第2話 欠落紋の覚醒

 僕は足を引きずるようにして、夕陽に染まった街道を歩く。

 行く宛も無いが、とりあえず屋敷に戻れないことだけは確かだ。


 勇者一族でありながら勇者紋に選ばれず、欠落紋を発現させたという噂もすぐ周囲に広まるだろう。

 ならば、王都からは離れた方が良いかもしれない。


 そう考え始めたその時、後ろから声がかかった。


「リジル様、待ってください!」


「な、何してるんだ、ルア」

「私も、私も一緒に行きます!」


 見ると、侍女のルアが小柄な体を揺らしながら駆け寄ってきた。

 肩まで伸びた艷やかな銀髪の奥から、ライトブルーの瞳が見上げる。


「一緒に行くって……。僕はもうクラフト家の人間じゃないんだぞ」

「はい。分かっています」

「さっきのやり取りでクラフト家に失望したのなら、どこか他の屋敷で雇ってもらうといい」


 そこまで言って、僕は違和感を覚える。


 ルアの腕に、いつも付けていた金のブレスレットが無かった。

 クラフト家に長年使えた証の腕輪だ。


「ルア、腕輪はどうしたんだ?」

「腕輪は、当主様にお返ししました」

「返したって、お前……」


 名家に長年仕えた実績を証明するものがあれば、どこの貴族の屋敷に行こうと雇ってもらうことができる。


 腕輪はルア自身を保証するものだったはずだ。

 それを放棄して、僕に付いてくるっていうのか。


「私だって戦闘向きじゃありませんが、【収納魔法】のスキルを持ってるんです。リジル様のお役にだって立ちますよ」


 自慢げな顔を向けるルア。

 確かに多くの荷物やアイテムを持ち運びできるルアのスキルがあれば、旅に出るにしてもこの上ない助けになるだろう。


 ただ、そういう問題じゃない。


「僕はクラフト家から追い出された人間だぞ。君を付き合わせるわけにはいかない」

「リジル様は私のことがお嫌いですか?」

「そんなことあるわけないだろ! さっきだって、僕のために父上に諌められて……。感謝こそすれ、嫌いになることなんてあるわけがない!」


 正直、心は折れかかっていたんだ。

 でも、ルアが自分の立場も顧みず叫んでくれたことに、僕は救われていた。


「そうですか。なら、何の問題もありませんね」

「どうしてそこまで……」


「幼い私が奴隷として売られそうだった時、リジル様は私を引き取り助けてくださいました。見ず知らずの奴隷を助けるなどという得の無い行為が、どれほど当主様のお怒りを買うか知っていたはずなのに、です」

「……」


「あの時、当主様の折檻を受けた後なのに、リジル様は笑いながら私に向かって言いましたね。君を助けられて良かった、と。それ以来、私はずっとリジル様の侍女として仕えてきました。他の誰がどう言おうと、それはこれからも変わりませんよ」

