「いいから早く逃げよう!」


 「あとどれくらい大丈夫?」


 ソウの押し殺した声を無視してカレルは問いかける。ソウはもう一度外の音を聞いて考えた。


 「あと90秒」


 「本当にまずくなったら教えて」


 「もう駄目なんだって!」


 ソウがそわそわしてカレルの腕を握る。その時になってようやく探していたページが見つかる。そこには燃料電池に使うガスケットの種類と保管場所についての記載があった。必要な情報だけ暗記したカレルは本を閉じて引き出しに戻す。


 「三階の実験室だ。取りに行こう」


 「駄目!逃げられなくなる!」


 「ここで見送れば次いつになるか分からない。ただでさえ劣化してるんだから」


 「それは片方だけ。私はまだ動ける」


 「突き当りの階段を上がる。いいね?」


 「もう!」


 話を押し通されてソウが怒る。しかし、もう決めたことだとカレルは聞く耳を持たない。自分から扉を開けて、身を屈めながら廊下を進む。ソウもついてくるしかなかった。


 三階に上がると目的の実験室はすぐに見つかった。扉を開けるのはソウの仕事である。


 「周りは見てる。頼んだ」


 「二重ロックだから少し時間かかるかも」


 「そんな時間はないみたいだぞ」


 ソウが作業に取り掛かった矢先、カレルの耳が金属フレーム特有の重厚な足音を捉える。敵は階段を上ってすぐそこまで迫ってきているようだった。


 「吹き飛ばせ!」


 時間に余裕があればソウがシステムに侵入してロックを解除する。しかし、この状況ではそんな丁寧な仕事はしていられない。ソウは金属フレームが剥き出しの右足を軸にして、衝撃に強い左足で扉を蹴破る。ソウの体重の何倍もの重量がある合金製の扉が役割を失った瞬間、けたたましい警報が建物中に鳴り響いた。


 「で、どうするの!?」


 「僕がガスケットを探す。ソウは扉を押さえて時間稼ぎして」


 実験室に入るなり、カレルは手当たり次第に引き出しを開けていく。ガスケットとは高分子素材で作られた燃料電池のガス漏れを防ぐ部品である。


 「よし、見つけた」


 ガスケットは保存液に浸されたパックとして見つかり、カレルはあるだけ全てをリュックに押し込む。ただ、そうしている内に廊下が騒がしくなっていく。ソウの押さえる扉が激しく揺れる。今更になって部屋に窓がないことに気付いた。


 「戦うしかない」


 ソウが状況に応じた最適解を示す。しかし、外には少なくとも五体のアンドロイドが待ち構えている。ソウが負けなかったとしても、二人が安全に脱出できる保証はない。


 カレルはもう一度実験室を見渡す。目についたのは実験用のドラフトチャンバーだった。覗き込むと上部に吸気口があり、蓋を開けると真っ暗闇に包まれたダクトが天井裏に繋がっている。


 「ソウ!そいつら押し飛ばしてこっちに来れる?」


 「カレルだけ逃げられるならそうして!後で合流するから!」


 「駄目だ!扉ごと蹴ってすぐこっちのダクトに来い!」


 「そんな逃げ道のない場所は危険!まだ戦う方がいい!」


 両手で扉を押えながらソウが答える。ただ、ジャンク品のソウの左腕はこれ以上の負荷に耐えられそうにない。先にダクトに上ったカレルはもう一度声を掛けた。


 「早く!」


 「もう知らない!」


 ソウが押さえていた扉を回し蹴りで廊下側に吹き飛ばす。すると、扉の前にいたアンドロイドは廊下の壁と扉に押し潰された。被害を受けなかった二体が突き進んでくるものの、それらはソウの格闘術によってすぐさまスクラップにされる。自我を持たないアンドロイド二体程度ではソウの相手にならない。


 「カレル?」


 「静かに。きっと隣の部屋に繋がってるはずだ」


 「どうして分かるの?」


 「大抵こういうドラフトは複数の部屋を同じファンで吸ってる。下見したとき、三階にも窓のある部屋はあった。きっと出た先の部屋にはあるはず」


 「行き当たりばったりが過ぎるよ」


 後ろから文句が聞こえてくるが、カレルはダクト内を這うことに専念する。出口は10メートルほど進んだ先にあった。静かに蓋を開けて、まずは顔だけを出して様子を窺う。敵がいないことを確認すると床に降り立った。


 「とはいえ、のこのこ階段を下りていけそうにはないな」


 「窓からロープで降りよう」


 「賛成だ。さっさとこんなところからは出ていきたいね」


 カレルは窓に近づいて外を眺める。月明りが遠くの山々まで照らしているが、粉雪のせいで視界はそれほど良くない。ただ風はなく、ロープで降りる分には問題なさそうだった。


 カレルはロープの固定場所を探す。こうした脱出の経験は少ないが、そこまで緊張感はなかった。ソウの助力があれば安全に降りられることを知っていたからだ。


 仕事の終わりが見えてカレルはやや楽観的になる。ただ、一方のソウはそれとは正反対に廊下を気にして眉間にしわを寄せていた。その理由を問いかけようとした矢先、爆発音が二人を襲う。


 扉を破壊して姿を現したアンドロイドは銃器を手にしていた。広く世に出回っている汎用性のある小銃である。危険を察知してもカレルの身体はなかなか動かない。アンドロイドの無機質な金属骨格と怪しく光る赤いセンサがカレルを無意識に恐怖させていたのだ。


 そんなカレルを守ったのはソウだった。弾丸が発射される寸前、ソウが体を盾にしてカレルを守る。発砲音に合わせて窓ガラスが割れて散乱する。弾丸からは黄色いガスが吹き出ていた。


 「塩素弾だ!吸気を止めろ!」


 カレルはソウに指示を出すなり自らも息を止める。破裂音と閃光によってもはや周囲の状況は把握できない。そんな中でカレルの身体はソウの両腕に抱きかかえられる。カレルは慌ててソウの首に腕を回す。


 「いくよ!」


 掛け声と同時にとてつもない加速度が二人にかかる。ほんの僅か目を瞑っていただけで視界は雪の降る世界に一変した。後方からはしつこく弾丸が飛んできている。一瞬だけ見えたソウの瞳は遠くを見据えていた。


 三階から飛び降りたにしては滞空時間が長い。そう思ったのも束の間、二人は重力から逃げきれずにうっすらと雪が積もる地面に衝突した。ソウの両足が二人分の衝撃を最大限緩和するも、体勢が大きく右に崩れる。しかし、ソウはすぐさまバランスを取り戻して走り始めた。


 「自分の足で走るよ」


 「駄目。私の方が速い」


 「そう言ったって……また右足のシリンダを歪ませただろ」


 「大丈夫だから黙ってて」


 下から見るソウの表情は怒っている。情けなく抱きかかえられていたカレルは大人しく言うことを聞くほかなかった。

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