第20話 .Lily
「城下から五キロ。憩いの浜辺で首を切り取られた猫の死体が発見された」
準国事隊総統、ヘイデンが重苦しい声で言い、リリーを睨みつけた。杖は行儀悪く机の上に並べられ、その先がリリーに向けられていた。
「それでなんでまたリリーが呼ばれるんです。事件が起きれば起きるほどリリーが関係ないことがはっきりしていくと思いますが」
アリスがつんけん言うと、ヘイデンは皺を寄せて笑った。懐に手を潜り込ませると、そこからぎらぎらと光を反射する鉄の塊を取り出し、リリーたちにはすぐ、それがなにか分かった。
「君の勲章だね、リリー・エウル」
リリーは顔を青ざめさせて、アリスに勢いづいて振り返った。アリスは困惑した顔でリリーを見る。疑いの表情でないことをリリーはすぐに悟った。リリーはヘイデンに向き直る。
「更衣室へ行かせてください。わたしは昨日の夕方から制服に触れていません」
「それがなんだと言うのだ。海辺へ向かう君を見たと言う人がいた。黒い髪はよく目立つからな」
「昼でしょう。シャーリィもいました。そして二人して手ぶらです。そこまで聴取できてないなら準国事隊も落ち目です。更衣室へ。同行して構いません」
ヘイデンが睥睨してくるのを、リリーは喉の奥で捉えて苦しくなっていた。声を出して抵抗するのも厳しい。鷹の瞳は獲物としてしか自分を見ていない。
「連れて行け」
ヘイデンを連れて、アリスと三人で近衛兵の更衣室へ向かう。ヘイデンは足が悪いのか杖を突きながらで歩くのが遅かったが、リリーたちに先導することを許さなかった。
更衣室の扉の前に着くと、その瞬間リリーは違和感に気が付いた。
「アリス、今日、朝の鍵どうした?」
リリーは寝坊して、仕事を果たせなかった。朝の更衣室を開けるのはリリーの仕事だ。しかし朝礼は聞く限り通常通り行われたし、すれ違う近衛兵はきちんと隊服に身を包んでいた。
「開いてたよ。だからリリーは鍵を開けてからさぼってどっか行ったんだと思った」
ヘイデンはリリーたちの前で、会話を聞いているのかいないのか分からなかった。なんの意見も言わない。ここで話されている二人の会話はなんら信頼できないと思っているのかもしれない。事実、自分が疑う立場なら同じように振る舞うだろうとリリーは思っていた。
ヘイデンは、リリーを容疑者と呼ぶが――明らかに時間を与えてくれている。女王とのこともあるかもしれないが、更衣室までのこのこ付いてきた。
そしてリリーにはなにより、更衣室に行けば分かることがあると思っていた。扉を開くと、自分のロッカーに向かう。そこを開けて、真っ先に勲章の付いていた左胸の部分を見た。
「ヘイデン総統」リリーは老獪に声を掛けた。「勲章が、犯行の最中、そう簡単に取れるとお思いですか」
彼は手に持っていたリリーの勲章を、投げて寄越した。リリーはやっぱり、と確信した。この男はわたしを疑っていない。
「近衛兵は本来勲章を授与される立場にはありません。片側だけ重くなることが想定されていないので、ふつうに付けたら不格好になる。なので、わたしは特別に仕立ててもらいました。犯人は勲章の取り外し方を知らなかったんでしょう。糸がほつれています。そして渡してくださった勲章には金具が付いていない。ロッカーに残ったままです。でも、わたしの勲章が必要だった。わたしが既に容疑者だということを知っていたんです。それを利用しようとわたしの制服と勲章を持ち出そうとした。けれど制服は持ち出せませんでした。海でずぶ濡れなのを乾かしている最中でしたから。犯人は別にそれを着てもよかったけれど、濡れているのをなにかの罠かと思ったかもしれません。そしてある程度の機転も利かせた。どうせ濡れているのなら、濡れるような場所を現場にすればいい。勲章も落としておけば上等。愚かだったのは、わたしを、リリー・エウルを容疑者にしたいのに、こんなに証拠を残そうとしたことです。総統、わたしがこんなに馬鹿な犯罪をするとお思いですか」
