愛をささやく
志央生
愛をささやく
「好きだよ」
僕はそう言って受話器を下ろす。公衆電話ボックスから出て、夜の空気を肺いっぱいに吸い込む。 見上げた空の月は明るく、満月に近い。いつもの彼女との電話を終えて気分上々。今なら何でもできる気さえしてくる。
鞄から地図を取り出し、現在地にバツをつける。今後はこの公衆電話を使えない。これは彼女に電話をかけるときの決まりなのだ。
彼女との電話はスマホではなく、公衆電話。それも一回使った公衆電話は使えない。そんな縛りのある形で、僕は毎晩彼女に電話をかけている。「明日はこのあたりの公衆電話からかけよう」
地図に目を落とし、明日の目星をつけておく。彼女との電話が僕の鬱屈とした毎日における唯一の楽しみになっている。
それもこれも、あの日に彼女とで会ったことがきっかけだった。携帯ショップで日々働き、無為な時間を消費するしかなかった僕の前に彼女はやってきた。
運命、と言うほかない僕らの出会いは、僕がこの仕事を続けた結果に掴んだものと言えた。彼女の声も仕草も僕を魅了し、姿を目に焼き尽くした。 たった一時間程度のやりとりの間に僕は彼女に骨抜きにされてしまった。後に残されたのは、もっと彼女と話をしたい、という思いだけだった。幸いにも僕は彼女の電話番号を簡単に手に入れられた。
彼女の情報は手元にあったのだ。携帯電話の契約に際し、それらは相手から提供される。僕はすぐさま彼女の電話番号を見つけた。ただ、そのまま携帯電話や固定電話でかけてしまっては面が割れてしまう。
だから、僕は公衆電話から彼女と会話することに決めた。長い通話は危険だと思い、短く会話する。僕の愛が伝わる言葉がいい、一言で伝えられる言葉が。
「君に会いたい」
最初の電話ではそう伝えた。すると彼女は何も言わずに通話を切ってしまった。きっと恥ずかしかったのだろう。だって、翌日には彼女は僕のいる携帯ショップにやって来たのだから。
彼女は電話番号の変更をしたい、と言ってきたので快く対応した。電話番号が変わっても僕には不都合などない。新しい電話番号を手に、僕はまた電話をかけた。その日に見た彼女の手を僕は褒めた。通話はすぐ切れるけれど、僕は毎日かけ続けた。
いつからか彼女は通話には出なくなった。代わりに留守番電話に僕は言葉を送り続けた。いつか、彼女に届くように。明日も僕は愛をささやき続ける。
愛をささやく 志央生 @n-shion
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