イスカと七人の獣王

三木桜

第一章 鳥の王

プロローグ 鳥かごの中

 私のおばあちゃんは少し不思議な人だった。小さくてひょろっこい身体なのにどこから出しているのかというほど声が大きく、そしてその身体のどこに入るのかというくらい大食で、力も私よりずっと強かった。


「いいかい?イスカ

 子供の内はしっかり勉強してなんでもできるようにしておくんだよ

 家の手伝いも出来るだけしておくれ

 おばあちゃんがいない時に困らないようにね」


 おばあちゃんはいつも私にそう言った。決して厳しい言い方じゃないのに、私は逆らってはいけない気がして、いつも黙って頷いた。


「ジンロとは仲良くするんだよ

 喧嘩なんてしちゃあ二人ともご飯抜きにするからね」


 前にジンロが私の大切なガラス玉のネックレスを壊した時、私はジンロを怒鳴りつけて鳥籠に閉じ込めてしまった。騒ぎを聞きつけたおばあちゃんは、私の部屋を一瞥すると静かに笑って部屋を出た。その日の晩ご飯は本当に用意されていなかった。私もジンロも。

 その時のおばあちゃんは凄く怖かった。私はやっぱりおばあちゃんの言いつけを守らなきゃダメだと心に誓い、ジンロとも仲直りして二人でおばあちゃんに謝りに行った。


 おばあちゃんは厳しい人だ。でもおばあちゃんは私がやりたいと思う事には大概反対しなかったし、私が大きくなったらおばあちゃんの後を継いで先生になると言った時、とても喜んでくれた。

 おばあちゃんは厳しいけど優しい人だ。私にはおばあちゃんしかいなかった。


「ああ……それともう二つ

 町では大きな声で誰かを呼ばない事

 町の外には出ない事

 絶対に破ってはいけないよ、イスカ

 おばあちゃんとの、約束だ」


 私はずっとおばあちゃんの言う事には逆らえない。

 今も昔も、だ。


 ◆

 シルキニス王国、副都メルカリア。王国の西端にある山と森で囲まれた盆地に位置する自然豊かな町。かつては由緒ある大学に画家や彫刻家のギルドが軒を連ねていた、学術・芸術の街としても知られている。王都よりも穏やかで地方の田舎町より忙しない。

 イスカにとっての故郷、メルカリアはどこよりも過ごしやすく馴染みのある町だ。と言ってもイスカはこの町から出た事は無いので、他の町がどんなふうになっているか実はよく知らない。興味を抱いて町で一番高い時計塔の上に登り、町の外を見ようとした事もあったが、山と城壁に阻まれ見る事は叶わなかった。

 もっと町の先端まで行けばそれが見えたのだろうが、イスカがその一歩を踏みきれないのは、大好きだった祖母の言いつけが影響していたのかもしれない。

『イスカ、町の外に出てはいけないよ』と、幼い頃から何度も繰り返し忠告されていた。私塾を開いていた祖母はあまり遠出を好まず、祖母が町を出なければイスカが町を出る事もなかったため、その言いつけは自然と守られた。



 しかし禁じられれば禁じられるほど、その甘い誘惑に手を伸ばしたくなるのが人間だ。イスカは外に出られない代わりに、沢山の本を読んだり行商人の話を聞いたりして過ごしていた。そしてなおも満たされないイスカの外への好奇心は少しずつ膨れ上がりそれは一つの渇望となっていく。

 それでも祖母を裏切りたくない気持ちの方がずっと強かった。両親の記憶が無いイスカにとって祖母はたった一人の肉親だった。果てしなく大きな存在であり、彼女を失望させる事はこの世の終わりに等しいと本気で思っていた。





 十五歳の秋、その祖母が流行り病で亡くなった。町の郊外にある教会で葬儀を済ませ、祖母の身体が冷たい土の中に還っていくのを見届けた後、イスカの足は自然といつもの時計塔へと向かっていた。


「私にも翼があったらいいのに」


 イスカは時計塔の上から町を眺めてこう呟いた。

 あの空を自由に飛べたら、こんな悲しい事も一瞬で忘れられるくらい楽しくなれるのだろうかと、大きなものを失って独りぼっちになったイスカはそんな事を考えていた。

 するとイスカの肩の上に乗っていた小鳥がピィと鳴いた。まるでイスカを慰めるように、そっと身体をすりよせイスカの頬を撫でた。

 イスカもまた、柔らかく鮮やかな金色の羽毛に包まれた鳥の背を優しく撫でてやる。


 そうだ、自分にはまだこの子がいる。一人じゃない。


「ありがとう、ジンロ」


 イスカは愛鳥に優しく告げた。ジンロは何故かクルルと苦しそうに喉を鳴らしてから、またピィと唄った。



 それからもう三年が経つ。イスカは未だに町の外に出た事がない。ずっと変わらない鳥籠の中からの景色を眺め続けている。

 けれどイスカは幸せだった。何不自由ない生活、大切な人たち。忙しなくも温かな時間。

 運命の時が訪れるその日まで、イスカはその不変の幸せを噛みしめていた。


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