第五章

第39話 .Lily

 いつ雨が降り注いでもおかしくない空が、会議室の窓から望めた。この天気のせいか、会議室にいる面々の表情は浮かなかった。その中でもとりわけ陰鬱なのは、リリーだ。


 臨時会議が開かれる。月数回の定例会議とは別に、即急の対応が必要になった際に開かれる重大な会議である。今日これがこうして開催されているのは、ほかでもない猫惨殺事件の解決を模索するためである。城下町に猫の死体が置かれていた時点で開催は決まっていたが、先日王室でもそれが発見されたということも重なり、全員が肌を削ぐような表情でいた。そのことが、一層リリーの胃を締め付ける。


 アリスのことをちらと見る。彼女は何度も出席して慣れているからか、佇まいが落ち着いていた。椅子の背にもたれて、会議の開始を静かに待っているようだ。アリスから目を離し、気づかれないように面々を伺う。


 いくつもの長机が四角形を作って空間を囲っている。特に座席が決まっているわけではないが、入り口の扉を背にしてリリー、アリス、サラが並んで座っている。正面には、国衛軍の長たるアーロンとタグラスだ。右翼には王妃ヘレナがおり、その横に執事長の爺やがいる。ターラはまだ到着しておらず、普段から会議に出席したがらないシャーリィともに空席である。左翼側には準国事隊のヘイデンと、もうひとり男性が座っている。彼はリリーの視線に気がつくと、にこりと微笑みを寄越した。リリーの父、カールだった。リリーもなんとか微笑み返したが、ヘイデンにじろりと見られてすぐに表情を引っ込めた。いたたまれない。彼らの横には、番兵の人たちが座っていた。


 リリーと話をしたあの大男と、もうひとりはぱっと思いつかない。彼らは普段出席しないのだとアリスから聞いていたが、事が事だからであろうか、神妙な面持ちでそこに座っていた。

 あとはもう、ターラを待つのみとなった。


 リリー自身はといえば、会議に出るのはこれで二回目だった。去年、アリスとの試合で負け、実質的に近衛兵の副隊長とか隊長補佐とかそういう役職に就いたわけだが、一度出席した会議のあまりの空気の重さと自らの場違いな感じにすっかり萎縮し、出席はアリスに任せていた。

 今回ここにいるのはこれが臨時会議だからというわけではなく、出る理由ができたというただそれだけに限る。ここに来るまでにかなり難儀した。胃は痛くなるし自分がこの場でなにをしようとしてるのか考えるだけで頭痛が止まらなかった。ここに辿り着いてもなお、リリーは腹の底で決心が揺らいだままで、それに気がついているのか、アリスが心配そうにこちらを気にしていた。


 この日まで、リリー、アリス、サラ、そしてヘイリーの四人は、リリーの推理に基づいて犯人を糾弾し得る根拠の裏付けを行ってきた。その方法はまさしく多岐に渡っていて、中には当初賄賂でやり過ごそうとしていたミカフィエル遠征に並ぶような捜査もあった。


 間違いなくそうだと言える、論拠がある。一方で、物的な証拠は皆無に等しかった。だから他所の管轄に入ってしまえば、犯人が罰を逃れる可能性があるどころか、自分が捕まる可能性もある。この場で、アーロンやヘイデンを納得させなければならない。もしそれが失敗した場合は、自分が牢屋に入ることになる。リリーはまた胃が痛くなった。


 長机ばかりの広い室内。花のひとつでも置かれていれば空気も和らぐのに、この部屋には装飾といえるものは一切なかった。座り心地ばかりがやたらと良い椅子ではなんの役にも立たない。それでも窮屈な部屋に開放感を作るためなのか、リリーの正面の壁は大きくくり抜かれ、窓があてがわれていた。しかし街を一望できるそれさえ、曇り空のために気を一層重くするだけだった。肌にまとわりつくじめり気と、薄暗い室内に早くも心が折れそうになっている時、後ろから重厚な扉が開く音がした。


「待たせましたね」


 ターラだ。振り返らずともそれがわかった。彼女は席に着くや否や、リリーと番兵がいるのを見て目をぱちくりとさせる。見ない顔ぶれで驚いたのだろう。しかし、それも一瞬のことで、早速といった感じで口火を切った。


「会議を始めましょう。……周知のことであるとは思いますが、一連の猫の事件に関することです。城下と浜辺、そして……王室で発見された猫の死体。その事件に対する解決を模索するために、今回は集まってもらいました。少しの猶予がありましたが、なにか発言はありますか」


 始まってしまった。リリーは感情が追いついていないことを感じながら、どんよりとした場に身を縮める。耳の横を汗が伝っていった。ターラがいい終えてまもなく、国衛軍総統、アーロンが手を上げる。ターラの目配せを受けて、彼は殊勝に立ち上がる。立ち振る舞いの一つひとつに、彼の自信と義務感が垣間見えた。きちっとした制服は、彼らが夏に身につけるものだ。赤を貴重としたそれはよく目立ち、国衛軍の存在を余すことなく見せつけいていた。整髪剤で後ろに流した金髪をなでつけると、室内をぐるりと見回し、アリスに目を止めた。


「アリス・メイリー近衛兵隊長」


 声をかけられたアリスは、相手がかのアーロンであるのに、返事の代わりに首を傾げるだけだった。こういうのも、リリーの胃を痛くする一つの理由である。


「先般の定例会議で貴方が提案したことを覚えているか。旅行を禁止しない、というものだ」

「もちろん」


 アリスは肩をすくめる。


 リリーが以前アリスに提案をお願いした話だ。アリスはリリーの言ったようにしてくれて、そして実際に旅行は禁止されなかった。


「単刀直入に言うが、二週間前から、国外へ出た国民が帰国していない。ミカフィエルに行ったっきりだ。旅行を禁止するなと提案したあなたは、このことについてどう考えている?」


 鋭い声音だったが、しかし、アリスは動じなかった。


「どうもこうも、十分な成果じゃないですか」


「なに?」アーロンはアリスを馬鹿にするように息を吐いたあと、机の上に手を置いた。「信じ難いな。国民の危機が成果だと? 仮にも近衛兵の隊長が」


「国民の危機が成果だなんて私は言ってませんよ」

「では、なにが成果だと言っているのだ」


 問われて、アリスはふうと息をついた。会議室の空気がぴんと張り詰めるのがわかる。その傍らで、アリスは少しも表情を変えなかった。


「行ったら帰ってこられないということが、わかりましたよね」

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