(4)
「――感じ、悪かっただろ? あー……感じ悪かったっていうか、性格が悪かったっていうか」
そうしてとつとつと天は話し出す。
なんでもできる自分はアルファなんだと疑っていなかったこと。
ベータとは違うんだと思い込んでいたこと。
わたしの事情も知らないで、傲慢にもイジメに反撃できない弱虫だと思っていたこと。
そういう天の考えをわたしが肌で感じているのをわかっていて、なにも言わなかったこと……。
「色々、あって……色々と思い直してみて、ひでえなあって思ったんだよ。謝られても困るだろうけどさ、謝らないとって思って……高木はおれの――恩人だし」
たしかにわたしは困った。小学校時代の天の、わたしに対する態度は当然だと受け止めていたからだ。
わたしが振り返っても、小学校時代のわたしは不甲斐ないのだ。それを客観的に見られる他人からすれば、輪をかけていくじなしだと思われても仕方がない。わたしはそう思っていたからこそ、困惑した。
そして天の「恩人」という言葉にも、戸惑った。
「謝ることなんてないと思うよ……だってわたしがいくじなしだったのは事実なんだし」
「いや、そんなことはない。向かって行くばかりが対処法ってわけじゃないし」
「あと! それと『恩人』っていうのも……わたし、そんなたいそうな人間じゃないよ」
わたしがそう言い切ると、天は一瞬、難しそうな顔をしたが、すぐに視線をそらして、気まずげな横顔を見せる。
「謙遜も過ぎると感じ悪いぞ。おれが言うのもなんだけど」
「謙遜のつもりはないんだけど……。『恩人』って言ったって、助けるつもりでいろいろとやりあったわけじゃないし……。あのときはわたしも無我夢中でなにがなんやら、だったし」
「でも高木はおれの恩人だよ。その……未遂に終わったから。高木がきて、止めてくれなかったらヤバかった」
そうか、未遂に終わったのかと数年越しの正答を得られて、わたしはホッと胸を撫で下ろした。
「学校は……こないの? ……行けない?」
安堵感から滑り落ちたのは、恐らく天が触れて欲しくないであろう話題だった。
その予測は的中して、天は気まずげに黙りこんでしまう。あわてたのはわたしのほうで、べらべらと多弁になる。
「いや、あの、わたしと加持くんって今クラス同じなんだけどさ! ずっときてないから心配で……。なんか保健室登校とかもしてないっぽいって耳に挟んで。あ、いや、その話をしていた人は別に加持くんのことを悪く言っていたわけじゃなくて――」
言葉を重ねれば重ねるほど、空回りして行くのがよくわかった。
わたしも気まずくなって、中身の少なくなった紙カップを両手で握り込む。結露が熱のこもった手指を濡らした。
「……怖い?」
「……当たり前だろ」
おもむろに口を開いた天はぶっきらぼうに――どこか投げやりに、そう言う。
そして自嘲をたたえた声音で続けた。
「おれ、まだ発情期の周期が安定してないんだよね。それでフェロモンでアルファを誘引しちまう。おれのフェロモンは強いから、ベータも嗅ぎ分けられなくてもその気になるって医者に言われた。……正直、
その無体なセリフをだれが投げかけたのか天は言わなかった。でも、もしかしたら天が信頼していた、親しい人間に言われたのかもしれないとわたしは思った。
だから、だれかと関係を築くのが怖くなって、学校にも行けなくなってしまったのかもしれないと、わたしは邪推した。
もとより社交的ではないわたしには、天を励ます言葉など思い浮かぶはずもなかった。
できることはと言えば、建設的な提案を述べることくらいだろうか。
わたしから見た天は、同意や同情を欲しているようには見えなかった。このどうしようもない現状をどうにかしてくれる天啓を待っているように見えた。
それは白馬の王子様を待つ少女のような夢見がちなものではなく、切迫した必死さをたたえた横顔だった。
「あのさ」
気がつけばわたしは天とのあいだに降りた沈黙を破っていた。
「わたしとつがいになろう」
わたしは、自分がとんでもないことを言っている自覚はあった。
あったけれども、その突飛な提案を口にした途端、それはとてもいい思いつきのような気がしてきたのだ。
けれどももちろん、そんな突飛な提案を急にぶつけられた天は、たまったもんじゃなかっただろう。
なぜならば、「つがい」というものは気軽になれるものではない。性行為の最中にアルファがオメガのうなじを噛む、そういう儀式めいた行動を経て形成される契約なのだ。
それをわたしは、大して親しくもなかった天に持ちかけた。天からすれば、青天の霹靂という言葉がふさわしいだろう。
けれどもわたしはいつもの物怖じしたところはどこへやら、いつぞやの「ゾーンに入った」ような気分になって、テーブルから身を乗り出さんばかりの勢いで続ける。
「うん、いい案だよ。わたしと『つがい』になれば加持くんのフェロモンはわたししか誘引しなくなる。そうなれば、いつ発情期に入っても安心だよね。わたし『つがい』はいないし、好きな人とかもいないし、でも加持くんのことは嫌いじゃないから、都合がいいよね」
「――ま、待て」
天は目を丸くしたまま、わたしの前で右の手のひらを広げ、ストップをかける。
わたしはそんな天のジェスチャーを受けて口を閉ざした。
わたしには勝算がなかったわけではない。
中学に入り、どうもわたしは客観的に見て美人の部類に入るらしいことを知った。アルファは軒並み眉目秀麗だと言うから、わたしもその例に漏れない美貌を持っているらしいとわかったのだ。
何度か――ベータからもオメガらしい子からも――告白もされたし、他人が噂しているのを偶然耳にしたこともあった。
それで小学校時代のイジメもなんとなく納得したのだ。社交性はないが、勉学容姿共に優れている人間に対するやっかみが、あのイジメにいくらか加担していたのだろうと、遅まきながらに腑に落ちた次第である。
だから、天を不快にさせるような容姿ではないぶん、わたしの提案にはいくらか勝算があるとにらんだのだった。
「待てっていうならいつまでも待つけど……勢いで決めちゃってもいいんじゃない?」
「よくないだろ」
「一方的に契約を破棄したりなんてしないって誓うよ?」
「よくないだろ」
「そうだね、よくないよね。――このままじゃ。加持くんもそう思ってるんじゃないの?」
天の瞳に逡巡が走った。
「そりゃ、よくねえって思ってるよ。このまま学校行かないでどうするんだって思ってる。ただでさえオメガの就職は条件が厳しいんだから、勉強とか頑張らねえとダメだって、わかってる……。このままだと親にも迷惑かけっぱなしだって……」
「じゃあ、わたしとつがいになろうよ」
「それは――」
わたしは、あと一押しだと思った。だから、多少強引な手に打って出ても大丈夫だと思った。
「今、ここで決めて。わたしとつがいになるか、ならないか。……あとから『つがいにして欲しい』って言われても、わたし、聞かないから」
その言葉は天にとって悪魔の響きがあったのだろうか。
わたしにはもちろんわからない。
けれども天はそれで折れたように「うん」と一度、頷いたのだった。
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