カウマイが存在することを証明する 

苦虫うさる

第一章 カウマイは怨である ~現在~

第1話 あの子が死んだ。

1.


 大学を出て、家に着いたと同時に、不意にスマホが着信を知らせてきた。

 画面に映っているのは、通話の通知だ。

 珍しい。


「久しぶり」


 僕が画面を開いてスマホを耳を当てると、遠い記憶のどこかで聞いた覚えがある声が聞こえてきた。




2.


「覚えているかな? 僕のこと」


 スマホから聞こえてきた遠慮がちな相手の声が誰のものか、僕はすぐに思い出した。


 小学校五年生、六年生の二年間、クラスが一緒だった同級生の声だ。

 成績優秀な優等生で、クラスの皆から人望があるリーダー的存在であり、先生からは信頼されていた。

 大人びていて、顔立ちもよく、クラスの委員長によく選ばれた。クラスの女子の半分くらいは、彼のことが好きだった。

 

 僕はクラスの片隅にいつもいるような目立たない子供だったため、話す機会が余りなかった。

 だが、何かの拍子に関わる機会があると、彼は特に仲が良いわけでもない僕にもとても親切にしてくれた。

 そんな小学生のころの彼の姿を思い浮かべて、僕は明るい声をかけた。


「懐かしいなあ、委員長か。どうしたの? 急に」

「委員長なんて呼ばれるのは久し振りだな」


 スマホの向こうで、彼が照れたように笑った。

 最初に電話がかかってきた時の緊張が嘘のように、急に空気が和らぎ親密なものになる。


 よく電話番号がわかったね。

 僕の言葉に、SNSで今もつながっている同級生たちで手分けして、当時のクラスメイトに連絡を取っているんだと彼は説明した。

 

 僕とは違い、委員長は今でも昔の同級生とつながりを持っているらしい。


「ふうん、同窓会でもやるの?」


 何気なく言った自分の言葉に、僕はドキリとした。

 何故なら。

 小学校五年生の時のクラスは……クラスじゃないだろうか?


 その瞬間、今まで感じていた懐かしさが嘘のように、全身から一瞬にして血の気が引いた。

 手足の先から、冷え冷えとした何かが嫌らしい軟体生物のように這いのぼってくるのがわかる。

 

 そうだ、何故忘れていたのだろう?

 小学校五年生のときのことを。

 あんなに色々なことがあったのに……。


「同窓会? いや、違う」


 電話の向こうの委員長の声も、「同窓会」という明るい言葉にはそぐわない、小さな震えを帯びた躊躇いがちのものだ。


「僕たちのクラスに林ユカリっていう子がいただろう? 覚えている?」


 林ユカリ。

 その名前を聞いた瞬間、僕の心臓は大きく跳ね上がり、背中に汗が伝い落ちた。

 頭の中に瞬時に、小学五年生のときのユカリの姿が鮮明に浮かび上がる。

 

 額を覆いつくす重い前髪。

 妙に油じみて見える、てらてらとした両肩に垂れ下がる三つ編み。

 丸まった背中に長い手足がつくその体は、人というよりはその場に根を生やし、暗い深海でゆらゆらと揺れる植物のように見えることがある。

 俯き加減の顔には、一人だけ何かを知っていると言いたげな薄い笑いが張りついている。

 みんなから気味悪がられていた、クラスの異分子。

 

 手が汗ばんできたのが、自分でも分かった。

 僕はこれ以上はないくらいスマホを耳に押しつけて、小さな声で囁いた。


「林ユカリが……どうかしたの?」


 奇妙なほど抑えつけられ潜められた声が、耳に届く。


「死んだんだ」

?」


 僕はたぶん、聞く前からその答えを知っていた。

 それでも、いざその回答を聞くと、驚きの声を上げてしまう。


「死んだ? ユカリが? いつ?」

「僕も知ったのは昨日なんだけれど……」


 口ごもる委員長に、僕は何かに追い立てられるように立て続けに問いかける。


「一体、何で死んだんだ? 病気だったの?」

「いや……、病気じゃなくて……」

 

 空白が開いた。

 電話の向こうで委員長が、ひどく躊躇っていることが伝わって来た。

 唾を呑み込む音が耳に響いたあと、彼は言った。


「自殺、らしいんだ」

「自殺?!」


 僕は呆然として呟く。

 自分の知り合いが自殺したなどということは、日常とはかけ離れた出来事でにわかに信じることが出来ない。

 僕は何度も口ごもりながら、震える声で聞いた。


「一体、何だって……何だって、自殺なんか……」

「よくわからないんだよ。ただ、彼女が死ぬ前に残した言葉が奇妙で……、それで当時のクラスの連中に連絡を取っているんだ」

「え?」


 どういう意味だ?

 僕たちはもう二十歳になっている。

 小学校を卒業したのは、十年近く前だ。

 それなのに、なぜ、小学校の同級生に今さら連絡をしているのか。


 そんな僕の心の疑問に答えるように、彼ははっきりとした言葉で言った。


「『カウマイが存在することを証明する』」

「え……?」

「林ユカリはそう言い残して死んだらしいんだ」

 

 カウマイが存在することを証明する。

 僕の頭の中に、その言葉が鳴り響く。


 カウマイ。

 あの薄暗い教室。

 窓から入る月明かりと、闇の中でひっそりとついた懐中電灯だけが頼りのあの空間。

 カウマイと聞いただけで、一瞬にして現実から、夜のあの暗い教室に体が引きずり戻される。


「覚えているか? カウマイのことを」


 誰かに聞かれることを恐れるかのような、囁くような問いにも反応することが出来ない。

 僕は体を強張らせて、その場に立ち尽くす。

 全身が痺れたようになり、指一本動かせない。

 動かすことが怖い。


 覚えているも何も。

 それはむしろ、忘れ去りたい、それなのに忘れることが出来ない忌まわしい記憶だ。

 

 今まで力づくで閉じ込めていた獣が鎖を引きちぎるような狂暴さで、僕の頭の中で「あの時」の忌まわしい記憶が奔流のように溢れ、荒れ狂った。






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