「と、言うためにあえて愚かな犯罪に手を染めた可能性も否めんだろうな」
「そんな堂々巡りでは、人は罰せません」
「ああ」ヘイデンは唸った。深く細い青く濁った目で、リリーのことをじっと見つめた。「だが、それでも君の容疑は晴れない。疑念は増すことはあれど減ることはない。ほかに言い訳は?」
「鍵です」
リリーは扉を指さした。
「開いていました。わたしは開けていないのに」
「だめだ」
ヘイデンは言う。しわがれた声だった。
「それでも君の容疑は晴れない。君の容疑を晴らす方法は一つだけだ。自分への容疑に対する反論を揃えるのではなく、他者が犯人だということを証明する物的証拠、心的証拠を揃えろ。私は失礼する」
言い終わると、ヘイデンは杖を突いて出て行った。更衣室にアリスと残され、リリーは緊張しきっていた胸元がようやく呼吸する感覚を抱いた。今の今まで息をするのを忘れていたような気さえした。
「リリー、あの人、どういうつもり?」
「……どういうつもりかは分からない、けど、もうわたしのことは疑ってない。いざ裁判になったときに真犯人を分かるようにしろって言っているのかもしれない」
アリスは肩をすくめた。
「それ、準隊の仕事でしょ」
どうだろう、とリリーは思った。準国事隊の正義とはなにか。今回の猫事件を追うにおいて、彼らの目的とはなにか。誤認逮捕で牢屋にぶち込むとあれば彼らの名折れだが、同時に事件の解決がなくとも彼らの名折れだ。そして、誤認逮捕が実際に誤認であったかどうかなど、終わってしまったあとには分からない。犯罪をひとつでも多く減らすこと、被害者を一人でも多く減らすこと、が彼らの理念であるならば、物事は単純だ。だが理念と仕事は違う。リリーを逮捕することでなにかの効果が得られるならば、彼らはそうする。少なくとも、リリー自身の弁護は準国事隊の仕事ではない。彼らは弁護はやらない、狩りをやる追求の立場だ。とすれば、
「いや、それはわたしの仕事」
リリーが言うと、アリスはいっそう眉を顰めた。
ヘイデンも去り、アリスにも仕事があった。リリーは一人取り残された更衣室で、どうすべきか考えていた。自分に向けられる疑いへの反論ばかり取り揃えても意味がない。だとするならば、わたしは、わたしじゃない誰かを容疑者にする必要がある。そしてその証拠が集まらなければならない。
鍵。開いていた。寝坊して開けられなかったリリーの代わりに誰かが開けたと考えるのは無理だ。鍵はリリーしか持っていない。すると、夜勤が鍵を掛け忘れたのだと考えられるが、制服の厳重保管が示されたその日に掛け忘れるなんてことがあるだろうか。可能性としては捨てきれない。が、有り得ては困る。チェリに確認する必要がある。リリーはそう考えて、ふと更衣室に備え付けられた窓を見た。そしてそこの鍵が開いているのを、見付けた。
「いや、三階だよ?」
一人で言うが、確かめなければ埒も明かない。窓を開けて身を乗り出す。登ってこれるだろうか。……つまり、犯人は窓から入って、飛び降りるのが無理だったので、扉から出たのでは。それが可能なら、そうだ。扉の施錠は気にしても、三階の窓にまでは誰も気が向かなかったのではという点も否めない。それは、リリー自身もそうだったからである。迂闊だが、責めることもできない。
「試すしかない」
城を出て、ここまで登ってきてみよう。犯人は健康な男性だという仮定が補強される。もし登れるとしたら、やはりそうだ。
リリーは更衣室を出て、鍵を閉めてから歩き出した。歩き始めると、思考の渦がよりいっそう巻いていく。まとめなければ――。
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