第1幕:無職脱却の無職

 交通豊かな都市に在って。


 異様ともいえる広さの施設群。

 校庭や中庭の面積は中々の物で。


 かつては、迷う者が沢山いたんだ。

 


 ―――ああ、久しぶりだね。



 ここは、むかし私が通っていた母校。

 現在の家は亡くなった祖父母から譲り受けたものだから、学校からは大分遠ざかってしまったけど。


 前は歩きで通学できる距離だったね。



「また暫く厄介になるよ、柴ヶ咲」



 県内でもそこそこレベルの高い高校だ。

 結構自由な校風は変わっていないだろうけど、生徒自体の規律は悪くない筈。

 流石に、虐められて退職させられてしまう、なんてことは無いだろうけど…ちょっとだけ緊張してきたね。


 ……うん。


 ネクタイ良し。


 ボタンも、よし。

 そうそう飛んでいったりはしないだろう。


 今一度服装を見直し。

 私は、校舎へ向かって歩き出す。

 流石にこの時間に登校する生徒は居ないだろうから……。



「…んう? 殊勝な生徒くんが居るものだね」


 

 気が楽だ―――

 なんて、思っていたけど。


 中々どうして、制服を纏った子がいて。



「やあ、おはよう」

「――おは…よう……ございます」



 まだ眠いのかな。

 ぼうっとした様子で立ち尽くす男の子とすれ違い、校舎へ入る。

 生徒は居ないと思ったんだけど。


 案外、こうして早めに登校している子もいるもんだね。


 新入生か、在学生かは分からないけど。

 これからああいう生徒達くんたちと沢山知り合えると考えたら、緊張してくると共に、楽しくなっても来て。

 だんだん、足取りも軽くなり。


 ワクワクした気持ちで。

 かつて何度も通った職員室へ向かって行く。



 ……同僚さん達、仲良くなれると良いなぁ。




  ◇




「――では。よろしく頼むよ、イツキ君」

「はい」

「くれぐれも変な気は起こさないように。分かっているな?」

「……はい」



 目の前で行われるパワハラ。


 果たして、見ているだけで良いのだろうか。

 いや、良い訳は無いね。

 私のせいで彼が絞られてしまっているんだから、どうにかして救出してあげないと。

 新学期開始から、骨まで柔らかくなってはコトだ。


 恐るべし圧力鍋パワハラ


 今晩は角煮にしよう。



いわおさん? あまり圧をかけないであげてほしいな」

「…む? ――だがね、心配なんだ」



 学園の理事長である黒川 巌さん。

 地位も名誉もある圧倒的上司な彼に押しつぶされそうになっているのが、国語教師を務めている伊月いつき 宗太そうた君だ。

 彼は、まだ教員二年目らしく。


 私の先輩ではあるけど。

 ようやく、肩の力が抜けてくる頃だ。

 自信がついてきた頃に胃に穴を開けてしまうのは可哀そうだし、ここは私が留めることにしよう。



「大丈夫ですよ。きっと仲良くなれます」

「いや、そういう事では……分かった。すまないね、イツキ君。少しばかり頭に血がのぼっていたようだ」

「……いえ」



 一つ頷いた巌さん。

 彼は、私に手を振るとそのまま去って行く。


 あとに残された者たちとしては。


 どちらかが、話を切りださないとね。



「気楽にお願いしますね? イツキ先生」

「え…えぇ。よろしくお願いします」



 若干固くなっているけど、大丈夫かな。

 まだ時間があるから。

 緊張を解してあげられればいいんだけど…。

 彼の精神的な緊張を生んでいる原因である私がそれを行うというのは、ちょっと差し出がましいね。

 擦り合わせもしたいから別行動はできないし。


 もう少し、フランクに行けるかな。



「うん、敬語は止めておこうか。よろしくね? イツキ君」

「! ……はい、不束者ですが」



 おかしいな。

 どうにも会話が噛み合わない。

 


「ええ、と。違くて…そ、そろそろ教室に行きましょうか。生徒達も集まっている筈なので」

「うん、楽しみだね」

「……子供、好きなんですか?」

「とても大好きだね。笑顔が眩しくて、可愛らしくて」



 少しずつだけど。

 彼とも、打ち解けられるかな。

 


