第19話 無音の世界
1.
そのまま、僕たちは黒須が帰って来るのを闇の中で待ち続けた。
月が雲に覆われてしまったため、お互いの姿形は認識できても、表情まではよくわからない。
目の前にはかろうじて人であると分かる、四つの黒い塊がただそこにあるだけだ。
ユカリに至っては部屋の片隅にいるのかどうかすらよく分からなかった。
2.
「ねえ、遅くない」
ついに璃奈が、焦れたような口調でそう言った。
その言葉に僕は座ったまま、教室の壁にかけてある時計のほうへにじり寄り、闇の中で目を凝らした。
時計は9時45分を指していた。
僕が時刻を伝えると、璃奈が誰に言うとなく呟いた。
「黒須が出て行ってから、三十分よりもっと経っているわよね」
夕貴が呟いた。
「そうだ。この棟の一階、二階、三階、四階、全部見て回ったにしても遅すぎる」
「あいつ……、俺たちを置いてきぼりにしたんじゃないのか? 大人には俺たちのことを言わないで」
シノの言葉に、夕貴が驚いたように言った。
「何で、そんなことをするんだよ?」
「そりゃあ」
シノは口ごもりながらも答える。
「ユカリのことがあるから。俺たちがチクると思ったんじゃないのか?」
「まさか、そんなことで」
夕貴は言いながら、弱々しく首を振った。
璃奈が怒りに満ちた声で言った。
「そんなのひどいわ。璃奈たちのことを置き去りにして自分だけ助かるなんて。そんなのって……そんなのって……いくら何でもひどすぎるわよ」
璃奈はワッと泣き出した。
しばらく泣き声を上げていたが、誰も自分に声をかけないと分かると、やがて泣き声は小さくなり鼻をすするだけになった。
夕貴はしばらく考え込んでいたが、やがてはっきりとした声で言った。
「黒須を探しに行こう」
僕たちは顔を上げて夕貴のほうを見た。
夕貴の声はきっぱりとしていたが、顔は暗闇に覆われてよく見えなかった。
「もしかしたら、何かあったのかもしれない。第一、黒須が灯りを持って行っちゃったからな」
夕貴の目が僕のほうへ向けられたのがわかった。
「一緒に来てくれるか?」
僕は頷くと立ち上がった。
璃奈が不安そうに呟く。
「夕貴、行っちゃうの?」
「シノとユカリがいるだろう。黒須が戻って来るかもしれないし」
璃奈は顔を上げた。
暗闇の中に浮かび上がった白い顔には、必死な表情が浮かんでいた。
「璃奈も、璃奈も行きたい。連れて行って!」
「え……?」
夕貴は困惑したような声を上げたが、少し迷ったあと、曖昧に頷いた。揉めるのは時間がもったないと思ったのだろう。
「まあ、来たいって言うなら」
夕貴はシノのほうを向く。
「シノ、ここにいてくれるか。黒須が戻って来るかもしれないから」
シノは半ば心細そうに半ば不貞腐れたように答えた。
「いいけど……なるべく、早く戻って来てくれよ」
「大丈夫だよ。黒須もすぐに見つかるだろうし」
夕貴の言葉に、シノは少しだけ安心したようだった。
「じゃあ、行こうか」
夕貴は僕と璃奈を促し、教室よりもさらに暗い廊下に出た。
3.
窓から月明かりが入ってこないせいで、廊下は教室よりも薄暗かった。夕貴が先頭に立ち、璃奈はその腕にすがりつかんばりの様子で、夕貴の斜め後ろにぴたりと寄り添っている。
僕は夕貴と璃奈の背中を見ながら歩いた。
「どこから見るの?」
僕の質問に夕貴は微かに首を傾けて答えた。
「まずは一階から見よう。それから二階、三階、四階と上に上がっていくのがいいと思う」
「うん」
教室の中を覗きながら、僕たちはついでに灯りはないか探した。
一階の一年生の教室で、運よく懐中電灯を見つけることが出来た。
スイッチをつけると、白色の灯りがやけにまぶしく感じられる。
璃奈は灯りがついて少しホッとしたようだが、相変わらず夕貴にしがみついたままだった。
夕貴は良くも悪くもそんな璃奈の様子を気に留めていないようだった。
一人でジッと何かを考え込んでいる。
暗闇の中で懐中電灯が照らし出すごく狭い世界を見つめながら、僕たちは廊下を歩き続けた。
校内はシンとしており、黒須や大人の姿はおろか、人の気配、生き物の気配のようなものが一切感じられなかった。
闇と無音の世界。
僕たちの微かな息遣いの音だけが、やけにはっきりと静寂の世界の中で響いた。
「ねえ、本当に大人がいるのを見たの?」
一階と二階を見て回った後、璃奈が疑わしげに僕と夕貴に向かって呟いた。
璃奈がそう言いたくなる気持ちもわかる。
建物の中に、僕たち以外の人間がいないことが、空気感のようなもので分かるのだ。僕でさえ、理科室の窓から見た人影は、何かを勘違いしたか、錯覚だったのではないかと思えてきていた。
「いや、あれは人だったよ、絶対に」
僕の気持ちを読み取ったように、夕貴がはっきりとした口調で言った。
「でも」
璃奈は暗く静止したように静まり返っている学校を見回しながら言った。
「誰かがいるようには思えないわ」
璃奈の不安げな言葉を聞いていると、僕の心もじわじわと不安に浸食されていく。
「あの時はいたけれど、出て行っちゃったのかもしれない」
夕貴は僕の言葉についてしばらく考えていたが、やがて首を振った。
「もしあの大人が、僕たちを探しに来たのなら、教室を探さないなんてありえないよ。必ず僕たちがいる教室に来たはずだ」
「そ、そうだよね」
僕と璃奈は夕貴の言葉に何度も頷く。
確かに、僕たちを探しに来たのならば、教室という最も僕たちがいそうな場所を探さないということはありえない。
「でも」
不意に、夕貴が奇妙な声音で呟いた。
「もしかして、僕たちを探しに来たわけじゃないのかな?」
「え?」
「……他に何をしに来るの? 夜の学校に」
慌てたような璃奈の言葉に、夕貴は呟く。
「うん……、そうだよね」
僕も璃奈も何となくそのまま押し黙った。
そうして四階まで上がったとき、夕貴がギクリとしたように不意に足を止めた。
暗い廊下の先に僕たちを招くように、オレンジ色の灯りがぼんやりと灯されていた。
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