終章
第40話 Never ending story (後日談)
風が吹きすさび雲が割れ、再び大地は光り輝く。浄化の光が地に降り注ぎ、天使降り立つ梯子がかかる。
そして街に、春がやってきた。
目を閉じていてもわかるほど眩しい朝の太陽、温もりと優しさに包まれた……にぎやかな朝。
「朝だー!! 起っきろー!! 」
ガンガンガンガン!!
「タマ、もうちょっと……」
「タマ……その音やめて……」
「だって昨日のはるちゃんと海斗が言ったんだからね、明日は絶対はやく起きるって。夜ゆっくりしたいから早起きして勉強するんだって」
ガンガンガンガン!!
「タマ、何の音それ……頭響く」
「ん? 中華鍋を叩く音だって。人類の98%がちゃんと起きるって評判なんだよ」
どこか嬉しそうなタマ、不快な音にげんなりしながら起き上がる。
「2%は寝れるんだ……ヤバいな」
頭をかきながら起きる海斗に、今日もほっとする。
あれから半年──海斗と私はあの廃病院の近くに家を借りて、タマと三人で暮らし始めた。廃病院は綺麗に修理して、街に残ってくれた伯父さんの自宅兼診療所になった。
「海斗、コーヒーでいい? 」
「うん、目玉はひとつ? 」
「うん、ひとつ」
コーヒーを淹れている間に、海斗が朝ごはんを作ってくれる。タマに頼らずできることは自分達で協力してやろう、夫婦になった私達はそう決めて、今のところ守って暮らせている。
「恥ずかしいよ、あっち向いてて」
「はいはい」
傷痕のない綺麗な背中……眺めていると海斗はちょっと嫌そうにする。
ハイブリッドサイボーグ、海斗は本当に人間と機械の融合体だった。完全ロイド化に向けた改造の途中で、手に負えなくなって放置された……知らされた事実。
草野遥になったのに、私はまだお義父さんを許せていない。
「今日、帰り遅くなりそう? 」
「ん……ちょっと伯父さんの所寄ろうかな」
「そうなの? じゃあ一緒に帰ろう」
嬉しそうな笑顔が胸に刺さる。
もしできるなら、海斗の願いを叶えてあげたい。薬指にはまる、お揃いの指輪にこっそり誓った。
「おはようございます」
「遥さん、おはよう」
朝食の後、エッグに乗って出勤したのは、水野さんも内藤さんもいないロイドショップ。
最初からそんな人達なんていなかったように過ぎていく日常。
私だけが今も、探している面影。
青い小屋も、秘密の地下室も全て消えてしまって、あれ以来どれだけ探しても、辿り着く事はできなかった。
「遥さん、5番フォローお願いしていい? 新人さんなの」
「はい、すぐ行きます」
いつの間にか新人じゃなくなって、溶け込んでいく自分を感じながら、今日も新たなお客様を迎え、また別れていく。
「わがまま言ってすみません」
「いいのよぉ、困った時はお互い様」
新リーダーの
「やっぱり……無理ですよね」
「すまんな」
ティーカップのレモンに目を落とす、昼下がりの診察室。
「まぁ……あいつの事で大変だったんだ。あれこれ詰め込まずに少しゆっくりしたらどうだ? たまには友達と遊びにでも行ってきたらいい。あのピンクの髪の子とか……もう一人いたろう。ちっちゃいのを連れた美人さんとか」
「二人ともつわりがひどいの。安定期に入るまでは安静にしてるって」
「そうか……」
少しずつ
凍えるような冬が終わる頃、樹梨亜と夢瑠の妊娠がわかった。
樹梨亜は8月、夢瑠は10月、つわりに苦しみながらも新しい生命の誕生を、心待ちにしている。
「ご両親に申し訳なくてな、あんな頼りない婿で。おまけに孫の顔も見せられんとあったら……」
溜息をつきながら遠い目で外の景色を眺める伯父さん、視線の先に、駆けてくる海斗。
「でも、すごく幸せ。伯父さんのおかげで、海斗とずっと一緒にいられるから」