「っ――」


 危なかった。

 屈託のなく向けられた笑顔に、泣きそうになった。


「それに、先程ルギウス様が私を責め立てた際、我慢してらっしゃいましたよね? あそこで反論したら私の待遇が悪くなるかもしれないとお考えになったんでしょうが……」

「……はは。ルアには敵わないな」

「何年一緒にいると思っているんですか。リジル様のお優しいところは好きですが、あまり抱え込まないでください」


 これからも私はお供しますから――。


 そう付け加えたルアの顔は、夕陽を受けて輝いて見えた。


「……ルア、ありがとう」

「はい。これからもよろしくお願いします、リジル様」


 信じてくれる人が、まだいる。

 それだけで僕は救われた気がした。


 ――ルアのためにも、落ち込んではいられないな。


 僕はそんなことを考えながら、差し出されたルアの手を取った。


   ***


「フッ、ハァッ!」


 夜――。


 辺りが静かなせいか、ショートソードで空気を切り裂く音がよく聞こえた。


 クラフト家にはいられなくなったが、剣の素振りは僕の日課だ。

 自分を信じてくれるルアのためにもという思いからか、いつもより力が入る。


 あれから、僕は稼ぐ手段を得るため、冒険者としてギルドに登録することを決めた。


 商売の心得は無いから、あるのはこれまでの鍛錬で身につけた戦闘能力と【命中率上昇】のスキルのみ。

 その力を少しでも活かせるだろうと考えてのことだ。


 ただ、予想通りというべきか、僕の評判はすぐ王都に広まっていた。

 道行く人には勇者一族でありながら欠落紋を持った落ちこぼれと囁かれ、旅支度を整えるために立ち寄った店の店主にはあからさまに嫌そうな顔をされた。


 このまま王都で活動しようとしても難しいだろうと考えた僕は、ルアと一緒に王都との人の行き来が少ないファーリス村を目指している。


 幸いにも道中で廃屋を見つけたため、今日はここで一晩を明かすことに決めたわけだ。



「お疲れ様です、リジル様」

 かけられた声に振り返ると、廃屋で休んでいたはずのルアが立っていた。

 月明かりに輝く銀色の髪がどこか神秘的で、思わずドキリとする。


「悪い。起こしちゃったな」

「いいえ、私も寝付けないところでしたから」


 僕は剣の素振りを中断して、ルアと一緒に近くの切り株に腰掛ける。


「リジル様のその紋章、不思議ですよね。名前も分からないなんて」


 ルアの目が僕の右手を見つめる。

 詳細不明の赤い紋章の下には、同じく赤い文字列でスキルが刻まれていた。


============

・命中率上昇(範囲小)

============


「選定式の時の神官が言うには、紋章が欠けているから詳細が分からないってことらしいけどね。まあ、使えるスキルは普通だし、そのせいで家から追い出されたわけだけど」


 弟のルギウスが言っていたように、【命中率上昇】というのはさして珍しくもない平凡なスキルだ。

 ただ、スキルは成長することもあれば、スキルそのものを新しく習得することがある。


 「成長」と「習得」。


 その傾向を示すのが紋章だ。


 ルギウスと父上は過去の例や初期スキルから欠落紋が外れだと決めつけていたが、欠落紋は未知の紋章でもある。


 現状のスキルが平凡なものだったとしても、今後のスキル成長と習得次第では強くなれるのではないかと、僕は考えていた。


 もちろん、それは願望に近いものかもしれないけれど……。


「大丈夫ですよ、リジル様。これまでもたくさん努力されてきたんですから、きっとリジル様はもっとお強くなれます」

「だと良いけど」

 ルアの真っ直ぐな言葉が眩しくて、僕はわざとらしく自嘲気味に笑う。


「でも、そうだな。きっといつか、強くなりたいな」


 ルアのためにも。そう付け足そうとして、やっぱりやめた。

 何だか恥ずかしい気がしたからだ。


 と、その時だった。


 ――グォルアアアアア!


 静かな夜の空気を切り裂いて、咆哮が響き渡る。

 これは、オークの咆哮!? いや……、ただのオークじゃない。これは――、


「な、何でしょうか?」

 ルアと僕は立ち上がり、咆哮が聞こえた方を見る。

 背中に嫌な汗が伝うのが分かった。


 草原の向こうから、モンスターが緑色の巨体を揺らしながら棍棒を手に近づいてくる。

 大きさは普通のオークの倍以上はあるだろう。


 ――くそッ! やっぱりジャイアントオークか!

「ルア! 逃げるぞ!」

 僕はルアの手を取って走り出す。


 ジャイアントオークはかつての魔王が遺した残滓の影響だとも言われ、熟練の冒険者がパーティーを組んで討伐にあたるモンスターだと聞いたことがある。

 「強力なスキルを持っていたとしても単独での戦闘は絶対に避けろ」と父上から注意されていたほどだ。


 ただ、ジャイアントオークはその巨体故に鈍足なはず。


「大丈夫だ! 全力で走れば逃げられる!」

 僕がルアにそう声をかけた直後だった。


 振り返ると、ジャイアントオークがこちらに向けて大きく跳躍したのだ。


「なっ!?」


 大きな地響きとともに、ジャイアントオークは僕たちの目の前に立ちはだかった。

 そして、オーク種とは思えないほどの俊敏さで巨大な棍棒を振り上げる。


「ルア、ごめん!」

 ルアを攻撃の範囲外に突き飛ばし、僕自身はショートソードでガードを試みた。が――、


「ぐぅっ!」

「リジル様!」


 咄嗟の防御ではなぎ払われた棍棒の勢いを完全に殺すことはできず、衝撃とともに後方へと吹き飛ばされた。

 ルアの声で、飛びそうな意識を必死で留める。


 ――なんでオーク種がこんなに素早いんだ!?


