First shot 平凡から非凡へのターニングポイント

 俺は大鳶貴賀(おおとびきよし)、十六歳。瀬戸内海に面した人口十万ちょっとの港町に住む、県立高校の二年生だ。


 東京や大阪の大都会と比べればすごくちっぽけな地方都市ではあるし、港町といっても、大型コンテナ船や豪華客船が接岸するような港湾ターミナルじゃなく、瀬戸内の生活航路で運航する千トン未満の小型フェリーや、定員が百人前後の高速船がメインではある。


 でも、古くから海上交通の要衝として発展し、戦国時代には海水を堀に引き込んだ珍しい海城も築かれ、城下町としても栄えたことから、人口の割には街に結構活気があり、俺は地元が嫌いじゃない。


 本来の家族構成は、両親、俺、六歳の弟の四人。本来、と言ったのは、俺が現在はワンルームの賃貸マンションで一人暮らしをしているからだ。


 父と母は、どちらも同じITサービス企業に務めるシステムエンジニア。職場結婚で俺と弟が生まれた。

 結婚してから二十年近く経ち、揃ってアラフォーだって言うのに、両親はいまだにラブラブで仲がいい。

 そんな中、海外進出に乗り出した二人の会社が、中国の上海に支社を設立。現地幹部の一人に父を抜擢したことから、母も一緒について行くと言い出し、上司に直談判。それが認められ、夫婦での赴任が決定した。


 大学受験を控えている俺は日本に居残りとなり、まだ小さい弟は両親が連れていった。

 三人が出国したのは、俺が高校二年に進級する直前だ。以前の家は郊外の三LDK賃貸マンションだったから、家具や家電はトランクルームに預け、俺は街の中心繁華街で学校にもに近い六畳一間の単身者・学生用マンションへ移ることになった。


 例え元の家に残っても、一人では広すぎる部屋の掃除や管理を俺が真面目にやらないであろうことは、親もお見通しだったし、何より賃料がもったいないって理由もある。

 クラスメートの連中はすごくうらやましがるけれど、いくら部屋が狭くなったとはいえ、掃除だけじゃなく、これまで全部親に頼ってた食事の用意、洗濯、ゴミ出し、諸々の雑用を自分一人でやらなくちゃいけないのは結構面倒くさくて、ついつい手を抜いてしまう。


 学校では、取り立てて得意な科目やスポーツはないし、かといって極端に不得手な分野もない、オール平均点の極めて平凡な高校生だ。

 生徒の九割以上は部活に入ってるんだけど、体育系にも文科系にも興味のわくクラブがなかったから、俺はどこにも所属していない。


 趣味と言ったら、アニメをテレビとかネットで見ることと、コミック誌を読むことくらいかな。二次元娯楽のファンではあっても、自分で漫画を描いてやろうとか、アニメについて研究しようなんて気はさらさら起きない。詰まるところ、俺は何に対してもそれほど執着せず、どこか無関心で冷めているところがあった。


 でも、そんなに暇じゃない。


 一人暮らしをするにあたり、親からは大学進学塾に通うことを義務付けられ、月、水、金曜の週三回、午後六時半から午後九時までは川向こうにある塾で勉強してる。


 そんな生活が始まってひと月以上が経ち、今はもう五月の上旬が過ぎつつあった。中国では、五月一日が日本と同じメーデーにあたり、一週間の休暇期間「黄金周」が設けられている。

 この中国版ゴールデンウイークを利用して、両親と弟は俺の様子を見に一時帰国する予定だったけど、立ち上がったばかりのビジネスが超絶的に忙しいらしく、結局戻って来られなかった。


 そして、運命の日がやってきたんだ。


 週明けの月曜だから、放課後はいつのもように一旦自宅に戻り、カップ麺を腹に入れて塾に向かう。何も食べずに塾に行けば、授業中に腹がぐうぐう鳴って勉強に集中なんかできやしないからね。


 午後三時二十五分に第六時限目の授業が終わり、友達と雑談した後、一人でゆるゆると教室を出るのも普段と同じだった。俺の友達は、みんな囲碁将棋部だとかマイコン部だとかに入ってるから、下校するのは俺一人だ。


