告発
私は、勤務先の銀行が所有している社宅に住んでいる。
今朝は珍しく早起きできたので、出社前にウォーキングでもしようと玄関の戸を開けた。
すると、前の通りに営業課の橘課長がいるのが見えた。彼は、日差しが強いわけでもないのに、顔を手で隠すような素振りを見せながら、小走りで行ってしまった。
スーツ姿だった課長を見て、やけに早い出社だなと思ったが、それ以上は考えなかった。
30分程度のウォーキングを終え、シャワーを浴びると、まだ時間に余裕があったので、少し小説を読んでから出社した。
今日は朝から充実した時間を過ごすことができた。仕事もなんだかうまくいく気がする。
そんなことを考えながら支店に到着すると、いつもと違う様子であることに気づいた。
警察官と見られる男達が、大勢集まっているのだ。
彼らの脇を抜けて支店のなかに入ると、母親と同い年くらいの窓口担当のおばちゃんが駆け寄ってくる。
「佐藤くん、聞いた?今朝この支店に強盗が入ったらしいわよ。」
「本当ですか?」
「本当よ。さっき監視カメラの映像をこの目で見たもの。覆面を被った男が3人、ATMから現金を抜き取ったの。」
「うわぁ、怖いですね。」
私はもちろんびっくりしたが、まだ会社に入って2年目の身だ。会社のお金が盗まれたことへの怒りというよりは、ドラマのようなことが身近で起きたという興奮の方が強かった。
融資課の自席につくと、とりあえずは日経新聞を広げる。銀行員は時事に強くなければならないため、毎朝の日課にしているのだ。
しばらくすると、橘課長が出社してきた。課長は近くにいる部下と事件について話しているようだ。
私はあんなに早く出発していた橘課長が、なぜ今到着したのかを不思議に思っていた。まさかとは思うが、何か事件と関係しているのだろうか。
そんなことを考えていたせいか、新聞の内容は全く頭に入ってこず、ただ活字を目で追っているだけになっていた。
「みんなおはよう。」
支店長が出社してきて、緊急のミーティングが開かれることになった。
「皆さんもご存じの通り、今朝この支店に強盗が入りました。只今、警察が捜査をしています。そのため、本日は窓口業務は休業とし、いらっしゃったお客様には隣町の上森支店をご案内するように。」
窓口担当の女性行員達が返事をする。
「また、マスコミから色々質問をされると思うが、各自余計なことは話さないように。」
おそらく管理体制について、世間からとやかく言われるのを避けるためだろう。
「それから、今日の午前中を使って個人面談を実施する。何か事件に関係していそうなことを見聞きしたものは申し出るように。」
すると、支店長はまず橘課長に声をかけ、奥の支店長室に姿を消した。
15分ほどして、部屋から橘課長が出てきた。私は今朝のことがあったせいか、その姿を目で追ってしまった。少し汗をかいているのが気になる。
そして、その後も次々と上司達が面談を終え、いよいよ私の番となった。
最初はたわいもない世間話に始まり、徐々に今朝の行動など、事件に関係する部分を聞かれ始めた。
私は直前まで迷っていたが、橘課長の件を報告することにした。
「実は今朝、すごい早い時間に家を出る橘課長の姿を見かけたんです。」
「橘が?」
おそらくこれまでの面談で有力な情報はなかったのだろう。支店長の声のトーンが少し上がった。
「なんだかこっそり歩いてるような雰囲気で、正直少し怪しいと思っています。」
「なるほどな、たしかに支店の鍵を持っているのは俺の他に各課長と鍵当番しかいない。」
支店長は腕を組んで少し考えると言った。
「こんなことは言いたくないが、強盗達は侵入するとき鍵を壊していないわけだから、手引きした人間がいると考えるのが普通だろう。そうなると橘が一番怪しいかもしれないな。さっきの面接で、あいつは朝早く家を出たなんて一言も言ってなかった。」
すると、支店長は思い立ったような表情になった。
「この件、今夜上層部に相談しようと思う。佐藤からその場で証言してもらうことは可能だろうか。」
私はすぐに返事をした。
「もちろんです。なんだか私には、この事件に橘課長が関わっているような気がしてならないのです。」
「なるほど、わかった。それでは定時になったら声をかける。よろしく頼むぞ。」
私は「はい」と返事をして、支店長室を後にした。
その後、事務作業を中心に仕事をこなしていると、あっという間に定時になった。
こんな日に残業をする者はおらず、支店の中はすぐに誰もいなくなった。
ふいに後方から足音が聞こえたため、私は振り返ろうとする。
その瞬間、電源コードのようなものが私の首を強く締め付けた。
とっさのことに今まで感じたことのない恐怖を覚え、苦しむだけで何もできない。
必死に犯人の顔を見ようとするが、後ろに回られてしまう。
もうダメだ。視界が白く霞んでいくと、全身の力が抜け、地面に倒れこんだ。
今この場で自分が殺されるという確信があった。
意識がなくなる直前。私を襲ってきた犯人の声が聞こえる。
「世話が焼けるな、橘のやつは」
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