100.子どもに罪はありません
幼子の寝顔にミカエルは見入った。バエルの魔力で上書きされたものの、この子から感じる力や香りは間違いない。だが、そんなことがあるだろうか。前例のない状況に混乱した。
「天使と悪魔の……両方?」
「天使アザゼル、すなわち我が配下にして序列9位のパイモンの子だ」
天使であり、悪魔でもある者――それは唯一の称号を与えられた堕天使だ。バエル達と同じ罪を背負い堕天したにも関わらず、天使の一角に名を連ねる。ずっと前に姿を隠し、それ以降見かけないとバエルは告げた。
人間を監視する役目を持つ天使であるアザゼルは、時折姿を消す。だから気に留めなかった。突然ふらりと戻るからだ。悪魔である彼は、天使である彼女と共存している。
「俺の契約魔法を一度弾いた。間違いない」
天使の力でなければ、悪魔の契約は断ち切れない。カリス自身が承諾している契約にも関わらず、反発する力があったのは天使の血を引くからだ。同時に、悪魔の血も流れている体は契約を受け入れた。
「ではコキュートスに堕とした母親は、人間ですか?」
考えながらミカエルは言葉を選んだ。悪魔と天使が交わることはない。子が生まれるはずはなかった。だが、バエルは首を横に振る。眠る幼子の頬を手のひらで包み、眠りを深く誘導してから顔を上げた。
「あれは託されただけの女だ。子を産んだのはアザゼル、
雄の精を必要とせず、雌が単独で子を産むため「処女生殖」と表現されることもある。アザゼルは単独で子を生み出した。それは悪魔であるパイモンと、天使のアザゼルの因子を同時に受け継ぐ子どもの誕生を意味する。
カリスは天使であると同時に、悪魔だった。
「あなたはこの子を、愛し続けるのですね」
「当然だ」
契約だからではない。ただ愛おしいのだ。悪魔の頂点に立つ男の声に滲んだ優しさに、ミカエルは泣きそうな顔で微笑む。首を横に振り、きっぱりと言い切った。
「わかりました。今回の事件は
口封じも兼ねて、コキュートスで処分してくださいと告げる。大天使は、カリスを「悪魔の子」と称した。これが天界の公式見解となる。
もし天界に連れて行っても、カリスは悪魔の血を引き契約に繋がれた存在だ。他の天使が受け入れないのは明白だった。天界で辛い思いをさせるより、悪魔としてバエルに愛され育つ方が幸せだ。ミカエルはそう考えた。
目を見開いたバエルの表情が和らぎ、口元が小さく礼を紡ぐ。声にしない動きだけで。
「その子の名を聞いても?」
「カリス、だ」
「良い名前です。子どもに罪はありません。大切に育ててください」
尋ねたミカエルは、その名を声に出さなかった。光あれ、導く者よ――カリスの名に込められた響きは、願いそのものだ。軽々しく天使が口にすることは侮辱に等しい。ミカエルはそう考えた。
「能天使共は良いのか?」
「先ほども言いました。天界に不要です、処分していただいて結構ですよ」
そのくらいの権限はあります。悪魔に通じる残酷な笑みを浮かべ、ミカエルは一礼して姿を消した。腕の中の幼子は、バエルの服をしっかりと掴んで離さない。握りしめた指を撫でて額にキスをした。
「安心いたせ、カリスを離したりはせぬ」
理解したように、カリスの強張りが解ける。座ったベッドに寝かせ直し、その隣に寝転がった。誰が奪いに来ても守り抜く覚悟を固めて……愛しい息子の頬に口付ける。この眠りが穏やかであるように。
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