 ただし、まっすぐ校門に向かう訳じゃない。北校舎の二階にある教室を出て、階段を下りずに渡り廊下を通って南校舎に入り、同じ二階にある生物実験室の前を通ってから校門へとUターンする。

 どうしてわざわざ回り道をして生物実験室なのかと言えば、そこが生物部の部室であり、主な活動場所でもあるから。


 生物部とは、詳しく説明しなくてもわかるだろうけど、生物に関する実験、観察、飼育を行うクラブ。うちの学校の場合、部員が五人を超えたことはないマイナーサークルだっていうのに、現在は何と二十八人を数え、部創設以来異例の大所帯になっている。

 これほどの人数が集まった唯一最大の理由は、俺の同級生で紅一点の部員、黒波(くろなみ)ソラの存在にあるとしか考えられない。


 黒波は、身長が公称一六〇センチ。バスト、ウエスト、ヒップ、体重のデータは非公開で不明ながら、ブレザーの制服姿や、体育の授業での体操着姿などから分析する限り、細身の体型であるにも関わらず、胸は相当豊満であることが想像される。

 明るいブラウンのロングヘアを、黒のリボンで結んだポニーテールは、彼女のシンボルマークでもある。

 切れ長の一重まぶた、やや低くて形の良い鼻、小さな口……これらがバランスの取れた端正な面立ちを作り出し、そこら辺にいる女子では及びも付かない上品な和風美人と断言していい。

 校内の成績は学年トップ。つまり、天は二物を与えた、って訳だ。


 それほどの優等生でありながら、本人はとても気さくな人柄らしく……らしく、と言うのは、一年生時も、今年四月からの二年生時もクラスは別々で、直接話したこともなくて、クラスメートの噂でしか聞いてないからだけど……、いずれにせよ校内の男子からは圧倒的な人気を集めている。


 平凡のオンパレードである俺からすれば、どうあがいても手が届かない高嶺の花なのは承知してる。それでも男子の端くれとして、学園のスーパーアイドルに興味が全くわかないというところまで悟りの境地は開いていない。


 正直に言おう。去年の春、高校の入学式で黒波を初めて見て以来、俺は彼女の隠れファンだ。


 でも、一目惚れしたとか、付き合いたいとかの少々重い症状ではないと思っている。ただ、気になる存在であり続け、だからといってどうにもならないことを自覚しつつ、放課後のこんなバカげた意味のない行動を繰り返してる。


 南校舎の廊下を進むと、大抵は閉められている生物実験室の引き違い戸が珍しく開いていた。廊下には誰もいなかったから、つい足を止め、そっと中を窺ってみる。


 生物実験室は、生物地学室の隣にあり、生物部が飼育するウサギ、カメ、ヘビ、ウーパールーパー、海水魚なんかのケージや水槽がいくつも並んでいる。


 黒波はウサギの飼育担当らしく、室内で一番大きなケージの前で大勢の男子部員らに囲まれていた。


「黒波さん、このネザーランド・ドワーフの子ウサギ、やっぱ最高に可愛いね!毛が生えて、目も開いてる生後三週間くらいの状態でいきなりケージに現れた時はびっくりしたけど、あれから一か月が過ぎちゃったんだよな〜」

「あんなに大きくなるまで出産に気付かなかったなんて、飼育担当としては失格だわ。メスのアンコがこの子を産んでから、ずっと巣箱の奥で隠すように育ててたのね。春先にアンコが巣作りするような行動を見せ始めて、大量の牧草を巣箱に運び込んでたから、変だとは思ってたんだけど……」

「しかし、ネザーランド・ドワーフって、一度に五羽くらい出産するんじゃなかったっけ?何で一羽だけなんだろ」

「確かにウサギは多産だけど、一羽ってこともあるみたいよ」

「しかし、性別確認にはかなり苦労したみたいだな、黒波?結局、オスだったんだよな」

「ええ。名前もオスらしく、チカラにしました。出産時期を特定できないし、成長して牧草やペレットを食べ始める前に人間の匂いがつくと、母ウサギが育児放棄したり、殺したりする可能性があるので、しばらくはそっとしておいたから、性別確認も遅れちゃって……」