 疑問がよぎったが、考えている余裕は無かった。


 ジャイアントオークの目がルアを捉えている。

「く……そ、絶対に、させるか」


 武器でガードしたのにこのダメージだ。

 ルアがジャイアントオークの一撃を受けたら……。


 予想してしまった最悪の光景を振り払い、僕は無我夢中で右手に力を込める。

 【命中率上昇】のスキルを使用すると、赤い欠落紋が呼応して輝くのが分かった。


 ――いつか強くなる、じゃ駄目なんだ! 神様でも何でもいい。今だ……。今、力をくれ!


 僕はジャイアントオーク目掛けて疾駆するが、先程のダメージが足にきている。

 おそらく、一撃を繰り出すのがやっとだろう。


 一撃――。


 そうだ。核を狙うんだ。


 モンスターは例外無く体内に魔石と呼ばれる核を持っている。

 そこを突ければ、一撃で倒せるはず!


 少ない可能性ではあったが、それに賭けるしかなかった。


「うぁあああああ!」

 ジャイアントオークの核がある右胸に向けて、全力でショートソードを突き出す。


 ――初級剣技、ソードバッシュ。


 剣士として習得する基本剣技だが、僕が最も修練を重ねてきた瞬速の剣技だ。


 しかし、ジャイアントオークの動きは更に素早く、虚をついたはずの攻撃は紙一重のところで躱されてしまう。


 ――外した。

 そう思った次の瞬間だった。


 欠落紋が一際強く輝き、右手のショートソードがあり得ない軌道を描いてジャイアントオークの右胸部に向かう。


「なっ!」

 直角に向きを変えた剣撃が緑の巨体に深々と突き刺さり、何かを砕く手応えがあった。


「グゴガァアアア!!」


 ジャイアントオークは断末魔の叫びをあげると、地響きとともに倒れ込んだ。


 やっ……、た?


 僕は勢い余って倒れたまま、ジャイアントオークの様子を確認する。


 地面に横たわったジャイアントオークはピクリとも動かない。

 さっきのは核である魔石を砕いた感覚だったんだろう。


「リジル様ぁああ!」

「ああ、ルア……。無事? って、ちょっ」

「リジル様! リジル様ぁ!」


 ルアが駆け込んできた勢いそのままに抱きついてくる。

 胸にうずめられた頭を左手で抱えながら、僕は何とかルアをなだめようとして、それでもルアが泣き止むまでにはしばらくかかってしまった。


   ***


「やっぱりリジル様は私の英雄です」

 ようやく泣き止んだルアが、そんなことを言う。


「とにかく、ルアが無事で良かったよ」

 僕は気恥ずかしくなりながらも、ジャイアントオークから受けたダメージの手当てをしてもらっていた。

 【収納魔法】のスキルによって多めに持ってきていた回復薬や薬草を、ルアが手際よく使用してくれている。



 ジャイアントオークとの戦闘を終えて、気になることが3つあった。


 1つ目は、モンスターの核である魔石のこと。


 ジャイアントオークの体内から出てきた魔石には、何やら黒い石のようなものがくっついていた。

 魔石にこんなものが付着しているなんて聞いたことが無い。

 オーク種なのに異常なスピードで動いていたことと関係があるのかは分からないが、一応、魔石と黒い石は切り離して保管しておくことにした。


 2つ目はスキルのこと。


 よく聞く【命中率上昇】のスキルは、攻撃の命中率を僅かに上昇させる効果だったはずだ。

 ジャイアントオークを捉えた時の攻撃はそんなレベルじゃなかった。

 もしかすると、この紋章のスキルには何か特殊な効果があるんじゃないかと考えたが、現時点で答えは出なかった。


 そして、3つ目の気になることは僕の右手にあった。


 右手の甲に刻まれたスキル【命中率上昇(範囲小)】の下には、新たな文字列が追加されていたのだ。


===========

・命中率上昇(範囲小)

・スキルブレイク

===========

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