第30話 .Lily
ここのところ快晴ばかりだったけれど、今日は珍しくどんよりとしていた。それで涼しくなるかと思えば、空気の湿っぽさが増すだけで、むしろ暑苦しかった。これに雨が降ったなら最悪だ。
「降らなきゃいいけど」
アリスも同じことを考えていたようで、不機嫌そうな顔で灰色の空を睨みつけていた。
ミカフィエルに行くにしても、まずは番兵に話を通さなければならない。懐の金貨が歩くたびに音を立てて、その重みを知らせてくる。
城からある程度歩くと、トンネルが見える。その前には男性の守衛が立っており、こちらをじろりと睨みつけた。もう少し行くと、石造りで円柱型の塔が見えてくる。あれこそが、いましがた通り過ぎた国境を守る番兵の本拠地である。
塔の目の前に辿り着くと、その塔の背が案外高いことを知る。堂々と構えるその建造物は、品定めをするかのようにリリーたちを見下ろしていた。意外だったのは、その塔の前に番兵が立っていなかったことだ。さらに、木の扉を一枚隔てた向こう側からは、笑い声が漏れ聞こえていた。リリーとアリスは顔を見合わせ、「大丈夫かな」とリリーが顔を歪める。やがてアリスが扉を叩いた。
「開いてるぞー!」と、野蛮な返事が飛んできた。
扉をおそるおそる開き、中へはいると、そこには数人の男がいて、一つのテーブルを囲って酒を飲んでいた。真っ先に受けた印象は、『トンネルを守り続ける屈強な番兵たちの塔』ではなく、『酒場……?』だった。石造りの外見とは裏腹に、内装には木が張られていて、受け付けがあり、テーブルがあり、壁には絵が飾られ、至る所には蝋燭が立てられている。それがまた酒場という印象を強めていたし、あまりにも楽しそうな蛮声が飛び交うので、間違えて飲食店に来てしまったのかと思ってしまうのだった。
「よう、お嬢ちゃん達。なんだ、旅行か?」
ジョッキを持った、一際図体の大きい男が座ったまま声をかけてくる。リリーはアリスのうしろに隠れながら、首を横に振った。
「いえ、少しお話がしたくて」
「そうか、おい聞いたか! 俺にも女ができそうだ!」
テーブルを囲んだ男たちから、どっと笑い声が起きる。リリーにはなにが面白いのか分からず縮こまっていると、ひとしきり笑ったことに満足したのか、顔を紅くさせたその男が席を立ち、ジョッキを置いてリリーたちの方へ歩いてきた。
「まあまさか交際の申し込みじゃあないだろう。制服を見りゃ分かるさ。どうした、聞くぞ」
「あ、ありがとうございます」
リリーは多少気圧されながら、ぎこちなく礼を言うと、早々に本題に入ってしまう。
「我々はマクナイル城の近衛兵で、いまとある事件について調べてて――少し確認させてください。旅行に行く際、それと帰ってきた際には、旅行者は必ず手続きを済ませなければいけないんですよね」
大男は頷く。
「お願いなのですが、その管理表を見させてはもらえませんか」
交渉ができる相手だろうか。ミカフィエルに行くという目的から少し外れるけれど、せっかくだから色々と聞いてしまいたい。リリーが大男を見上げて言っていると、横で酒を飲んでいる男から声が上がった。妙にへらっとした態度の男だ。
「あー、あるが、ただでは見せられないなあ」
「えっと、お金が必要なのですか?」
「いいや、若々しい身体さ」
不快な冗談を飛ばしてくる。酒に酔っているのだろう。周りの男たちも声を上げて笑うので、リリーは顔をしかめるしかなかった。
「やめとけよ」
大男が彼らをいなすも、あまり効果はない。
「最近はよく美人を見るからいい気分だぜ」
へら男が言う。
「そんなに見るか?」
「ほら、この間も二つ縛りの近衛が来たじゃねえか」
エミリアのことだろうか。ふざけた話で盛り上がる彼らを見ていると、いつの間にか手に書類が渡されていた。
「こんなだけどな、仕事はちゃんとやるんだぜ」
そう言って、鬱陶しそうに彼らの様子を見る大男の表情は綻んでいた。リリーにとって、この雰囲気は慣れたものではない。だがそんなに気にしてもいなかった。男というのはそういうものだろうという諦めもあれば、自分と盛り上がる話題が違うだけなのだろうという納得もある。だから、邪険に見るほどでもない。もっとも、真面目で律儀な集団だと思っていただけに、面を食らってしまった気分ではあった。
渡された書類に目を落とす。アリスも横から見ていた。……完璧に記憶しているわけではないが、先日アリスの部屋で見たものと違いはないようだった。念のために、なに度か繰り返し見直してみたが、問題はない。二週間前から旅行者が帰ってきていないというのは問題は依然残されている。そして、ミアの旅行期間がいまに過ぎ去ってしまいそうなのも、変わらなかった。
「あの、これ、改ざんすることは可能ですか?」
「藪から棒にすごいこと言うんだな。できないことはないが、誰か一人が管理しているわけじゃないからな。行く時は門番に、帰ってきたときはあそこの受付で、本人確認や時間の確認をする。同じことを書く紙はなに枚もあるし、担当がそれぞれに就いているわけでもないから、おかしいことがあれば必ず誰かにバレる。だから誰もしないだろう。全員の目を誤魔化すことはしないし、結託して改ざんする利点もない。それに、なにより俺らは信頼し合ってないからな」
冗談めかした声で彼は言って、口を大きく開けて笑った。
「例えば、上に言われて変えざるを得ない場合とかは……」
「上? 上っていうとなんだ、俺か?」
察してはいたが、この男が番兵の長らしい。リリーは慌てて手を振って否定する。