「元々図体がでかくて元気があったから心配はしてないけど、一か月前と比べてあんまり成長してるように見えないな。親ウサギと同じ物、ちゃんと食べてるのか?」

「はい、食べてます。チカラは活動的なんですけど、父親のダンゴと母親のアンコがあんまり元気ないみたいで……」

「いやいやそれにしても、生物部でネザーランド・ドワーフの繁殖に成功したのは初めてだから、これはすごい快挙だよ。知識豊富な黒波さんにウサギ担当になってもらったのは、大正解だったな」

「黒波先輩みたいな優しくて素敵な人に一杯愛情を注いでもらったから、ウサギたちもようやくその気になって子どもを産んだんですよ。さすが、黒波先輩です!」

「黒波には、生物部としてトップブリーダーの称号を与えないといけないかも」

「黒波さん、僕が担当してるニホンヤモリの方も手伝ってくださいよ。エサをあんまり食べないし、どんどん弱ってきてるんですけど、黒波さんのアドバイスをもらえれば、きっと持ち直します!」

「バカ言うな。ニホンヤモリより、俺のウーパールーパーの方が優先順位高いだろ!こっちもあんまり調子よくないんだ」

「生き物の命に優先順位なんてないぞ!あるのは、生物部としての研究目的の優先順位だ。今年の全国高校生科学賞で発表するミドリムシの培養温度に関する研究についてサポートしてもらうのが一番妥当だよ!」

「それは、担当してるお前が黒波とずっと一緒に研究したいからだろうが!」


 騒がしくなってきたので、俺はその場から立ち去った。一年生から三年生まで、どいつもこいつも黒波狙いで入部したような連中ばかりとは言え、あれだけ露骨にチヤホヤとヨイショができるのは大したもんだ。


 一年生の夏休み前、黒波が生物部に入ったのを知り、俺も入部してみようかとほんの少し悩んだ時期がある。でも、思いとどまった。いくら黒波のことが気になるったって、あんな下心見え見えの奴らと同類に思われるのも不愉快じゃないか。

 だから帰宅部のまま、俺は今日も黒波の姿をひと目でも見られたことに満足して、校舎を後にした。ひとまず家に帰って腹ごしらえをしてから、市中心部の東側を流れる川向こうの進学塾へと出かける。


 高校の規定では、自宅と学校の距離が一・六キロ以上だと自転車通学を許可されるが、俺の家はギリギリで届かず、徒歩通学になってしまった。けれど、距離的にそれほど変わらない進学塾へは、何の問題もなく自転車を利用できている。


 この日も英語、現代文、古文の授業を終えて進学塾の建物を出る頃、外はすっかり暗くなっていた。

 いくら夕方カップ麺を食べてても、こんな時間まで何も腹に入れず勉強してりゃ腹ぺこだ。

 帰路は、来た道をいつものように戻る。橋を渡り、しばらく真っ直ぐ走ってから城址公園を経由してマンションに行き着くお定まりのコース。


 城址公園まで来たら、正門にあたる大手門から中に入り、公園を突っ切って裏門の搦手門から出ると、ほんの少しだけ近道になる。この公園は二十四時間開放されていて、門も自由に出入りできるんだ。


 海水が引き込まれた広い堀には、土を積み上げた土橋が設けられ、俺はそこを走り抜けて大手門を潜る。


 公園内には多くの桜が植えられ、一定間隔に設置された街灯が、樹木を覆う新緑の葉を照らし出している。桜の花見シーズンもとっくに過ぎたこの時期、夜中に園内をうろうろしてる人間はいない。


 マンションへ帰る前に、近くのコンビニによって弁当を買わなくちゃ。今晩は、焼肉にするか、唐揚げにするか……そんなことをぼんやり考えながら、ふと芝生に目をやった俺はギョッとなって急ブレーキをかけた。


 人が倒れてる!!

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