「――では、理事長とは」

「親友のお爺さんでね? ここだけの話、無理を言ってしまったんだ――ああ、おはようございます」

「どう…も……!?」



 他愛ない会話が途切れることもなく。


 廊下を歩きつつ、すれ違う人たちに挨拶をしていく。

 職員室で挨拶した職員さんも良い人ばかりだったし、これは中々上手く教師生活を始められるんじゃないかな。


 二階にある教室の前までやってきて。

 賑やかな話し声が聞こえる扉の前に立って、私たちの足は止まる。



「月見里先生」

「ルミで良いよ?」

「…では、ありがたく。ルミ先生はここで待っていてください。取り敢えず、私が挨拶に行ってまいりますので」

「うん、気を付けてね」



 まるで戦地にでも行くかのように。

 緊張した面持ちで扉を開けて入って行く彼は、とても気合が入っているね。


 イツキ先生のハキハキした声に合わせ。


 しっかりと話し声の止む室内。

 廊下にも聞こえてくる彼の声は、自己紹介などを行っているようで。

 やがて扉の窓から視線を送られ、「お願いします」という声が聞こえたので。私も、ゆっくりした足取りで教室へと入って行く。


 これで、入場は得意なんだ。



「「…………」」



 静まり返った室内。

 流石は二年目のイツキ先生だね。

 恐らく、彼が静かに聞くようにと働きかけてくれたんだろう。


 四十人ほどの生徒が着席している中。


 私は皆の顔をぐるりと見渡し―――見つけた。


 何と。皆、揃っているじゃないか。

 これが巌さんの粋な職権乱用なのか、偶然なのかは分からないけど。


 大切な幼馴染三人が。

 ビックリした目で、私を見ていた。


 ……さて。


 そろそろ挨拶しないとね。



「初めましての人が大多数かな? 私は月見里 留美。今学期は非常勤の英語教師として、クラスの補佐を任せられたんだ。分からないことが多いと思うけど、よろしくね?」

「……うっそ」

「スッゲー美人」



 おや、嬉しいことを。

 でも、真に驚かせたかった子たちは。


 完全に固まってしまったみたいだね。


 改めてクラスの少年少女に視線を向け、彼らの様子に気を配る。

 …そして。


 その中に、見た顔がいることに気付いた。



「…おや。君はアルバイトくんじゃないか」

「――覚えててくれたんですね!」



 丁度中ほどに座っていた少年。


 彼は、健康ランドの近くにあるコンビニのバイト君だ。

 最寄りのマーケットがないので最近ではちょくちょく通っていたのだけど、まさかこの学校の生徒…あまつさえ私がお世話になるクラスだったとは。


 これも、何かの縁なのかな。


 にわかに騒ぎ出す生徒たち。

 なにやら、随分盛り上がっているようで。



「遂に! 俺の時代が来たのか!? ――くくく。済まないな、諸君」

「くっそ、許せねェ!」

「馬鹿なぁ! 将太の主人公力が上昇していくだと!?」



 とても仲が良いみたいだね。 


 女子生徒たちは「また始まった」と言わんばかりにあきれ顔で。

 その内の一人が男子たちを無視して手を上げる。



「月見里先生!」

「ルミ、と呼んでくれると嬉しいな。なんでも聞いてね」

「じゃあ、ルミ先生! 先生は日本生まれなんですか? あと、好きな物と、好みのタイプ――彼氏はいるかとか!」

「「―――!!」」



 ……フム。

 畳みかけてくるね。

 キラキラした瞳で、興味津々に問いかける女の子。


 この手の視線に私は弱いんだ。



「私は日本生まれだよ。母方に西洋系の血が入っているだけでね。好きな物は…うん、果物が好きだね。果汁が弾けるようなのが。…それで、彼氏さんはいないよ。浮ついた話も無縁だ」 



 教師の話に。

 真剣に聞き入る生徒たち。


 とても熱心で、良い子たちばかりのようで。


 …あまり時間を取るのも良くない。


 今日は初日だし、時間を取るのは後でも良いかな。

 幾つかの質問が終わって、まだ上がる手は数多あまただけど、私は彼らに後で時間をとる旨を伝えてそれを収める。



「取り敢えずは、この辺で。イツキ先生」

「はい、ありがとうございます。では、次は生徒の自己紹介に――」



 スケジュール通りに。

 進んでいく日程。

 順調とは、実に気持ちの良いもので。


 やがて、突入したのは自由時間。


 イツキ先生が開始を告げた瞬間に―――



「ルミねぇ!! おりゃー!」

「……とと。コラ、ナナミ。あまり勢い良く飛び込んできたら危ないよ?」

「「!」」



 元気いっぱいの少女がやってきて。


 やはり、抱き着き癖は直ってないとみる。

 むしろ…数年前よりも悪化している気さえするね。


 私は別に構わないけど…世の中には教師の威厳というものがあるらしいし、クラスメイト達にもやるようなら、多少の矯正は必要かもね。

 抱き着いたまま、全く離れない少女。


 彼女に対し。

 先程自己紹介をしてくれた女の子の一人が進み出る。



「……ナナミちゃん、先生と知り合いなの?」

「そだよ。幼稚園の頃から遊んでもらってたの」

「…え? ってことは――」

 


 その言葉を聞いて。

 皆の視線がナナミとサヤ、そしてユウトを行き来する。


 ……ああ、そっか。

 皆は、三人が幼馴染だって知っているんだね。

 いつの間にかユウトを囲んでいた男子生徒くんたちが、一斉に肩を組む奇妙な様相。あれから逃げるのは至難だろうね。

 人の拘束は、時として丈夫な縄よりも厄介だ。



「――なあ? ユウト君。俺たちに隠していること…無いか?」

「…さあ、知らないな」

「てめっ! 恵那さんと七海ちゃんだけじゃなくて! こんな金髪美人なお姉さんも幼馴染なんて!」

「ライン越えたね?」

「お前は触れちゃいけねえボタンに触れたんだぁぁあ!」



 仲良きことは素晴らしきかな。


 ちょっとだけ心配だったけど。

 ユウトは、ちゃんと友情と青春を遂行できているようだ。



「やめろって…おい、襟引っ張んな」

「紹介しやがれ!」

「金髪巨乳お姉さんプリーズ!」


「「この! ハーレム野郎がぁぁあ!!」」



 ドタドタと。


 バタバタと。


 みんな、元気で良いね。

 男子君たちが仲良さげに取っ組み合っているさまは、ハラハラするけどとても微笑ましく。それを喧しそうに横目で見ている女の子たちも、楽しそうに会話をしていて。


 止められなくなったら流石に困ってしまうので。

 頼れる先輩に視線を送るが…彼は首を横に振る。


 ……どうやら。

 イツキ先生でも、収拾は付けられそうにないらしく。



 うん。



 これは、あれだね。




 賑やかで、楽しい一年間になりそうだ。

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