卒業式の日に。

しゃもじはらものの

卒業式の朝に部屋から叫び声が聞こえた。発しているのは誰か。私だ。

「うわぁぁぁぁ卒業式だぁぁぁぁぁ!!」


日付を見て、私はとんでもなく驚いた。なんてったって今日は卒業式なのだ。私の心の中では卒業式など夏休みに終わった。三年間積み上げてきたものがすべて実り、私の高校生としての使命が終わったのは夏休みの三者面談だ。もはや卒業式などというものは、私に必要なかった。もう心が卒業式を迎えているのに、わざわざ卒業式なんてする必要はない。もはや時間の無駄レベルである。卒業式なんかに行ってみよ。人生パピネスなリア充が「写真とろぉ!」とコッテコテに巻いた髪を写真に収めるのだ。わざわざ精神ダメージを負いに行く必要はない。私は卒業式に参加するのを止めることにした。幸い、今はコロナ渦。両親さえも卒業式に来ることはできない。それに私の高校は生徒数が多いから、一人いないくらいで問題になることもないだろう。私は人生初のボイコットをすることにしたのだった。




「とは言ったものの…どこに行こう」


近所の川沿いを行く当てもなく歩き回りながら私は困っていた。


いくら両親が卒業式に来れないといっても、日付は忘れていなかった。今日は卒業式よね!と母親が涙をぬぐいながら言っていたからには家から出ないという選択肢は使えない。仕方なく家から出たものの、一度卒業式をボイコットすると決めたからには高校に行くという決断は取りたくない。これは譲れない。けれど制服姿で繁華街に行ったりするのはそれはそれで危ないだろう。たとえ学校に連絡が行くのは卒業後だとしても、避けたほうがいい。第一、母親を心配させるわけにはいかない。昔からお母さんには心配ばかりかけてきた。できればもう心配させたくない。そうだ、私はずっと心配をかけさせる子供だった。




「うえーん、うえーん!」


産まれてすぐ、私は入院した。風邪をひいてしまったのだ。本当はただの風邪なのだから、入院する必要はないのだが、産まれたての赤ん坊だからということで、入院することになったのだ。


病院に来た母親が私を抱きかかえて抱きしめている写真が残っている。私は、頭の中で思い出しながら歩く。




「わーん、なんで、なんでぇ!?」


年中の頃、私ははじめて『残る』という経験をした。あの頃、私のマイブームは『はないちもんめ』だった。私が欲しいと言われた時の幸せは、この上ない幸せだった。今思うと、私の中に初めて芽生えた自己顕示欲の表れだったのだろう。と、そんなわけでその日も私は『はないちもんめ』をしようと言っていたのだが…。この日の私はどれだけ運が悪かったのだろうか。私は一度も選ばれず、それどころか二つに分かれたチームのうち、私のチームは私一人になってしまったのだ。もし、私の人生で一番最初に経験した絶望や深い悲しみをあげろと言われたら、おそらく私はこのことを話すだろう。それほどまでに悲しかった。


家に帰ってからも私はずっと泣いていた。その時母親にいわれた言葉は忘れてしまったが、撫でられた手の暖かさは覚えている。懐かしいなと思って歩いていると気付いたら幼稚園の門の近くに着いていた。驚きつつも登園している人を見る。お母さんに手を引かれながら入って行く子供。笑顔で小走りに入る子供_。ああ、そうだ。私も確かこんな風に毎朝この門を通っていたんだ。


何故だか涙がこぼれそうになったので、私は逃げるように幼稚園から離れた。私の横を幼稚園児の私が笑いながら通って行った気がしたが、振り返らなかった。私はまた、ふらふらと新しい場所に向かっていった。




「あの子嫌い!いじめてくるの!」


小学三年生の時、私ははじめて『転校生と同じクラスになる』という経験をした。あの頃、私は世界の中心になったような気がしていた。友達もいて、先生も優しかった。私は世界で一番幸せ者の様な気がしていた。そんな環境の中で私の自尊心は少しずつ、大きくなっていった。そんな時だった。私のクラスに転校生が来たのは。


