1-12

 朝のラッシュアワーを少し過ぎた頃、客の波が引いたKUDOUベーカリーには静穏な時間が流れていた。


 サエコはスツールに腰掛け、店長が淹れたコーヒーを飲みながら休憩をしていた。この時間の来客はほとんど無く、サエコ以外のスタッフは奥の調理場でランチの分のパンを焼いている。通りを行き交う人々を見るともなしに見ていると、サエコはそこに見知った顔を見つけた。


 次の瞬間、サエコの表情は驚愕の色に染まり、危うく手に持ったコーヒーカップを落しそうになった。


 彼女が見た物それは、晴天の下満面の笑みでスキップをしているマシロの姿であった。


 サエコは我が目を疑い、目頭をぐっと押してから再び窓の向こうを見やった。そこにはマシロの姿はすでに無かった。


 白昼夢でも見たのだろうか、サエコは頭を振った。そんな彼女の姿を見やり、店長が奥から声をかけた。


「どうしたのサエコちゃん、キツネにつままれた様な顔して」


「店長、私どうやら疲れているみたいです」


 そう言って、サエコは店の奥に引っ込み、休憩室で横になった。店長を始めとしたスタッフは状況が呑み込めず、互いに顔を見合わせて首をひねった。


   ◇


 マシロは絵に描いたように高揚し、スキップで街を闊歩していた。


 慣れない事をするものだから、自分で自分の足を蹴とばしてずっこけそうになるが、本人は意に介さない。行き交う人々に白い目で見られるが、今日のマシロは晴れ晴れとした表情だ。


 朝日を浴び、具体的な目標を持って外出することがこんなに喜ばしいとは、この数年間覚えがない。読者諸兄においては「何をそんな当たり前のこと」と思われるかも知れないが、目標ややりがいの見いだせない人間とは往々にしてこういうモノである。


 マシロはキャリーケースをゴロゴロと転がして、アーケード街へ向かった。ザリガニ男に言い渡された最初のミッションは、中古の携帯電話をいくつか買ってくるというものだった。


 ネットで購入すればいいのではと疑問を呈したマシロだったが、


「ネットや大手のリサイクショップは、公安に目を付けられている可能性がある。個人がやっているような、小さい店で買ってくるんだ」


 そう返され、なるほどそういうものかと得心した。かくして、マシロは上京した際に使って以来日の目を見なかったキャリーケースを転がして、街に繰り出したのだ。


 マシロはアーケード街の手近なリサイクルショップに入った。ごたついた迷路のような陳列棚の間を、キャリーバッグを押してそろそろと歩く。そして、レジ横に佇立したガラスケースの前に立ち、中に収められた携帯電話をしげしげと眺めた。


「種類が多い……。どれが良いんだろう」


 ケースに騒然と並んだ中古携帯電話の数々に、マシロは目を白黒させた。携帯電話ってこんなに種類があったのかと、嘆息を漏らした。


「どうせ分解して使うので、携帯の種類は何でもいいですよ」


 と、マシロの腕時計からポン四郎の声がした。


 怪人達の仲間入りを果たしたマシロであったが、念のため、互いの信頼のためにもポン四郎は引き続き彼女の監視に就くことになった。こうして、マシロが外出する際には、ポン四郎は腕時計に化けて同行することとなった。


「用があるのはその携帯電話の中身、基盤とリチウム電池だけです。ですので、とりあえず安い物を買って構いません」


 言われるがままに、マシロは目に付く中で最も安い物、塗装が所々剥げた年季の入ったガラケーに目を付けた。レジ前に立っていた店員に声をかけ、ショーケースの中を指さした。


 店員から「こんな若い子がなんでこんな携帯を欲しがるんだ」と怪訝な目で見られたが、相手も商売である、決して追及してくるような事はしてこない。


 マシロは目的の物を手に入れると、足早に店を出た。怪人達から購入する携帯電話は一店舗につき一台までと言い含められていたため――大量購入をすると店員に怪しまれ、その用途を聞かれる可能性があるため――数を用意するためには、いくつもの店舗を渡り歩かなければならない。時間が惜しいのである。


 それからマシロは足を使い、電車を乗り継ぎ、何件ものリサイクルショップを巡った。流石は東京都内である、駅周辺でもかなりの数の店舗がひしめき合っており、マシロが持参したキャリーバッグはすぐに満杯になった。


 すっかり重くなったバッグを引くのは、万年運動不足のマシロの身には堪えた。


 ヘロヘロになったマシロは駅のベンチに座り、駅ナカのコーヒーショップで買った砂糖タップリのカフェラテでのどを潤した。


 長距離を歩いてパンパンになった足の筋肉に、糖分が行き渡る。なお、料金はザリガニ男から携帯電話の購入費用として渡された現金から出した。


「それにしても、ザリガニ男さんから結構な金額を預かったんですけど、このお金どうやって稼いだんですかね?」


 カフェラテをちびちびとやりながら、マシロは左手に巻いた腕時計に話しかけた。腕時計の文字盤にポン四郎の顔が浮かび上がり、マシロをじろりと睨んだ。


「私達の事を詮索しない約束ですよ? それに、お金の事は聞かない方がいい。あまり気持ちの良い話は聞けないと思いますよ」


 それを聞いてマシロはブルッと、背中を震わせた。つい忘れそうになるが、彼らは怪人なのである。現金は恐らく非合法な手段で入手したものであろう。彼等の言う通り深く詮索するのは得策ではない。


「それにしても、マシロさんは辛くないんですか?」


「え、どうしてですか?」

「だって、内容も知らない計画の片棒を担がされて、こんな雑用をさせられているんですよ? 辛いとか、自分は何をやってるんだろうとか思わないんですか?」


「うーん、そういう感覚は無いですね……」


 マシロは遠くを見つめ、自分の心情を確認しているような表情を作った。


「雑用とか、お使いというか……。こうやって誰かに頼られるって事無かったんで、私は凄く嬉しいですよ」


 一体全体どういう思考回路をしていたら、今のこの状況を「嬉しい」と感じることができるのか。ポン四郎は満面の笑みを浮かべるマシロに、どこか薄ら寒いものを感じた。


 昨晩、黒い怪人は彼女の事を「肝が据わっているのか、頭のネジが飛んでるのか分からん奴」と称した。ポン四郎はその論に概ね同意である。


 このマシロという人間の思考回路はどこかズレている。それは自分たちタヌキとも、怪人とも、おそらくその辺の人間とも違うのである。今日まで、彼女がどういう人生を送り、どういう感情を育てていたらこのような思考になるのか、ポン四郎は興味を持った。


 しかし、詮索をする事はお互いのためにならないと、ポン四郎は自身を諫めた。

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