第35話 .Lily

 今回の猫事件は、発覚している限りでは三度起こった。城下で、浜辺で、王室で、まるで見せつけるかのように、首を切り落とされた猫の死体が放置されていた。それはたったひとつではなく、必ず数匹まとまっている。この猟奇的で残虐な犯行は、七年前にエール教徒の起こした事件と一致するが――。


「なんで城下で……王室で……」


 疑問が口からこぼれ落ちる。七年前と翻したように違うのはまさにそこだった。リリーの疑問をアリスが拾う。


「今日は女王も王妃も出かけてたんだよね。この前はちょうど近衛兵の徘徊の時間を避けてた」


 アリスの言葉が頭に引っかかってぐるぐると回る。そうだ。先日も警備の目が掻い潜られていた。そして今日、死体を見たのはメイドだけだった。すると当然、ターラも、ヘレナも、シャーリィもいなかったということになる。


 ……偶然だろうか。


 王室にあった死体は全部で三つ。三つもの死体を運ぶのは、例え小動物の猫とはいえ簡単ではない。大きな袋にでも入れなければたちまち誰かに見られてしまうし、一体ずつ運ぶとなると、何度も王室を行き来しなければならず、どちらにしたって怪しい。警備はその時、城下町に重点を置いていた。王室の警備は手薄だったか、もぬけの殻だったかだ。さすがに誰もいないということはないだろうが、やはりさいあく手薄だったのだろう。自分が犯人になったつもりで考えてみれば、問題は王室の前だけではない。城の廊下は長いし、何処から運ぼうとしてもしばらく歩かなければならない。その間に全く人がいないということは、犯行が行われたような昼間にはまずない。近衛兵も、メイドも、執事も、一般の人達もいる。


 容易に、なおかつ疑われないように死体を運ぶ方法とはなんだろうか。自分が、城の関係者だったらいいかもしれない。近衛兵が、メイドが、執事が王室に入ったところで、疑われることはない。けれど、そこまで仮定しても、それらを構成する人数はけして少なくない。


 先日の事件のときに立てた犯人像――リリーは多少の無理をしたが、三階まで壁伝いで登ることができた――今回も一致する気はするが……準隊に追い出されてしっかりと現場を見られなかったことが悔やまれる。


「ねえリリー、なに考えてんの?」


 いつも黙って待っていてくれるアリスも、さすがに沈黙に耐えかねたのか、リリーに声を掛けた。別に隠すようなこともないので、リリーは考えていたことを説明する。


 説明し終えると、アリスは特に悩む様子も見せずに言った。


「じゃあもう、女王たちの予定を知っている人ってことだよね」


 何の気なしにそう言ったのだろう。しかしリリーは豆鉄砲を食らったかのように、身を固まらせた。城の関係者ではないかと思った時点で、そこに辿り着くのが普通だったのだ。もちろん確実というわけではなくて、あくまでも可能性が限りなく高いというだけだが、それなのに、いままで思考の前線に出てこなかったのを、急に恐ろしく思った。自分のことを、他の人が言ってくれるように、頭がいい人だとは思っていない。それでも、こんなに単純なことを考えつかなかったのは、自分のことながら不思議だった。


「リリー、いま気づいたわけじゃないでしょ?」


 リリーの様子を敏感に感じ取ったアリスが不思議そうな顔をする。


「いや、いま気づいた」


 まあ、そういうこともあるだろうと思ううちに、アリスベッドから起き上がってリリーの手首を掴んだ。


「まただ」

「え?」


「リリー、あんた考えたくないことから無意識に思考をずらすよね」


 外で、ぽつりと雨が降り始めた。さっきまで、晴れていたのに。空気がじめり気を持つ一方で、アリスに掴まれたところから順に、身体を言い知れぬ悪寒のようなものが一瞬で伝わっていった。


 以前もそんなことがあった。半年前か、それよりもう少し前のことだっただろうか。


 ――近衛兵の利用する更衣室というのは、制服以外のものを例外なく置くことができない。しかし、ずっとそうだったわけではなかった。とある事件が起こる前は、それぞれ着替えなどを自由に置くことができたのだ。その事件というのが、いわゆる下着泥棒だった。それも、標的にされたのは全てリリーのもので、寝られなくなるほど恐ろしかったのを覚えている。結果から言えば、犯人はリリーに良くしてくれていた、優しい笑顔が素敵な、近衛の女性の先輩だった。犯人探しは行われていたが、捜査は難航した。


 それというのも、リリーが適当なことを言って、捜査を撹乱していたからだった。ああでもない、こうでもない、それはありえないと、誰かがその先輩に疑いの眼差しを向けても、リリーは彼女を庇っていた。しかし、それは決して故意とも言えず、無意識のうちに思考が逸れ、無意識のうちに別の結論を作り上げようとしていたから起きたことだった。後々から考えれば、彼女が犯人なのは明白で、リリーがどれだけ捜査の目を逸らさせようとしても無意味なくらいに黒かった。彼女がすごく優しかったから、別に下着くらいあげても、と思ったのかもしれない。けれど、自分が自分で気づかないうちに、その思考の一部を停止させていたことに気がついた時は、身が震えた。


 今度も、そうしているのだとしたら――。


「リリー」肩が揺さぶられる。「なにか分かったんなら、言って」


 口調は強く、肩を掴む力も強かった。気持ちは分かっている。一度、ああして振り回されたのだ。そして今回の事件は、泥棒なんかとは比ではない。でも、ほんとうに。


「まだ分かんないって……」

「……ほんとに?」

「…………」

「リリー!」

「ごめん、ちょっとまって」


 アリスを制して考えた。


 自分が答えを出さなくても、いずれ誰かが出してくれるんじゃないか。……下着泥棒だって、いくら自分が捜査をかき乱しても彼女は捕まってしまったではないか。今回も、自分がわざわざ言わなくたって、準隊や、国衛がなんとか犯人を捕まえてくれるはずだ。……でも。準隊が証拠を掴んだところで、犯人を裁くのは国衛軍で……その集団さえ不透明ないま、それに期待して大丈夫なんだろうか。それに、今回の容疑者は自分なんだ。ミカフィエルのあの惨状を見て、無残に殺された猫を見て、なにを考えたのだったか。怒ったのか、悲しんだのか、とにかく、気持ちのいい感情でなかったことは、確かだった。その時に抱いたそれらが、考える度に、ふつふつと、心中で湧き上がるのを何度も経験していた。かちりと、おぼつかない手で積み上げた思考の積み木が、形になっていく。それを忘れないうちに、リリーは大きく、湿っぽい空気を吸った。

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