第三章 カウマイは縁である ~小学校五年生の記憶~

第16話 消失

1.

 

 理科室から人体模型を持ってくる、という夕貴の提案に、黒須は頷いた。


「お前らがそうしたいって言うなら、それでもいい」


 黒須はもったいぶった様子でそう言い、「ただし」と付け加えた。


「行くのは二人だけだ。お前ら二人で持ってこい」


 黒須は脅すような口調で言った。


「ついでにA棟でどこか、学校から出られる場所がないかも調べてこい。いいか、見つけたらすぐに戻って来いよ。二人だけで逃げたら、どうなるかわかっているだろうな」

「二人ともそんなことはしないわよ」


 璃奈がどこかおもねるような笑いを僕たちに向けながら言った。


「クラスメイトを見捨てて逃げるなんて。女の子だっているのに」




2.


 僕と夕貴は黒須や璃奈の言葉に頷くと、廊下に出た。


 何の灯りも持っていないため、廊下はひどく暗く、闇がうずまいているように見えた。だが、とにかく進むしかなかった。


 理科室は僕たちが今いるB棟ではなく、長い廊下の真ん中にある二階の渡り廊下を通った先にある、A棟の三階の一番奥にある。

 今まで授業で何度も行ったことがある場所なのに、今はこの闇を通り抜けて、夕貴と二人だけで行くのだ、と思うと恐ろしくてたまらなかった。


 夕貴が励ますように僕の顔を見た。


「どこか、ここから出られる場所があるかもしれない」


 渡り廊下につながっている昇降口は先ほども見たが、もう一度念のため、開けようとしたが開かなかった。


 A棟の一階にある職員用玄関や非常口、教室の窓、どれも開かなかった。

 職員用玄関の壁に取り付けらた時計を見ると、時間は夜の九時を過ぎていた。


「きっと、今頃、親が僕たちがいないことに気付いて大騒ぎしているよ。学校に電話してもつながらないってなったら、先生にも連絡がいって、学校に様子を見に来るんじゃないかな?」


 僕は自分を励ますために、無理に明るい声でそう言った。

 夕貴は奇妙な眼差しで僕のほうを見た。

 不思議そうな目だった。


「なあ、これはカウマイなんだよ」


 夕貴は、一語一語宙に刻み込むような口調で言った。「何故、それが僕にはわからないのか」ということに、本気で疑問を感じているようだった。


「親や先生にはどうすることも出来ない。大人にカウマイなんてものは分からないからね。何も理解出来なくて、ただ無意味なことをするだけさ。

 今頃、僕たちがいないってことで大騒ぎしてまったく見当違いのことをしているよ。今までだって、そうだったろう? だいたいのことについて」


 夕貴は肩をすくめて呟いた。


「親や先生には期待しないほうがいい。僕たちをここから出すことは出来ない」


 最後のほうはほとんど独り言のようで、夕貴は自分の考えの中に沈みこむように黙りこんだ。




3.


 A棟の一階、二階を調べながら進んだため、理科室に辿りつくまでに思ったより時間がかかった。


 余り遅くなると黒須がどんな難癖をつけてくるか、分かったものじゃない。

 なるべく早く模型を運ぼうと思い、僕たちは理科室の扉を開けた。


 薄暗い中を大きな机をよけながら、何とか人体模型がしまわれている棚のガラス扉の前にたどり着く。


 その瞬間。

 僕と夕貴は、同時に息を飲んだ。


 人体模型がしまわれていた棚のガラス戸は、大きく開け放たれていた。

 


 棚の中は空っぽだった。



 立ち尽くす僕たちの前で、ガラス戸が、まるで何かを嘲笑うかのようにキィキィという音を立てて揺れていた。

 




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