転校生は私のものをみんな奪ってしまった。優しい先生。友達。転校生が来てから一日で私の幻想は崩れて消えたのだ。今思えば、転校生は別に悪いことをしたわけではなかった。けれど、当時の私からすれば気味の悪い存在だった。転校生がいるせいで私はひとりぼっちになったのだ。そんな矢先のことだった。転校生は私をからかったのだ。何と言われたかは忘れてしまった。けれど、その一言は圧倒的に私の自尊心にナイフを刺した。私は彼女にいじめられたと感じた。


家に帰ってから、私は泥のように泣いた。大粒の涙がこぼれて、私の頬を濡らした。その時、母親になんと声をかけられたかは忘れてしまったが、抱きしめられた体の暖かさは覚えている。ふと気付くと私は小学校の門の前の近くに着いていた。私は、登校している小学生を見る。今のこの門をくぐるのは、遅刻してきた生徒だ。寝癖が残ったまま登校している子供。体調が悪かったのか小股で登校している子供。ああ、そうだ。私もこんな風に毎朝通っていた。ふと、登校している子供のなかで、母親に手を引かれながら門を通り抜ける子供がいた。あの子は、転校生なんだろうか_。あの時は、ごめんなさい。私は不意に泣きそうになって、顔を隠すように足早に去った。




「なんで私だけこうなるの…?」


中学二年生の時、私ははじめて『いじめられる』という経験をした。あの頃、私は絶望と希望の狭間の世界を生きていた。一年生の時不登校だった私は、二年生からは変わろうと毎日頑張っていた。私は少しずつメンタルを強くしていこうとしていた。その矢先の出来事だった。


よくテレビや雑誌なんかで報道される様なひどいものではなかった。けれど、不登校から立ち直ろうと、必死でもがいている私の薄いガラスのような心を踏みにじるには十分だった。廊下ですれ違うたびに耳元でささやかれる悪意に満ちた言葉。授業中、ずっと椅子を蹴られることもあった。いじめてきた相手からの本当は仲良くしたいという嘘にまみれた言葉。誰も助けてくれず、逃げることも許されないという環境は私を追い詰めたが、それと同時に私を強くしていった。だからといって、傷付かないわけではない。


家に帰ってから私は何度も悔し涙を流した。流れる涙を必死にこらえようとしたからか、今度は顔が鼻水まみれになった。鼻水さえもこらえて、体がぴくぴくと震えた。泣いていた時、母親になんといわれたかはもう覚えていないが、握られた手の暖かさは覚えている。ふと気付くと私は中学校の門の前の近くに着いていた。私は学校の中をこっそり覗いた。真面目に聞いている生徒、友達とふざけあっている生徒。ああ、そうだ。わたしもこんな風に毎日授業を受けていた。ふと、授業を受けている生徒の中にずっと椅子を蹴られている人がいた。私は_。


ただ、祈った。あの子がどうか、幸せになれますように。私は、窓に背を向け足早に駆け出す。ここまで来たなら、私を追おう。




「着いた…」


ずっと、遠いと思っていた高校が今はとても近いように感じた。卒業式はもう終わっていたけれど、まだ写真を撮っている人や友達と話している人。先輩と話しに来た後輩らしき人がたくさんいるということは最後のHRが終わったばかりなのだろう。私は走るように、廊下を歩いた。毎朝遠いと思っていた一番端の教室は今日に限ってすごく近かった。なんなら、もっと長くてもよかったのに。先生と写真を撮っている生徒がいなくなったところで先生に声を掛ける。先生は少し怒って、卒業式なのにどうして来なかったのかと怒ろうとしていたようだが、私の顔を見て口を止めた。きっと、私が卒業式を終えてきたからだろう。この世からの卒業式を。




私は、夏休みの、三者面談の日の帰り道、死んだ。交差点で飲酒運転の車に跳ねられて。


私は成仏できなかった。私はこの世から卒業できていなかったようだ。


どうしてだろう。死んでからずっと悩んでいた。でも、今日、やっと分かった。


私は、母親の言葉を忘れてしまっていたことが知らない間に未練になっていたのだ。




今日、私は、母親が、お母さんが、私に私が泣いているときに何と声を掛けていたか思い出した。


お母さんは、私に「産まれてきてくれてありがとう」と声を掛けていた。




今までありがとう、お母さん。私を産んでくれて、ありがとう。

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卒業式の日に。 しゃもじはらものの @hanahusa3

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