どんな時でも海斗といると、自然に笑顔が生まれてくる。
「幸せもんだな、あいつは。愚かな父に爆弾まで仕掛けられて……そのまま逝った方が幸せと思っていたが、遥に救われた」
「爆弾……? 」
「まさか、聞いとらんのか」
「何の……こと? 」
伯父さんは目を大きく見開き、私もそれ以上の驚きで見つめる。
「遥!! お待たせ」
声と同時に、ドアが開いた。
「ちゃんと話すよう言ったはずだ、海斗」
深く、念を押すような問いかけに、反抗期の子供のようにそっぽを向く海斗。
「ちゃんと答えろ、なぜ話さなかった」
その態度に伯父さんの語気も荒くなる。
「お前が眠っている間、遥がどれだけ苦しんだと思ってるんだ。頼れる人もいない中で押しつぶされそうになりながら、必死にお前が目覚める方法を探して……遥が諦めていたら今のお前はないんだぞ!! それを……家族の問題を隠したまま結婚するなんて、卑怯だと思わんのか!! 」
伯父さんの怒鳴る声を初めて聞いた。怒りに満ちた強い声はどこかお義父さんに重なって聞こえる。
「伯父さん、私もう気にしてないから」
「遥も、なぜ聞かなかった。今後に関わる大切な事だろう」
「それは……」
「遥を責めるのはやめろよ」
「海斗、お前それで遥を守っているつもりか? 」
「どうでもよかったの」
思ったより大きく、声が響いてしまった。二人の視線が私に向く。
「海斗が目覚めてくれたら、元気なら、もうそれだけでよかったの。ロイドでも人間でも……何だってよかった」
それが、辿り着いた私なりの答え。
「きっと、海斗なりに考えて私に言わないでいてくれたんだと思う。だから伯父さん、海斗を責めないで……それと、今から本当の事を、私にも教えてください」
伯父さんは溜息をつくと、ティーカップに手を伸ばす。
「わかった」
「伯父さん! 」
止める海斗を無視して、伯父さんは私に古びた封筒を差し出した。
「海斗は12の夏に交通事故で死んだ、その時の所見だ」
伯父さんの言葉に、慌てて中から書類を取り出す。
「脳の損傷が激しく、即死だ。ただ、外傷もなく眠っているような海斗を見て、英嗣は再生医療で蘇らせる事を思いついてしまった。呼吸停止から既に72時間……やった所で息を吹き返すはずがないと……たかをくくって引き受け、皮膚を修復した。当時、脳は唯一、再生できない臓器と言われていたから、それはあいつが装置を作ってつけた。詳しくは知らんが、恐らく遥の推論通りの構造だ」
聞きながら書類に書かれた文字を辿る。お義父さんの悔しさと無念が伝わってくる……きっとあの時の私と同じか、それ以上の思い。
「翌朝、海斗は目を覚ました……あの時のように目が眩むほどの朝陽に包まれてな。起きた奇跡に、あいつは成功したと舞い上がり、俺は怖くなった。そして……後はわかるな。英嗣は機械治療にのめり込み、何か不具合が出る度に海斗の身体を改造した。その内、組織に目をつけられるようになり改造が発覚。俺と水野は処罰され、英嗣はお前を連れて逃げ回りながら改造を続け……そして遥と出逢った」
あの頃の無垢な笑顔の裏に、そんな生活が……声を聞きながら読み進める。
「後ろにあるのは水野の調査報告書だ。彼女の調べでは、海斗の完全ロイド化を目指し、実験と称して海斗に産業スパイや……犯罪まがいの事をさせていたらしい。今はもう全て英嗣の罪として処理が済んでいるがな」
丸くて可愛らしい文字、初めて見るのに浮かんでくる、ちゃんと水野さんが。
「遥と出逢った事で海斗の自我が目覚めたのではないかと水野は言っていたが、海斗は変わり始めた。予想外の行動を取る海斗が次第に手に負えなくなり完全ロイド化を試みていた頃、警察が逮捕の準備を進めていると知り……馬鹿なあいつは全て焼き払う事にした。爆弾と時限装置は、その時に埋め込まれたと考えられる」
