第27話 シノが……?


 教室を出て扉をゆっくりと閉めると、夕貴はすぐに目の前の階段を降り始めた。


 僕は驚いて、夕貴の細身の身体を追いかけた。


 夕貴は二階を通り過ぎ、さらに一階に下り立った。どこか目的があるように、一階の暗い廊下を進み続ける。



「なあ」


 僕は学校の中にいる得体の知れない何かに聞かれるのではないかという怯えを感じながら、小さい叫びをあげた。


「ど、どこに行くの? まずは四階を探したほうが……」


 璃奈とはぐれたのは四階のトイレの前だ。

 まずはそこを探したほうがいいのではないか。


 不意に夕貴が振り返ったので、僕は口をつぐんだ。



 その顔を見た瞬間、僕の口からは自分でも思ってもみなかった言葉が飛び出した。


「本当に……、ユカリが黒須を殺したのかな……?」


 夕貴は僕の言葉に答えない。

 ただ、ジッと僕の顔を見つめている。

 何かを探すように。


 夕貴は僕の顔を長い間、時間をかけて観察してから、闇の中でひっそりと囁いた。


「君はどう思うんだ?」


 問われた瞬間、僕は自分の身体を強く抱きしめた。


 トイレの中で血まみれになった黒須の顔が脳裏に浮かぶ。

 物を言わなくなった肉塊。

 ほんの少し前まで、黒須だった「モノ」。

 「あれ」は、これまで僕が想像していた「死」とは、余りにかけ離れていた。

 

「死」とは無ではない。

 それはそこに確かに存在するなのだ。 


 全身が震えることが止められなかった。


「わからない……、わからないよ……っ!」


 僕は両手で髪の毛を鷲掴みにする。

 

 何故、ここから出られないのか。

 何故、黒須が死んだのか。

 何故、誰も来てくれないのか。

 誰が、黒須を殺したのか。


 わからない。

 何もかもわからない。


 これは僕が知っている「現実」ではない。


 何か僕の知らないもの。わからないもの。

 

「カウマイ」だ。



「誰かが……ここにいるんだよ。僕たち以外の誰かが! そいつが黒須を殺したんだ。逃げないと、早く!」

「何故、そう思うんだ?」


 夕貴の声は、気味が悪いほど落ち着いていた。

 僕はそのことに、狂乱じみた怒りさえ覚えた。


「だって、だって!」


 必死に声を押さえながら叫ぶ。


「ユカリが、ユカリが黒須を殺すなんて! 僕のクラスメイトが僕のクラスメイトを殺すだなんて、ありえないからだよ! 僕の人生にそんなことが起こるはずがない、ありうるはずがない!」


 夕貴は僕の言葉には取り合わず、まったく別のことを言った。


「ユカリには黒須を殺せた」

「だからって……!」


 叫ぼうとする僕を夕貴は目顔で押し止める。

 何の感情も浮かばないその瞳をみているうちに、身体の中の狂暴な怒りが冷えていくのを感じた。

 

 僕はまじまじと夕貴の顔を見た。

 そこには、僕には理解しがたい何かが浮かんでいた。


「ユカリには黒須を殺せた。ユカリが教室からこっそり出て行っても、シノは気付かないからだ」


 夕貴の声は平板で、暗い森の中に吸い込まれるように続いていく小さな道を思い出させた。


「じゃあ、逆はどうだろう?」


 逆?


「ユカリが教室を出たことにシノが気付かないなら、シノが教室を出たことをユカリが気付かない。そういうこともあり得たんじゃないか?」


 夕貴は言葉を続けた。


「シノは黒須に長い間、子分みたいに扱われていた。そういうのってさ、続くうちに恨みが積もっていくんじゃないかな?」

「どういう……」


 意味か?


 僕の問いに、夕貴は少し黙ってから小さな声で言った。


「黒須を殺したのは……シノの可能性もあるんじゃないか?」






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