(6)
「
編入生の彼女は、人の目を惹く愛らしい容姿をしていた。キレイ系よりもカワイイ系。思わず守ってあげたくなる、華奢で可憐な手足。庇護欲をくすぐるおっとりとしたしゃべり方。
そんな彼女はオメガなんだろうとわたしは思った。なんとなくの直感だったが、それは当たっていたとのちのち知ることになる。
「あっ、天くん……久しぶり。覚えてる? 同じクラスだった……」
わたしの後方の席でそんな会話がなされる。わたしはそれに耳をそばだてて、ようやく飯島桜良が小学校時代のクラスメイトだったことを思い出せた。
たしか途中で親の転勤だとかで転校して行ったのだ。それがまた戻ってきて、たまたまわたしたちと同じ高校に編入した。どうやらそういうことらしいと天との会話を盗み聞きしてわたしは知る。
「ああ、うん……。覚えてるよ」
どこか歯切れの悪い天の返事を聞いて、わたしは落ち着かない気分になる。
飯島桜良は天が遭遇したあの事件を知らないはずだ。事件が起きる前に転校していたのだから。それでも飯島桜良の存在は、天にとっては暗黒に変わった小学校時代を想起させるのかもしれなかった。
「急だったから、教科書がまだ揃えられてなくて……」
一方の飯島桜良は明らかに天に気があるようだった。しかしそれはわたしの被害妄想かもしれない。
天の席はわたしよりもうしろにあったから、そこに並ぶふたりの顔がどんなものかなんて、わたしには声音から想像するしかなかった。
背中で聞く、飯島桜良の猫なで声が妙に気に障る。いいや、考えすぎだと己に言い聞かせようとするも、一度灯った嫉妬の炎は簡単には消えはしない。
そう嫉妬だ。わたしは明らかに飯島桜良に嫉妬していた。
飯島桜良の声を聞いているうちに色々と思い出したことがある。
小学校時代にわたしが天に近づけなかったのは、飯島桜良がいたからだ。男女の差が生まれ始め、男子は男子、女子は女子で友人付き合いを深めるような雰囲気の中で、天と飯島桜良はいつだって親しげだった。
だから飯島桜良が転校によっていなくなっても、わたしは天には近づけなかったのだ。なんとなく、天と飯島桜良の間には、表現しづらい絆のようなものを感じていたから。
しかしわたしはすっかりそれらを忘れていた。よほど天を襲ったあの事件の衝撃が大きかったらしい。わたしの中では事件以前と以後で記憶力に差があるようだった。
わたしがそんな悶々とした思いを抱いていることなど天は――当たり前だが――露知らないようで、飯島桜良とこそこそとやり取りをしている。
――わたしの「つがい」なのに。
そう思ったのは「つがい」を取られまいとするアルファの本能なのか、それともわたし個人の理性がそんな思いを抱かせているのか、わたしにはさっぱりわからなかった。
それくらい、わたしの心の中はぐちゃぐちゃだった。
小学校時代に親しかったというアドバンテージを持っている飯島桜良は、余裕綽々なのだとなぜかわたしは思い込んでいた。
アルファであるからなのかは知らないが、妙に背が高くなってしまったわたしに比べて、飯島桜良はオメガらしい低身長で可愛らしい。
華奢な印象を与えつつも、出るところは出ている体型に、くりくりのどんぐりまなこ。たぶん、一〇人中九人は飯島桜良のことを「カワイイ」と言うだろう。
残る一人はわたしだ。嫉妬ゆえに、「カワイイ」という事実を認められない。
天と接点を持とうと健気に頑張る飯島桜良の姿も、わたしからすれば媚を売っているようにしか見えない。
恋に邁進する姿を見ても、今まで一度たりとも思ったこともない罵倒の言葉が浮かんで、自分で自分に驚く。
けれどもそれらはわたしに無限の自己嫌悪をも、もたらす。
媚を売っていることをよく思えないのは、わたしが媚を売れないから。
恋に頑張る姿を見て、素直に応援できないのは、わたしが恋をあきらめているから。
わかっている。
わかっている。
そう何度も己に言い聞かせるも、胸中で噴き上がった黒い感情は、なかなか消しがたくて。
だから、飯島桜良の言葉は意外だった。そんな風に飯島桜良をライバル視して嫉妬しているのは、わたしだけだと思っていたから。
「アルファとアルファはよく結婚しますけど、本当にアルファにふさわしいのはオメガなんですよ?」
愛らしい顔を嫉妬と嘲笑に歪めて、どこか勝ち誇った様子で飯島桜良はそう言った。
夕日が差し込む放課後の渡り廊下で彼女に声をかけられて、なにごとかと思えば「お前は天にふさわしくない」というようなことをまくし立てられた。
そこでわたしは飯島桜良がとんだ勘違いをしていることに気づいたのだ。
どうも、飯島桜良は小学校時代の印象を引きずったまま天をアルファと思い込んだらしい。あるいは、校内の噂を鵜呑みにしたか。どちらでもいいが、彼女が天をアルファだと勘違いしていることは、たしかだ。
そして飯島桜良の物言いからして、わたしは予想したとおり彼女はオメガらしい。
「高木さんは天の恩人だと聞きました。それで、天を縛っているつもりかもしれないですけど、天はわたしが貰いますから」
飯島桜良の妙な勘違いに、思い上がりも甚だしい物言い。それがなんだかおかしくて、変な笑いが込み上げてくる。
天の恩人というだけで、彼の心を縛れるだなんて、考えたこともなかった。縛りたくても縛れない。それが今のわたしの状況なのに、飯島桜良はとんだ誤認をしている。
「?! なに笑ってるんですか?!」
「いや……すごい大口を叩くなあって思っただけ」
かつて数年ぶりに会った天を前にしたときのように、わたしの頭はスーッと冷えて、「ゾーンに入った」ようになる。このときばかりは恐怖心や臆病な心が麻痺するらしく、劣等感を刺激される飯島桜良を前にしても、ぽんぽんと言葉が飛び出して行く。
「天の恩人で、天を縛っていて? 別にそんなんじゃないとは言っておくけど、仮にそうだとしてもなにか悪い? 弱みに付け込むのも戦略のうちだよ。恋を成就させるのに手段なんてものは、選んでいられないからね」
「そ――それがあなたの本性なんですね?! ひどい!」
「そうだね。天にでも告げ口する? 言いたいなら言ってもいいよ。わたしはなにも困らないからね」
それはあからさまな虚勢だったのだが、飯島桜良は思わぬ反撃に虚を突かれた形になっていたせいなのか、冷静にそれを判断することができなかったらしい。
「天に言いますから!」……そんな捨てゼリフを吐いて走り去る飯島桜良の背中に、「廊下は走っちゃダメだよ」となおさらその憤怒を煽るような言葉をぶつける。
繰り返しになるが、いつもだったらこんなことは言えない。ただ、天が絡むとなると、どうもわたしは変なスイッチが入ってしまうようだった。
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