彼女は想像する


 シルヴィ・バレトが、駆け足で連盟本部の廊下を走っていた。

 とおりすがりの連盟職員にぶつかると、振り向いてひと言「失礼!」とだけ謝った。病み上がりの身体は重く、思ったように動かないのが煩わしかった。


 先ほど、シルヴィの自室を訊ねてきたボッチが、普段のように自作の飲食物を持参したかと思えば、終始なにやら意味深に笑っており、奇妙な様子だった。

 まさか彼が起きたのか、とシルヴィが察して質問しても、ボッチははぐらかすばかりで、とうとうシルヴィは痺れを切らして部屋を飛び出した。

 拘置室の位置は知っていた。

 シルヴィは、拘置犯罪者の管理を行う連盟職員の制止も聞かずに、チューミーの捕まっている部屋を確認した。

 すると、なかはもぬけの殻であり、だれの姿も窺えなかった。

 紙の燃えカスが残す、ガスのにおいが残るばかりである。

 すぐさま、シルヴィは来た道を戻ると、受付の連盟職員に詰め寄った。


「どうされました? 粛清官殿」

「答えなさい。あの人は、どこへ行ったの?」

「だ、だれのことです……?」

「いちばん奥の拘置室にいた、黒犬のマスクを被った人よ! ずっとここにいたのなら、出て行くのを見たでしょう?」

「そ、そんな人物の存在は、どこにも記録されていません。はじめから」


 連盟職員は、どうやらボッチにそういう風に口止めされているらしく、歯切れ悪く答えた。

 ぎろり、とシルヴィが鋭く睨む。

 その剣幕に、連盟職員はおそれをなしながら、ぽつりと答えた。


「に、二十分ほど前に、そんな感じの人物が出て行ったかもしれません。……かも、ですが」


 礼すら残さずに、シルヴィはふたたび駆けだした。

 仮の粛清官の手帳はボッチが回収していたから、第七執務室に向かっていることはない。すれ違っていない以上、シルヴィの部屋にも向かっていない。

 そうなると、残されているのは連盟本部の玄関から出て行った可能性だけである。

 シルヴィは一階にあがると、急いでマスクをかぶり、両開きの扉を開いた。

 一番街の中央から周辺を見渡す。黒い服を着ているから闇にまぎれているかもしれないと思い、よく目を凝らしたが、やはりだれの姿も見えなかった。


「どうして……チューミー……」


 そうつぶやいて、シルヴィは脱力した。

 犬型のマスクの下で、複雑な表情を浮かべていた。

 話したいことがたくさんあった。

 スマイリーに復讐を果たして、いったい彼の心境はどうなったのか。

 すべてはうまくいったのか。

 Xデーの最後、シルヴィが人質に取られたとき。凍えるような復讐鬼の雰囲気で現れた彼に、自分を気にせずにスマイリーを斬ってほしかった反面、そうはしなかったことに、とても嬉しく思ったことを、彼に話したかった。

 冷たい風が吹いて、シルヴィは肘を抱えた。

 今度は、沸々と怒りが湧いてくる。

 いろいろと思うことがあるのが自分のほうだけだったことに、シルヴィは苛立つ。どこかへ去っていくにせよ、ひと言残していくのがマナーというものである。

 思い返せば、無神経な人だった。マイペースで、失礼なことも度々言われて、このごろのシルヴィはよく眉をひそめていた。

 そして、ひとしきり怒った後――

 シルヴィは、偉大都市の夜景を見上げた。遠く向こうに見える数々の建物に、莫大な数の人間が住んでいる。

『塵禍』以降、人類史上最悪の暗黒期を迎えたあとに、初めて巨大に発展した偉大な都市というのが、その名付けの由来だった。

 シルヴィが偉大都市の歴史や、旧文明の文化が好きなのは、目に見えない世界を想像できるからだった。砂塵粒子が存在せず、人々が素顔で外出していた時代は、シルヴィの好奇心を存分に刺激する。

 幼いころ、シルヴィは盟主である父親に連盟本部の蔵書エリアに連れて行ってもらい、けっして一般人は読まないような、古い文化にまつわる本を大量に読みこんだ。そして、学んだことをつぎからつぎへと父親に教えては、得意げになっていた。

 柔らかい感触のする記憶を想起して、シルヴィはかすかな笑みを浮かべた。

 よくよく考えれば、彼がその足で出て行ったということは、少なくとも深刻な状態ではないということである。

 行き場所がないのなら、どこにも出て行く必要はないからだった。

 それは復讐者を名乗った彼が、復讐を遂げたあと、それでもなにかを望む心があるということの証明でもあった。

 シルヴィは想像する。

 これまで凄惨な人生を送ってきた彼が、この先どうやって生きるつもりなのか。

 なにに楽しみを感じて、なにを目的にして日々を過ごしていくのか。

 マスクの下は、たしかに妹の顔をしているかもしれないが、それでも彼はどのような表情を浮かべて、どのように笑うのか。

 想像は止まらなくて、いつの間にか、シルヴィは連盟本部前の階段に腰かけていた。


 偉大都市の夜景を眺めながら、長い間、彼女は想像をやめなかった。

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