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 サエコはマシロに対して疑念を抱いていた。


 上京してから約二年、怠惰で剣呑な生活を送っていた級友が、ここ最近になって妙に活発的になった。通勤通学で人々に混じって午前中から何処かに出かけ、夕方には大量の荷物を抱えて帰ってくる。


 そして必ずKUDOUベーカリーに立ち寄るのだが、購入するパンの量が大量なのである。これまではパンを一つと、おまけのパンの耳を大量に持って帰るだけだったのに、一度に十個から二十個ほど購入している。パンをまとめて購入して冷凍保存するといった事も考えられるが、それがほぼ毎日となれば話しは別である。明らかにマシロ一人が消費し切れる量ではない。


 さらに、パンの購入費用はどこからくるのかという疑問がある。


 ついこの間まで親の仕送りに頼り切り、パチンコで大負けして喘いでいたマシロがどこからそのお金を捻出しているのか判然としない。


 急に活動的になり、さらに羽振りも良くなった。これらを勘案し、マシロは何か非合法な仕事に手を染めているのではないかと、サエコは勘繰っていた。


 思い切って本人に直接聞いてみようとも思ったのだが、サエコとマシロはあくまで店員と客の関係である、相手のプライバシーに深入りするのは好ましくない。


 それに、この疑問をマシロにぶつけることにより、マシロが「サエコが自分の事を気にかけてくれている」と思われるのが嫌なのである。


 こうして、サエコは晴れぬ疑問を抱えて悶々とし、それを知らずに呑気にやってくるマシロを無意識に睨みつけていた。


 マシロはマシロで、KUDOUベーカリーに入店するたびに、店の奥から顔を覗かせ、コチラをジッと睨みつけてくるサエコに戦々恐々としていた。


 何故そんなに睨みつけてくるのか、その理由を問いたい気持ちもあったが、藪蛇を突くだけのような気がして憚られる。


 こうして二人が腹の探り合いをして一か月が経った。そして本日もマシロはKUDOUベーカリーに立ち寄ったのだが、入店した直後から眉間にくっきりと縦皺を作ったサエコが切れ長の目を細めてコチラを睨みつけている。とても怖い。


 マシロはそんなサエコに対し体の正面を向け、しかし視線は合わせないように店内を回る。背中を見せれば、隙を見せれば問答無用で斬りかかる。サエコの両の瞳には、殺気にも似た断固たる意思が感じ取れた。マシロにはそのように見えている。


 レジカウンターを挟んで彼我の間合いを測る二人を、KUDOUベーカリーの面々は「なにやってんだアイツら」という目で見ていた。


 と、二人の様子を見ていた工藤店長が、業を煮やしてマシロに声をかけた。


「マシロちゃん、最近朝から元気に出かけているみたいだけど、なんかアルバイトでも始めたのかい?」


「え」


 問われて、マシロは体を硬直させた。


「えー、あー、そうですねー」


 言いながら、マシロの目線が右上に流れていく。


「あのー、叔父さんのー、母方の親戚の友達の方のー、お仕事をー、手伝っておりまして。仕事の内容はー、あー、コンペ? コントラ? コンプラ? にー、抵触するのでー、言えないんですけどー。食事代もー、出ますしー、皆さん優しいですし―、あのー、笑顔の絶えないアットホームな職場です」


 百人が聞けば百十人が「こいつ、何か隠しているな」と訝しむような、そんな声色でマシロは語った。電子辞書から流れる合成音声の様な棒読みに、サエコと工藤店長は頭を抱えた。


「ははは、そうなんだ……。いつもパンをたくさん買ってくれているけど、それはご親戚の方に職場の方に配ったりしてるのかな?」


「え、あ、そうそう! そうなんです! 同僚に、その、ここのパンを薦めたら、とても喜んでくれていて、買ってきて欲しいって頼まれているんです」


 ちなみにこれは本当である。


 怪人達の仲間入りをした際に、手土産で持参したパンの耳を化け狸兄弟がいたく気に入り、他の種類のパンも食べてみたいと請われていたのだ。


 さらに、化け狸は三兄弟そろって大食漢であった。ポン四郎曰く、変化の術を使う度に大量のエネルギーを使うらしく、それを食物を摂取することで工面しているとのことだ。その量たるや、人間の成人男性に匹敵する。必然、マシロが一度に購入するパンの数も多くなる。


「みんな美味しそうに食べてくれるので、私も嬉しくなって、ついいっぱい買っちゃって」


 えへえへと嬉しそうに語るマシロに釣られ、工藤店長も笑顔になる。


「そうかそうか、それはありがたい話だね。これからも、KUDOUベーカリーを御贔屓に」


 ワハハと笑う店長の隣で、サエコは相変わらず難しい顔をしていた。


 マシロが何かの仕事の手伝いをし、同僚とうまくやっているらしいとう事は分かった。しかし先ほどの態度と、仕事の内容に触れないようにしている様子がどうにも怪しい。そして何より、目の前の級友がまともな職に就けるとは到底思えない。大変失礼である。



「店長、警察に通報した方がいいんじゃないですか? アイツ絶対堅気じゃない仕事してますよ」


 マシロに聞こえないように、サエコは工藤店長に耳打ちをした。


「いやぁ、マシロちゃんに限ってそれは無いと思うよ?」


「何言ってんですか、マシロですよ? ねずみ講か何かに引っかかって、詐欺集団の使い走りさせられてるんですよ」


「うーん、そうかぁ、そうかもなぁ。マシロちゃんだしな……」


 本人を目の前にして散々な言い様であるが、まさか自分の事を言われているとはつゆ知らず、マシロはポケーッと店の柱時計を見つめていた。


「とにかく、今は様子見をしよう。私達でよく目をかけて、マシロちゃんに異変が無いかみていてあげよう。もし私たちの誤解だったら、彼女に迷惑をかけるしね」


「はあ……。店長がそう言うなら」


 サエコは渋々了承した。それからパンを慣れた手つきで袋詰めし、紙袋に納めてマシロに差し出した。紙袋を受け取ったマシロだったが、サエコが手を離さない。怪訝な表情をしているマシロに、


「また、来いよ」


 と、サエコはいつもの仏頂面で言った。その言葉に、マシロは驚いた。


「慣れない仕事で大変だろうから、帰りに顔を見せて欲しいってことだよ」


「店長、ちがっ……!」


 慌てて訂正しようとするサエコだったが、それに反してマシロの口角はグングン上がっていく。


「え、なに、サエコ心配してくれてるの? いつも私の事見てるのって、そういう事だったの? えへ、えへへへへへ」


 ニヤニヤとしただらけた顔で言うマシロを、サエコはキッとにらみつけた。


「お前の心配など微塵もしていないぞ、断じてな」


 眉間の縦皺を濃くするサエコに、マシロはニヤニヤしながら後ずさり、店を出た。


「ああ、もう! だから言いたくなかったのに!」


 サエコの怒号が店内に響いた。

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