9.黒い毛皮に触りたかった

 食べ物は机の上に並べられる。これはご飯、僕が与えてもらってたのは餌。違いは、一緒に食べてくれる人がいること。投げつけられないこと、食べても痛くないし、温かいのがご飯。僕は餌よりご飯の方が好き。


 バエルが一緒に食べ終えて、僕を抱っこした。息子はよく分からないけど、僕はバエルの息子になったの。子どもってことかな。


 昨日も会った動物の人が来て、名前を教えてくれた。


「私はアガレス、と言います。お名前を教えてくれますか?」


 僕の? 首を傾げて自分を指差せば、頷く。アガレスは柔らかいふかふかの床に膝を突いて、僕と同じ高さで話をする。そんな人は今までいなかったのに。バエルとアガレスはすごくいい人みたい。


「自分の名前を言えるか?」


 バエルが促すから、慌てて口の中で繰り返す。大丈夫、僕の名前はカリスだ。ちゃんと言えるよ。


「カリスです」


「綺麗な名前ですね。よく似合っていますよ」


 優しく言われて嬉しくなる。僕、アガレスの黒い毛皮が気になるんだけど、触ってもいいのかな。どうしたらいい? 困ってバエルを振り返る。僕を後ろから抱っこしてるんだ。


「どうした?」


「触り、たい」


 アガレスは半分くらい動物で、残りは人間に見える。長い黒髪がそのまま首に続いて、背中も毛が生えてるみたい。手も指の手前まで黒い毛皮があって、すごく柔らかそうだった。


「アガレスにお願いしてみろ」


「おねがい、こう?」


 僕を抱き締めるバエルの手から滑り降りて、床にぺたんと座る。両足を開いてその間にお尻を落として姿勢を低くした。床にぺたんと胸と顔をつけて、お願いする。


「お願いします、触りたいです」


「っ!」


 びっくりしたバエルに起こされ、そうじゃないと言われた。でも僕が知ってるお願いはこれだけで、他の方法は知らないの。どうしよう、僕は何か間違えたかも。バエルもアガレスも怖い顔していた。鼻がツンとして啜る。


「ああ、そなたを叱ったのではない。カリス、泣かないでいいぞ」


 慌てて僕を正面から抱き締めるバエルが、背中をぽんぽんと優しく叩いた。痛くなくて、気持ちいい。鼻の奥の痛いのが消えて、体の力を抜いた。こうして温かいと嬉しい。僕を嫌いじゃないみたい。


「カリス様、触ってみませんか?」


 アガレスが僕に声を掛けた。恐る恐る振り向くと、笑ってくれてる。優しそうで、怖くない。頷いたら、バエルが向きを変えてくれた。でも僕の背中はバエルにぴったりくっついて、離れないから安心だ。


 手を差し出したアガレスの指を掴んで、深く頭を下げた。


「ありがとうござ、ぃます」


 それから撫でた。黒い毛皮は思ったより柔らかで、すべすべと指が滑る。手首の少し先まで触って、首の辺りにたくさんある毛皮を見つめた。ぶわっと膨らんでて気になるけど、あまり触ったら良くないの。僕は汚れた子だから、醜いのが移るんだって。こんなに綺麗な毛皮なのに、汚したら困る。


 そっと手を引いた。


「もう良いのか?」


「はい」


 もう少し触りたいけど、僕が綺麗になれたらにしよう。毎日、いい匂いの泡で洗ったら綺麗になれるかな。いつかバエルみたいに綺麗になりたい。

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