りんごの偏ったアップルパイ

萌木野めい

1

 ユタカの育った孤児院には、幾つかのルールがあった。


 その一つが、名字や名前を持たない子が来たら、みんなで案を出して決めることだった。ユタカ・アトレイドもそうやって名字を得た一人だ。

 ユタカが来た前の年に十五になって孤児院を出た、優しい兄さんの名字から取ってくれたそうだ。


 名前を考える時、子ども達は皆自分の案を通したくて揉めることが多いのだが、クッカの名前は、珍しく満場一致で決まったのよ、と孤児院のハル先生から聞いた。

 花が咲くみたいに笑うから、クッカという名前がついた。

 本当にぴったりの名前だと、クッカに会った皆が言うのだ。


 —


「ねえユタカ、今日はなーんでそんなに無口なのよう。何か怒ってる? ねえ」


「何でもない」


 ユタカの隣を歩くクッカが拗ねたように口を尖らせてユタカに聞く。孤児院に続く森の中の一本道を二人で歩きながら、ユタカはぶっきらぼうに返した。

 日が傾き始めた森はやや薄暗く表情を変え始めている。


 ユタカ・アトレイドは短い黒髪に黒目の少年で、今年十二になった。孤児院で支給される綿のシャツと深緑色のズボンを履いて、隣にいるクッカと並んで歩いている。背は同い年ではどちらかというと高い方だ。手には白い布に包まれたホールのアップルパイを手にしている。

 昔から「優しいね」と称される事が多い。前までは嬉しかったのだが、最近は同じ位の歳の男の子達より細い自分の肢体のせいに感じてしまい、素直に喜べなくなってしまった。


 ユタカの隣にいる少女、クッカ・オメナはユタカより三つ年上の「姉さん」だ。ついこの間十五になった。


「姉さん」と言っても、もちろん本当の姉ではない。孤児院だと年上の子供をそう呼ぶ決まりになっているからだ。

 クッカは丸い瑠璃色の瞳に緩く波打った腰までの栗色の長髪で、これもまた孤児院で支給される質素な綿のブラウスと紅色のスカートを履いている。肩掛けカバンの中の小銭が歩くたびに、しゃんしゃんと鳴る。

 長い髪と対照的に前髪だけはいつも額の真ん中より上まで切り詰めているのは、こまめに切るのが面倒という理由らしい。すらりと華奢で、同じ歳の孤児院の女の子の中では一番背が高い。

 何年か前まではクッカはユタカよりだいぶ背が高かったのだが、ユタカが十二になった途端に急に背が伸びたので同じ位になった。クッカはそれについても文句たらたらだったが、こちらとしてはどうしようもない。


 今日、二人は孤児院で作ったアップルパイを近くの集落へ売りに行った帰り道だ。ユタカが手にしているのはその売れ残りの一つである。しかし、「売る」と言っても、代金として貰うのはほぼ、材料費のみだ。


 この国、イスパハルは、国王の妻の暗殺を皮切りに隣国のカーモスと長らく戦争をしている。休戦を挟みながらも十年以上に渡る戦いはまだ、先が見えない。ユタカ達の住む領地イーサは一部がカーモスと接していることもあり、ユタカの孤児院は今の所は戦火を免れているものの、周囲の治安は悪化しているようだ。


 いつになるか分からない平和を待ち望む日々は生活に影を落としていたが、孤児院ではハル先生や兄弟達がいつも一緒で、寂しい気持ちになることは少なかったことは幸いだった。


 孤児院から歩いて一時間ほどの所にあるその集落は住んでいるのは老人や女性、小さな子供ばかりで、数軒の家と共同の家畜小屋があるのみだ。身体の丈夫な若者は皆戦争に行ってしまったという。


 元々は集落の人々の暮らしを心配するハル先生の心配りが発端だった。

 アップルパイを売りに行くことを建前に孤児院の子供が交代で定期的に訪れ、子供達が家仕事の手伝いをしたり、話を聞いたりしているのだ。


 いつもユタカを可愛がってくれる老婆の話をゆっくりと聞いていたら、思ったより滞在が長くなってしまった。既に日が傾き始めている。

「危ないから日が傾く頃には絶対に孤児院に着くようにしなさい」とハル先生に言われていたのだが、それには間に合わなそうだ。早足で帰ればぎりぎり日暮れには間に合うだろうか。


「何よもう。変なの」


 クッカはぶーぶー文句を言いながら頭を掻き、ユタカの隣を歩く。ユタカはクッカの言葉に返さずに、ただ、不機嫌そうな表情を変えずに前を見て歩き続けた。


 ユタカが今日、クッカにそんな態度しか取れないのは、理由があった。


 春の天気のように忙しなく表情を変えるクッカの瑠璃色の瞳は、物心付いた時からいつだってユタカの目を惹いたが、最近はどうもおかしかったのだ。

 クッカが同じ部屋にいると、つい目で追ってしまう。他の男の子と話をしていれば、胸がざわめく。かと言って、そこに割って入るなんてことは自尊心が邪魔して出来ない。

 その一方で、クッカと二人きりでいるとどきどきして目が合わせられなくなってしまう。


 その理由が分かったのは昨夜だった。


 明日ユタカとクッカが二人で出かけることを知った一番仲の良い男友達が「最後に二人きりになれて良かったな!」と囃し立ててきたのだ。

 ユタカはそこで初めて、自分がクッカに抱いている気持ちが恋心であると気がついた。仲の良い彼から見れば、火を見るよりも明らかだったらしい。


 どうして、自分の心に気がつくまでにこんなに時間がかかってしまったのだろう。

 どうせならもっと早く気がつくか、ずっと後に気がつくかのどちらかなら良かったと、ユタカは神を恨んだ。


 何故なら、明日クッカは孤児院を出て行ってしまうからだ。


 千人に一人とも言われる回復魔術の素養を持って生まれたクッカは、王都トイヴォにある国立の魔術学校に入るのだ。

 今は孤児院の近所の魔術医師の診療所に見習いに行っていて、腕に見込みがあるということで学校の推薦を貰ったという。学校の寮に入るため、明日は正式な迎えが来てお別れになるとハル先生が言っていたから、こうして二人きりになれるのは今日で最後だ。

 推薦状を手にして「絶対に絶対に、国で一番の魔術医師になるんだから!」と嬉しさを大声で爆発させるクッカを思い出す。

 クッカの栄転は喜ぶべきなのに何故かすっと胸が冷たくなるのは、このせいだったのだ。


 あとひと月でも早く気がつけば、言える事もあっただろう。

 生まれて初めて自覚した愛しさを昨日の今日で本人に打ち明けられるほど、ユタカは成熟していなかった。


 きっとこの気持ちは一生叶わない。

 そのことが、クッカとの最後の日、二人きりで歩くユタカをどんどん無口にさせた。


 両手に持った包みから匂い立つアップルパイの甘い香りが今の気持ちと余りに正反対で、余計にユタカの気分を沈ませる。

 りんごを切って砂糖で煮て、偏らない様に丁寧に敷き詰め、細く編み上げた生地を乗せた、皆が皆大好きな、幸せな食べ物。


 昨日このアップルパイをクッカと二人で作った時は、まだ恋心なんて知らなかったのだ。

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