「いえいえ、国衛軍のことです」
リリーがそう発言すると、テーブルを囲んで酒を飲んでいる彼らが、一斉にこっちを見た。しんと静まり返ったかと思えば、今度は揃って大笑いする。リリーはぽかんとするしかなかったが、リリーを見て馬鹿にしている様子ではない。なにか、単純に、言ったことがおかしく聞こえたようだが、リリーにはその理由がてんで分からなかった。先程のへらっとした男が口を開く。
「嬢ちゃん、なんも知らないんだな。うちと国衛軍は関係ないぜ」
「ああ、そうだ」目の前の彼も頷いて言う。「奴らは俺たちの上司じゃないし、むしろ仲は良くないってもんだ。国衛は国衛。番兵は番兵。もちろん準隊も関係ねえ」
別の番兵も口を挟んでくる。
「あいつらは俺たちのことを舐め腐ってるからな。番兵は別に頭がよくなくてもなれるから、上品な奴らには下に見えるらしい。番兵なんて面倒な仕事やりたくないから俺たちに仕事を任せているくせに、俺達を見下して、一切信用しようとしない」
勝手なやつらだ、くそやろう共だ、と口々に声が上がる。
「すいません、知りませんでした。どこかに属するものとばかり……」
てっきり、番兵は国衛軍に直属する組織だと思っていたので、驚きを隠せなかった。トンネルを守るということは、仮にエールなどが国に攻め入って来た場合、最初に対応するのがこの番兵になるということだ。それだけ重要な任務である以上、後ろに大きな存在があると思っていたのだが、そうではないらしい。
「ま、完全に独立してるわけじゃねえがな。元々俺らは国が三つに分かれて隣国という脅威ができた時、たらたらしてんだか慌ててんだか分からんなんの対策もしねえ王政府とか、それこそ国衛軍のやつらに腹立てて、自分らで塔立ててトンネルを守り始めたんだ。そしたら女王様が認めてくれて、決まりもできた。俺らは自分たちで立ち上がって、それを保証してもらったわけだ。女王様直属って考えりゃ、どちらかと言えば近衛兵のほうが近いかもしんねえな」
「国衛なんか、うちと変われって勝手に俺らの仕事を奪うときもあるし、やりたい放題だぜあいつら。そんで俺たちがなにか言ってみりゃ、反逆どうこうで逮捕するぞって脅される。やってらんないよな」
番兵たちは次々に不満を口にする。お酒が回っているのもあるだろうけれど、その怒りも熱っぽい。番兵の長である目の前の大男も、国衛軍の所業を思い出してうんざりしたのか、苦虫を噛み殺すような顔をしていた。
「国衛が仕事を奪うというのは気になりますね。いままでにそういうことがよくあったんですか?」
「さすが黒髪の嬢ちゃん、目の付け所がいい。それがないんだ。これまでになかったことだし、最近になって来たかと思えば、来る時間も決まってない。ずっとやり続けるならまだ分かるがかなり中途半端だ。なにがしたいのか分からん」
彼らの話では、国衛軍は番兵たちのことを信用していないという。旅行者が帰ってきていないことを知り、番兵には任せられないと兵士を派遣してきたのだとすれば、事が発覚してからは毎日門番をやるべきではないか。最近になって、決まった時間にやるでもない。傍から見たら不審だ。
「旅行者が帰ってきていないことと関係あるんでしょうか」
「かもしれない……が、なんも聞かされていないからどうとも言えないな。奴らのことだから俺たちがちゃんとやっているか信用できないんだろうよ」
ここに来て知ったのは、彼らはけして、普通の人より真面目というわけではないということだった。しかし仕事に対して真摯に向き合い、誇りを持っていることは、話を聞けば分かる。そもそもの始まりが自治的なものだったとなれば尚更だ。大男は、番兵たちが各々のことを信用しあっていないと言っていた。それは仲が険悪だからではないだろう。仕事の形式上、そうした意識でいたほうがいいと判断しているからではないか。それこそ、書類上の不正であったり、勝手に誰かを旅行に行かせたりということがないように。
「リリー」アリスがこっそりと耳打ちしてくる。「事情を話せば黙っててくれるんじゃないの?」
アリスもある程度、この人たちを信用しているようだった。そう、リリーたちは元々国をこっそり出るためにここに来て、黙っててもらうために金貨を持ってきたのだ。リリーはこくりと頷く。
「そういえば先日うちの兵士が出入国管理表を持ってきましたが、あれは誰にでも貸し出しているのですか? 報告義務などは?」
「ああ、少し複雑だが、まず俺らはどこの所属でもないと話したな。それもあって、基本的にうちにはどこにも報告する義務はない。しかし女王様に特別に認めてもらってる身だ。制約は受ける。管理表を求められたらそれがいつであっても、誰であっても提供しろという制約、そして誰かの旅行期限が過ぎたら国衛軍と準国事隊に報告しろという制約だ。だから近衛の嬢ちゃんにも渡すってことだな」
つまり、本来なら報告する必要はないが、求められた時と、誰かの旅行期間が三日を過ぎていた場合はそうしなければならないということだ。運が良ければリリーたちの出国は番兵にしか知られない。
「もし、わたしたちが旅行に行ったことを黙っていてくれと言った場合は、みなさんはどうしますか?」
「報告を求められたときにってことか?」
「はい」
見回すと、全員が首を横に振るか肩を竦めるかした。
「ありえんな」
「これでも?」
リリーは懐から金貨を取り出し、男たちの前に置いた。
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