96.どう償わせても足りない
カリス様が誘拐された。あれほど可愛らしい子どもはそういない。狙われる理由は分かるが、あの場所から誘拐出来る者は限られた。内部からの手引きでなければ、天使しかいない。彼らは空間を捻じ曲げる能力を持つため、厄介な敵だった。
契約を強制的に解除したのも、天使の仕業なら納得できる。悪魔が持つ魔力を中和できるのは、天使だけ。繋がりを切断された
過去にあの子に掛けた魔法の痕跡を辿り、マルバスが作った宝玉の魔力を頼りに位置を特定していく。その間に私ができることは、部下への指示と戦うための準備だった。醜い狼の口は耳まで裂けている。並んだ牙のひとつを折って、血塗れのそれを机に残した。
補佐のウヴァルなら理解するだろう。このアガレスは、悪魔皇帝バエルの代行者の資格を持つ。その代理権を一時的に譲渡するのだ。側近である私が、陛下に同行しないという選択肢はなかった。
飛んだ先で、バエル様は当然のようにカリス様を抱き締める。魔力を振り絞ったせいで立てないほど疲弊しながら、それでも愛し子を腕に閉じ込めた。傷つけようとする天使から守る形で、己の無防備な背を晒した状態であっても、あの方に迷いはない。
あの頃から何ひとつ変わっていないのですね。くつりと喉を震わせて笑い、裂けた口を大きく開いて威嚇した。視線の先には、神の寵愛を誇る白い翼を持つ天使が5匹ほど。我が名を呼ぶ許可など与えていないのに、傲慢にも叫んだ。
「天使を名乗り我らの前に立つならば、少なくとも熾天使以上でなければ……相手になりませんよ」
どうやって引き裂いてやろうか。主君と愛らしいあの子の絆を引き裂き、断ち切ろうとした。どう償わせても足りない。剣を向ける弱者を甚振る権利は、強者のみに与えられる。上に振り被る剣を、横一閃に弾いた。握りの甘い柄が抜けて飛んでいく。無防備な腹に剣を突き立てた。
「ぐぁああああ!」
「忘れておりました。カリス様、耳を塞いで目を閉じてください。頭を撫でるまで、バエル様にしっかり抱き着いて守ってください」
「うん」
バエル様の腕の中で、幼子は目を閉じる。その素直さが純粋な魂の証だ。きゅっと両手で耳を塞ぐ。あれほど怖い思いをして、必死で保護者を呼んだのに。この場で私の言葉を優先するほどの信頼ならば……応えるのが大人の役割でしょう。守られるだけを良しとしない子どもは、自分が守るのだと声に決意を宿して頷いた。
見苦しく叫んだ天使の胸を踏みつけ、腹の剣を捻ってから引き抜く。その際もきっちり傷を抉って広げることは忘れなかった。暴れる男の翼に剣を振るう。片方だけ切り落とした。神の遣いを名乗るなら、カリス様の半分でいいから覚悟を持ちなさい。皮肉げな考えが浮かんだ。
返り血に汚れた剣を構え直す。私を囲む形で3人が剣を抜き、1人はバエル様に向かった。魔力が尽きているから勝てるとでも思ったか? 愚かな……その方はかつて天使の頂点に立ち、今も悪魔を統べる最強の皇帝陛下である。名も知れぬ天使が獲れる首ではない。
「カリスに、何をしたぁ! この子が怯え、泣くほどの……何をしたのか! 言ってみろ」
冷酷さで右に出るものがいないと評される私と違い、バエル様は直情型だ。冷酷ではないが、残酷なのは当然だった。片手で愛し子を守りながら、近づいた天使の剣を腕で弾く。刃に傷ひとつ負わぬ強靭な肉体そのものが凶器だった。天使自慢の金髪を掴んで引き倒し、顔を地面に叩きつける。石床にぐしゃりと赤いシミが広がった。
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