想定内と想定外が混じる真実、恐ろしい真実が明かされているのに、私の心はなぜかもう動かない。
「爆弾は作戦が失敗した時のためだろう……あいつは用心深いからな」
俯く海斗は何を思っているんだろう。
「でも、どうして何年もそのままに……」
「時限装置は、誰かが海斗の身体に干渉することで作動する仕組みになっていた……異常電波発出装置だ」
「それって……」
「あぁ……」
内藤さんはそれを知って……絡まっていた謎が解けて胸に落ちる。
「異常電波発出装置を取り除いた事でカウントが始まり、水を抜いていたあの時、爆発した」
それからの事は、全部知っている通りだ……伯父さんは言い終えると、紅茶を飲み干した。
広がる沈黙。
「倒れて眠っていたのは、不幸中の幸いだった。街中で爆発していたらとんでもない事になっていたからな」
「倒れた原因は……」
「爆発のせいで検証不可能だ。だが、体内に大量の水が溜まっていたせいで、装置が停止したんだろう」
「水……? 」
「食事を抜いて水で腹を膨らませていたらしい、そうだな、海斗」
俯く海斗の首が、わずかに揺れる。
やっぱり、激務のせいで……なぜかまだ続いている報告書。丸い文字を追うと……水が溜まっていた、その文章の下には“指輪と挙式費用のため”と、書かれていた。
巡る記憶、よく考えればわかったはず、指輪も式も、数ヶ月で準備できる金額でないこと。
私は何も知らなかった。
何も。
「伯父さん、これから海斗の身体を診るのにこの書類は、必要ですか? 」
「いや……必要ない」
海斗の孤独な闘い、最後に知る残酷な現実……私にできるのは、ただ一つだけ。
息をしっかり吸って、書類の束を持って、手に力を込める。
「おい……」
伯父さんが止めるより早く、過去を破り引き裂いた。
暮れ始めた陽に包まれて、ゆっくり歩く帰り道。物語の終わりに吹く風は優しくて悲しくて、少し切ない。
来た道には、出会い、別れ、行き過ぎてきた全ての人達と場所と時間。
人間になった海斗。
二度と誰にも操られぬようにと……内藤さんは脳システムを使わなかった。その結果、伯父さんが生み出した新しい海斗の脳には全ての記憶が。
医学では説明できない、細胞や魂の記憶。
“海斗、お前が人間になれたのは、心を取り戻せたのは、遥を愛したからだ”
温もりも眼差しも、私が感じていたのは海斗の魂。緑あふれるあの場所で、あどけなく笑っていた海斗こそが、海斗そのものだった。
これから先、海斗と歩む道に何が待っているだろう。
“海斗、それから遥も……これだけは覚えていてほしい”
伯父さんの言葉を思い出す。
“今回の奇跡は、空の上にいるお前の母親……渚が、助けてくれたんだと俺は思っている”
「なぜか思い出せないんだ……親不孝者かな」
そっと手を握る。
海斗はお義母さんによく似ていると、伯父さんがそう言っていた。私の愛する横顔はきっと、お義母さんからの贈り物。
「今度、一緒に行こう。お義母さんの所」
「うん……ありがとう」
やっと目を見て微笑んでくれる海斗に心が和らいでいく。この笑顔があれば、どんな未来でも笑っていられる。
頑張れると思う。
「これからは、何でも言ってほしいな。どんな事も二人で一緒に、ね? 」
頷いてくれる海斗。
母のような陽に見守られて、私達は新しい約束を交わした。
長く続く一本の道を、寄り添い歩く二人がいる。
“今夜、ハンバーグにしよっか”
“やったぁ”
可愛らしい二人に贈られた、新しい物語の始まり。
ガンガンガンガンガン!
「緊急事態だ、すぐに来てくれ! 」
二人は慌てて走り出す。
そして、降り始めた夜の
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